ケイケイの映画日記
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驚きました。大昔ならいざ知らず、現在もゲイと言うだけで、それを「正す」矯正施設があるなんて。監督は俳優としても堅実に仕事をこなすジョエル・エドガートン。この作品では矯正施設の院長も演じていますが、その理不尽さを問いたかったのでしょう。この作品も実話です。
田舎町の大学生のジャレット(ルーカス・ヘッジス)。心優しく誠実な青年です。牧師の父(ラッセル・クロウ)と優しい母(ニコール・キッドマン)に育てられ、何不自由ない生活です。しかし、ある一本の告発電話が父に届き、ジャレットはゲイの疑いをかけられ、初めて両親へ自分の本心を告白。父の勧めにより、矯正施設へ通うことを余儀なくされます。
ジャレットが自分がゲイだとはっきり認識したのは、実はレイプなのです。男性同士の性暴力は軽んじられる事が多いですが、痛ましさに性別の違いはないはず。彼の場合、認識のあやふやさな時の、自覚を恐れる情緒不安定な様子も切ないです。しかしその不安定な様子がすごくリアル。世間にカミングアウトする人腹の座った人たちしか、私たちは知らないのです。この不安定さを託つ思春期の子達を、私たちは理解してあげなくてはと感じました。
この施設は、一応キリスト教を名乗っていますが、正規のカウンセラーもおらず、プルグラムも偏見に満ちたもので、実態は月3000ドルを詐取する詐欺まがいのもの。印象深かったのは、ホームドクターであろう女性医師が、ジャレットがプログラムへ参加する事に「私は同性愛には反対だ。でもあなたのご両親は間違っている」と語った事です。医学的根拠がまるでない事が、示されています。何が恐ろしいかと言うと、そんなまがい物の施設へ、父や数人の牧師が集まり、即座に施設に通うことが決まってしまう事です。
プログラムの内容も唾棄すべき物で、延々性行為の内容と当時の感情、その事への反省を語らせます。まるでポルノとして、矯正側が楽しんでいるのかと感じ、怒りに震えます。「マグダレンの祈り」を思い出しました。
このように、同性愛への偏見の糾弾としては文句ありませんが、親子の葛藤部分が甘い。グラマラスでスウィートな母はチャーミングで、でも聖職者の妻としては、些か違和感がありました。なるほど、のちのち、夫から抑圧されていると語ります。夫から解放されたい心境の表れだったのかも。でも確かにジャレットが矯正施設に通うことを承諾したのは、「お父さんの言う事をきいて」と、目配せする母がいての事ですが、それだけじゃなぁ。
台詞で語らずとも、演出で父の怖さや服従の辛さを表現できていれば、子供を救いたい母の勇気溢れる行動が、もっと浮かび上がったのにと、そこだけ残念です。例えば目の動き一つでも、名優ラッセル・クロウなら期待に応えてくれたはず。見せ場のあったニコールはまだしも、ラッソーにはこの役、役不足に感じました。キリスト教の宗教としての闇は、色々な作品で描かれていますが、その点への踏み込みも、もう一息でした。
日本では孫がいる年代の女性たちが、若かりし頃コミックで同性愛文化を受け入れる土壌が出来ており(成人してからは映画でも!)、そんなのは日本だけかと思っていましたが、どうも欧米でも柔軟に思考できるのは、女性のようです。「普通」とは何なのか?自分と違う人を恐れず、理解や共感は出来ずとも、礼節を忘れず尊重するだけで、世の中は暖かく回っていくはず。エンディングの本物の両親とジャレットとの笑顔に、強くそう感じました。
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