ケイケイの映画日記
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2019年10月13日(日) |
「JOKER ジョーカー」 |
たくさん人様より映画を観ていると、好きだ、素晴らしい、秀作だとは書けても、傑作だとは、なかなか書き辛いのです。ですがこの作品の鑑賞後、真っ先に私の頭に浮かんだのは、「傑作だ」です。監督はトッド・フィリップス。本年度ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞作。
1980年代のゴッサムシティ。財政難から貧富の差は激しくなり、市民の鬱屈した不満は増大しています。心優しく孤独な青年アーサー(ホアキン・フェニックス)は、大道芸でピエロのアルバイトをしながら、スタンダップ・コメディアンを目指しています。ですが現実は病弱な母の介護と貧困。そして彼も感情のコントロールを出来ず、緊張すると笑い出すと言う病を患い、市の援助を受けて、カウンセリングを受け服薬しています。ある日エリート会社員に地下鉄で絡まれた事を切欠に、彼の人生は大きく反転しています。
最初のカウンセリングの時、私はアーサーが泣いているのだと思っていたら、それは病からの「笑い」でした。止まらぬ笑いは、喘息の咳みたいです。以降その笑う姿は、怒りにも心細さにも絶望にも見える。
アーサーは気持ち悪い。不気味なのではなく、気持ち悪いのです。べたっとした頭皮、挙動不審でおどおどした様子。そして突然笑い出す。なのに目だけが異様にギラついている。閉塞したゴッサムシティで、子供や同僚、エリートからからかわれ、暴力を振るわれ、蔑みの対象です。父親かと思った相手に、すがるアーサー。お金が欲しいわけじゃなく、ただ孤独から救われたかっただけなのに、相手はお門違いだとアーサーを殴る。
彼が容姿端麗の青年だったら、殴られたのかしら?からかわれたのかしら?彼の気持ち悪さの奥に、壮絶な悲しみを感じる私には、気持ち悪いアーサーにしてしまったのは、貧困や環境のせいだとわかる。30年以上前のゴッサムシティは、驚くほど今の状況と似ています。今も昔も、アーサーに似た人は、たくさんいると思います。
市長候補のウェインは、自分の会社で有能だったエリートたちを持ち上げる。底辺の人間は努力が足りないのだと言う。生まれながらの出自の違い、劣悪な環境も考慮しない。そしてエリートたちは傲慢に尊大になり、見下して良いと認識した相手には、暴力を振るうのです。彼らが殺された時、私は爽快でした。アーサーの闇を共有したのだと思います。殺人は許されませんが、これは虚構。如何に寄り添い共感出来るか、それが「アーサー」を救う鍵だと思います。
アーサーを時代の暗黒の寵児と祭り上げ、ピエロの扮装をして暴徒化する「アーサーに似た」人たち。最愛の母からの裏切りと自身の病の原因を知り、そして思いを寄せた女性ソフィーとの、やるせない顛末。「自分の人生は悲劇だと思っていたが、他人から見ると喜劇だった」と語るアーサーは、以降一番自分に似つかわしい姿で過ごすのです。
とにかくホアキンが素晴らしい!元々演技派の彼ですが、この作品の世界観を根底から底上げし、胸に迫るアーサーの哀しみを観客に届けたのは、彼の演技あってこそだと思います。笑いだけではなく、ダンスシーン一つでも、微かな喜びと怒りを演じ分けて、感動するほどの好演でした。
筋運びの面白さ、的確な音楽の挿入とチョイス、クライマックスの群集シーンにもマグマのような怒りのエネルギーを感じ、全てが圧倒的な完成度です。
のちのちのバットマンとなるブルース・ウェインとの出会いと因縁も、きちんと盛り込まれています。一連の「バットマン」の作品群を未見でも、充分楽しめます。ほぼオリジナルで、コミックや映画のジョーカーを期待して観る人が多いかもしれませんが、鑑賞後は別の意味で満足できる作品です。次のオスカーを席巻するはずの作品。是非見て下さい。
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