ケイケイの映画日記
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2018年09月01日(土) 「検察側の罪人」




観てから一週間。そうすると、ほぼ忘れて書くことが余り無いと言う、私的に縁がなかった作品です。予告編では結構期待したんだけどなぁ。監督は原田眞人。今回疑問が多いので、少しネタバレです。

老夫婦が殺害される事件が起こり、エリート検事最上(木村拓也)と、最上に心酔する新任検事沖野(二宮一也)が配属されます。犯人として浮上したのは、リサイクル店に勤める松倉(酒向芳)。そして松倉は、かつて最上が学生時代、旧知であった少女の殺害容疑の重要参考人でした。その事件は未解決のまま、時効。今回の事件の犯人は、松倉と決めてかかる最上のやり方に、沖野は疑問を抱きます。

これ、多分原作は大いに読み応えがあるんだと思います。映画は残念ながら、上辺をなぞるだけで、滑ってしまった感があります。

何故最上がそこまで松倉の裁判での有罪に拘るのか?
100歩譲って彼の正義であると理解しても、そのために、自分まで犯罪に手を染めるのは、やり過ぎです。

大学時代からの親友・丹野(平岳広)の収賄容疑の件が、反戦にまで広がる必要はないです。返って底が浅くなります。

ちなみに最上が、他の学生時代の友人との会食を袖にしての丹野との密会は、ビジネスホテルの一室で、白いベッド、バスロープ姿の丹野に、あー、この人たちゲイなのねと、一瞬思っちゃった。その後自分たちの立ち行かない結婚生活の話までするので、やっぱり隠れゲイなのかと。話しが進むに連れて、単にマスコミから逃れるための密会場所だったのだと悟りました。私の観方が変かな?

そして明確に政略結婚だったと語る丹野は理解出来ますが、最上は仕事一辺倒で家庭が危機な模様。でも作品内容的に、それは挿入不要では?検事という仕事は、私生活をダメにするほど多忙だと言いたいなら、この描き方では感じません。

「白骨街道」なる本についても、挿入不要。丹野の反戦意識、唐突な戦場場面など、作品に昨日しているとは思えず、返って白ける。ある葬儀場にての、唐突な前衛舞踊に興ざめ。あそこで一気にテンションが下がり、この作品の期待した自分を恨みました。

とにかく視点が散漫なのです。原作は膨大なのでしょう、ならば駆ればいい。橘(吉高由利子)が語る、「100%の正義はない」と言う言葉が、私はこの作品のメッセージだと感じましたが、違うのかな?私の想像が当たっていたなら、男たちそれぞれの「自分の正義」を貫く姿に、的を絞って描けば良かったのじゃないか?橘の役どころも、そうです。あんな背景を使わなくても、最上に疑問が生じ、沖野に協力した、だけの方がすっきりすると思いますが。

それぞれの正義が、玉虫色ではなく、色褪せて私には見えてしまったのが、痛恨でした。

役者は悪徳ブローカー諏訪部の松重豊が出色。元々好きな人なので、今回萌えてしまった(笑)。正直彼で元は取れました。、怪しげなのですが、只者ではない感満タン。メフィストフェレス的魅惑感があり、最上は彼と知り合わなかったら、犯罪に手を染める事もなかったと思います。諏訪部の手下で実行犯の芦名星の、クールビューティーな感じも良かった。

キムタクとニノは、それなりかなぁ。キムタクなんですが、演技云々より、私は顔の浮腫みとドーランの濃さが気になって気になって。無理に若々しさを求められる役でもなく、容姿に重点を置かなくても良かった気がします。

巷で好評のニノの尋問場面ですが、早口過ぎて、何を言っているのか私はわからず(笑)。飛び道具的な松野のキャラも、私には嫌悪感以上の物はなかったので、特に感想はありません。

このようにして、冤罪事件は起こるのかと言う部分は、勉強になりました。ただ冤罪は、前科者から犯人を割り出す確立が多いと認識しています。松野の過去を反省しない姿を見て、胸の痞えが下りません。やり過ぎだけど、少し最上に肩入れしたくなりました。


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