ケイケイの映画日記
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2018年09月26日(水) 「愛しのアイリーン」





私事ですが、夏に姑になりました。永い春だった長男夫婦ですが、その期間が功を奏して、お嫁さんとの仲は、お陰様で良好。気は使うけど、お嫁さんて、可愛いもんだなぁと喜んでいた矢先、この作品で木野花演じる主人公岩男(安田顕)の母を観て、私の感情は真っ暗闇に(笑)。登場人物の生臭い感情を、強烈に露にしながら、それでも心の奥底に秘めた、その人しか知らない哀しみを、観客に届けてくれる怪作。私は好きな作品です。監督は吉田恵輔。

農家の一人息子の岩男。42歳ですが女けはなく、気になっていた勤め先のパチンコ店の同僚で、シングルマザーの愛子(河井青葉)に手酷い振られ方をしたのをきっかけに、貯金300万円を叩いてフィリピンへお見合いツアーに向かいます。次々と替わる相手に疲れ果てた岩男は、自分にじゃれつく、まだ年若いアイリーン(ナッツ・シトイ)に、「この子でいい」と捨て鉢に決めてしまいます。アイリーンを連れて家に戻ると、そこは認知症気味であった父(品川徹)の葬儀の真っ最中。アイリーンを観た岩男の母ツルは、猟銃を持ち出し、アイリーンを殺そうとします。

お見合いと言っても、早い話しが嫁の来てのない男が、嫁を「買う」ツアー。そのお金が300万で、結婚後も嫁の実家に仕送りしなければならない。原作は1990年半ばなので、そういった事例も耳にした事があります。今はどうなのかな?

とにかく暗ーい岩男。風采が上がらず色んな意味で自信がない。これは母ツルのせいだわね。プライバシーのない居内、四十路の息子が誕生日のため、早く帰って来いといい、マスターベーションの様子まで覗き見する。息子の事は、何でも把握しないと気が済まない。あぁ恐ろしやと思いつつ、私も四十路の息子が結婚もせずパートナーもいなかったら、「お誕生日会」やりますよ、きっと。彼女を見ていて、全否定は出来ない自分も怖い。これ、娘ならどうなんだろうか?昨日は近くに住む独身の次男が来ると言うので、夕食は次男の好きなものを作りましたが、もしかしたら、これもいけないのか?嫌だなー、怖いよー。

汚い小娘とアイリーンを罵り(便所のなんとか?すごい罵り方)、暴力・嫌がらせ、なんでもござれのツル。果ては、離婚させて、別の娘をあてがおうとする。この凄まじさには、いくら田舎の農家だとて、やっぱり少し時代を感じます。私の周囲は、嫁姑問題が皆無で、皆息子のお嫁さんを褒める。でも、その昔は、嫁にとって姑とは、天敵でした。。亡き姑は私を可愛がってくれましたが、友人の一人は舅姑に尽くし、家を守り、私なんかより遥かに良き嫁だったのに、息子が嫁を迎え「お嫁さんて、可愛いよな。そやのに私の姑は、何で私をあんなに苛めぬいたんやろ?」と、姑から嫁の立場に戻ると、目が据わってくる(女は夫や夫の親族絡みの事は、終生忘れない)。

私より一回り以上、上の年代の人で、「息子の嫁さんは、どんなに完璧な人が来ても、息子の嫁と言うだけで嫌」と言う人もいました。息子への執着が、息子に重荷を背負わしているのが、わからないのだな。母親の子供への執着と言うほど、厄介なもんはありません。そこには、真実の子への愛情もあるからです。なので呆けた岩男の父が、一瞬正気になって「お前は結婚は出来ん。親を捨てられねぇから」と言ったのは、極論的には正しいのです。当然烈火の如く怒る母。いやー、正論だって怒っていいよ。私だって息子たちには捨てられたくないもん。

子供への執着の愛は、夫や婚家からの理不尽な攻撃で、自尊心を傷つけられ、心身を満身創痍にした過去が、そうさせるんだよ。と、観ていたら、最後の方でそれが出てくる。やっぱりなー。ツルほどには苦労していない私だって、この猛々しいと言う言葉が生易しく感じるツルを、全否定出来ない。つくづく母とは業が深いもんです。

嫁のアイリーン。貧村の長女に生まれ、家族のために金で買われる花嫁を希望。天真爛漫な可愛い子です。しかし、初体験は愛する人とと、岩男に身を任せない。何たる我がまま(笑)。日本語が話せなくて、寂しくて入り浸るフィリピンパブの、「月はどっちに出ている」のルビー・モレノみたいなマリーン(ディオンヌ・モンサント)に、それはあかんよ、と窘められる。まだ子供なのです。女衒の塩崎(伊勢谷友介)から、売春婦と同じと言われて、猛反発するアイリーン。少しずつ岩男に寄り添っていく彼女を見ていると、岩男が嫌なのではなく、岩男への愛を確信してから、結ばれたいのだと感じました。

それが急転直下、塩崎絡みの一大事で、お互いを確認しあい結ばれる二人。それが暗雲を呼び込むなんて。前半のコメディタッチとは裏腹、この前後から血生臭いバイオレンスタッチに。罪の意識から、男としての暴力的な部分が覚醒する岩男。あの優しかった面影はなく、アイリーンの家族への仕送りやセックスで、札束を投げ捨てる。何たる屈辱。夫や姑から総攻撃されながら、実家への電話では、「みんな優しくしてくれる。心配ない」と母に告げます。涙が出ました。

連れ合いに別の異性の影が見えた時、猛烈に嫉妬する岩男とアイリーン。正に愛憎と言う言葉がぴったりです。「どうして優しくしてくれないの!」と、号泣するアイリーン。泥沼化する夫婦生活で、ありったけの思いをぶつける若いアイリーンに対し、救済の術がわからない岩男。年齢差、夫婦の背景から考えて、アイリーンに岩男を理解しろと言うのが無理。しかしこの作品の偉いところは、屈折・鬱屈する岩男の気持ちが、こちらに届くところです。

アイリーンを娶らなければ、こんな羽目にはならなかったと思っているのですね。それでも彼女を愛している。その複雑な感情が、岩男を暴力的なセックスで妻を支配しようとする、下衆な男にしてしまっている。暴力で哀愁を感じさせるなんて、ヤスケン、怪演にして快演です。

こんな汚辱にまみれた展開で、どんなエンディングに持っていくのかとハラハラしていましたが、これがお見事な展開。私は常日頃から、子供が大人になる過程で、親が子供の人生の主役になっちゃいけないと、思っています。岩男が木に彫ったのは、何なのか。ツルは何を持って、アイリーンと愛する息子を分かち合ったのか?そして人生は続く、と言うことか。破天荒な内容なのに、感動すらしてしまった。

主要三人以外にも、愛子、塩崎の、世間的には理解されない人たちの孤独を浮かび上がらせて、秀逸に感じました。強かで俗っぽいけど、フィリピーナの生き様を達観しているマリーンも良かったです。

男の人は死ぬ時多分、妻か母親の名前の二者択一ですよね。息子たちが私の名前を呼んだら、それは悲しい事なんだと、この作品を観てつくづく思いました。でも私が死ぬ時は、息子の名前を呼んだりしちゃうかも?(笑)。


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