ケイケイの映画日記
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2020年03月24日(火) |
「ジュディ 虹の彼方に」 |
コロナのお陰で、ほぼ一か月ぶりの映画です。号泣しまくり心揺さぶられまくりだったのは、久々の映画館だったからではなく、この作品に、その力があったからだと思います。監督はルパート・グールド。
「オズの魔法使い」のドロシー役で、一躍スターダムに乗ったものの、その後数々のスキャンダルにまみれ、浮き沈みの激しい芸能生活を送り、現在は低迷しているジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)。とうとう定宿しているホテルも、料金滞納で追い出されます。二人の子供を連れたジュディは、仕方なく離婚した子供たちの父親シド(ルーファス・シーウェル)に預けることに。子供たちを手放したくないジュディは、生活基盤を作るため、ロンドンのホテルのショーに出演することにします。
この作品、素晴らしいのはジュディへの敬愛を強く感じる事です。今で言うとお騒がせセレブ的な、スキャンダラスに満ちた生涯を送ったジュディですが、何故そうなったのかを紐解き、理解出来るように作ってあります。そして母親としての感情を繊細に描き、私は強く共感出来ました。これらが作品に品格を与えています。
最晩年の姿を描く中、子役時代の彼女も描かれる。まだミドルティーンの女の子に、撮影やダンスの練習のため、当時は合法だったアンフェタミン=覚せい剤を服用させる周囲。以来彼女は、生涯薬物依存と不眠、情緒不安定に悩まされるようになります。厳格な管理や無理なダイエットに反発する彼女。プロデューサーは「ゲイの父親、ステージママの母親を持ち、足も太い。他にももっと可愛い子がいるのに、そんな君をスターに出来るのは誰だい?平凡な道を歩みたかったら、すぐスタジオから出ていくんだ」と、根こそぎジュディの自尊心を摘み取ります。子供のころから、誰も味方のいないジュディ。
生涯五度の結婚をしたジュディ。作品では別れた三度目のラフトと、五度目のミッキー(フィン・フィットロック)が出てきます。二人とも当初はジュディを本当に愛していたのだと思います。それなのに、夫婦の絆は誰とも結べず、感情の起伏が激しい妻を、夫たちは持て余します。精神科勤めの時、嫌と言う程見てきた光景です。これも薬物の後遺症だと思いました。
ロンドンでジュディの秘書役だったロザリン(ジェシー・バックリー)。なだめすかしてジュディを舞台に立たせる姿は、年下のロザリンが、母か姉のように見える。同じ仕事を通しての付き合いでも、プロデューサーやステージママと違うのは、ジュディからお金を搾取する立場ではなかったからだと思いました。ロザリンが自分を見守ってくれているのを知りながら、自分ではどうにもならないジュディ。ロザリンも、それが甘えではないと感じていたからの、最後のティータイムだったと思います。
満身創痍のような自分自身を持て余しながら、何故彼女は引退をしなかったか?ひとえに子供たちと暮らしたかったからだと、思いました。定住する住まいも持たず、学校にもろくに通わせず、良き母親からは程遠いジュディ。それでも子供への愛情を強く感じるのです。生活の基盤を築きたかったのですね。不躾なテレビ司会者の質問に、「私はマスコミで書かれているような人間ではない。それなら、子供たちが、あんな良い子に育つわけはない」と言い放ちます。これは私が劇中で感じていた事です。虐待された子が、それでも親を庇うのとは根本的に違う、暖かな情愛が、母と子には流れていました。
子育てに必要なものは、愛情や責任、財力、親としての資質など、たくさんのものが必要です。でも私が一番必要だと思うものは「子供の幸せを願う」と言う、至ってシンプルな心だと思う。この子たちは自分を求めている、この子たちを育てなければと、自縛していた彼女が、ラフトの提案を一蹴するも、娘に「ハニー、本当の事を言っていいのよ。そのままパパのところで暮らしたい?」と問います。イエスと答える娘。ママごめんなさいの言葉も添える、優しい子に育ったのは、ジュディが育てたからです。
涙ながらに自縛から解かれるジュディは、決して執着の愛で子供を盲愛していたのではないと思いました。子供の幸せを願う、その気持ちが彼女の心を軌道修正させたのです。この半年後、ジュディは47歳の若さで亡くなっています。生き甲斐であった子供を失う喪失感と共に、自分では荷が重い子育てから解放された安堵があったはず。切なさと共に、これで良かったと私も安堵したのは、同じ母親としての気持ちからです。
ステージの様子もふんだんに描かれ、レネー自身が歌声を聞かせてくれます。レネーの地声は、年齢よりも可憐な声だったと思いますが、この作品では太く豊かな歌声を聞かせてくれます。本物のジュディに寄せて、ボイストレーニングしたのだとか。劇中のレネーは、47歳どころか、60前後の女性に見えました。これも生き急ぎ、人より老生したジュディに寄せたのでしょう。ただのそっくりさんではない、愛を込めてジュディを演じていて、大変感動しました。
ゲイのカップルとの逢瀬、「私はドロシーの大ファンでした」と言う医師の場面など、大衆に愛された彼女の側面も盛り込んだ上での、ラストの「オーバー・ザ・レインボー」の合唱には、私も大泣き。ジュディ・ガーランドは、決して孤独で失意のまま亡くなったのではないと、私は解釈しました。
一見幸せとは程遠いジュディの晩年なのに、鑑賞後、私の心は温かい気持ちで満たされました。口を揃えて、良きママだったと語る異父姉妹のライザ・ミネリとローナ・ラフトも、きっと喜んでくれると思います。
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