ケイケイの映画日記
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2018年05月20日(日) |
「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」 |
フロリダの安モーテルを舞台に、最低層の子供たちを描きながら、子供が子供である時代、何が一番大事なのかを教えてくれる作品。今の日本の実情と照らし合わせて考える事も充分に出来ます。私は子供が生き生きする作品が大好きですが、それを差し引いても傑作だと思います。ラストは暫し号泣でした。監督はショーン・ベイカー。
フロリダのディズニーワールドの横にある、安モーテル。かつてはディズニーワールドに来る人たちを当て込んでいましたが、老朽化し、現在は行き場のない人々の長期滞在所に。ここに流れついたのが、若いシングルマザーのヘイリー(ブリア・ヴィネイト)と、6歳の娘ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)。同じくここに住み着いているスクーティーやジャンシーと共に、周囲の大人や管理人のボビー(ウィレム・デフォー)に迷惑をかけ通しながら、毎日を楽しく生きているムーニー。しかし、ある事件をきっかけに、それなりに平穏だったムーニーの生活は、追い詰められていきます。
ムーニーたちが、とんでもない悪ガキ(笑)。その無邪気さは天真爛漫を通り越して傍若無人です。近所にこんな子供がいたら、私だって鬼ババァになります。無駄に子供たちが超可愛いのが、始末に悪い。それに拍車をかけるのが、母親のヘイリー。「また何かしたの?」と言うだけで、全く躾をしません。ザンバラの髪をまとめるでもなく、タンクトップに短パン姿からは、あちこち刺青が覗く。家電を買って、惣菜を作る人もいる中、食事は教会の配給と、ダイナー勤めのスクーティーの母親アシュリーが分けてくれるパンケーキ等。部屋はゴミ屋敷寸前。そのくせ、マリファナだけは、欠かしません。自堕落なこと、この上ない。
誰が見ても母親失格のヘイリー。現在無職ですが、元はストリッパー。無料の交通チケットを申請する時(でも却下)「客に手コキしろって言われたの。嫌だと言ったら、ダンスさせてくれなくなった」のが原因。今はチンケな詐欺で小遣いを稼ぐ有様。どこから見ても、ど底辺の母親失格の女性です。観ながら、ため息ばっかり。スクリーンの中へ入って行き、母娘共々、躾したくなりました。それが同じ風景を繰り返し見るうちに、私はこの母と娘に、自分の子育て時代を思い出し、共感して行くのです。
ムーニーは飢えた事がありません。衣食住は守られており、夜はベッドで母と共に眠る。部屋は汚いけれど、ヘイリーは洗濯は欠かさない。何より毎日楽しく「子供らしく」過ごしている。子供が子供でいる時代を、充分エンジョイさせてやれる事は、実は難しい。「子供らしくない子供」。それは親が作っている。
よく虐待する親を子供が庇う時、あんな親でも子供は大切なのだと言われますが、それとは違うヘイリー。ムーニーとヘイリーは心からお互いを愛し、強い絆がある。そうです、ヘイリーはネグレクトでも虐待でもない。ただ真っ当な暮らし方を知らないだけです。彼女自身が、そういう育ち方をしているのでしょう。彼女たちだけではなく、ここの家もない底辺の人々は、彼らなりに一生懸命生きている。それをわかっているから、ボビーは一見疎ましさを装いながら、付かず離れず、慈しみながら見守っているのでしょう。きっと彼も訳ありの人なのです。
ある事故から、母親のアシュリーからムーニーと遊ぶのを禁止されるスクーティー。「こんな事が知れたら、児童局に連絡されるのよ!」。モーテル暮らしを非行の原因と取られるのを、何より母として恐れているアシュリー。彼女も心から息子を愛しているのですね。ヘイリーに伝えても、埒が明かない事は明白で、二人の暮らしを守りたい彼女は、自分もヘイリーと絶交します。
小遣い稼ぎもままならなくなり、アシュリーからの食べ物が手に入らなくなり、モーテルの滞在費をボビーから取り立てられたヘイリーは、何をしたか?お決まりの事です。でもここで思いを巡らせて欲しい。彼女は性的サービスが嫌で、ストリッパーをクビになったのです。私はひとえにムーニーのためだと思いました。やり方は間違っています。世間は短絡的な行動だと思うでしょう。でも娘に食事と寝る場所を与えてやりたい、この知恵のない若い母親の切羽詰った気持ちを、同じ母として子育てしてきた私が、理解してやれなくてどうするのか。私はヘイリーを断罪する、そんな情けない母親ではありません。
観ているうち、監督がこのモーテルの人々にこの上なく暖かい眼差しを送り、社会へ厳しさ目を向けているのを確認します。ヘイリーもアシュリーも母子家庭。ジャンシーは母親が15歳の時生んだ子で、今は祖母が育てている。父親や祖父は、影も形も出てきません。このモーテルを出て行けたのは、父親のいる子でした。日本も同じ状況なのは、ご承知の通り。夢の国ディズニーワールドの隣で、繁栄とは無縁にもがく人々の事を、どれ程の人が考えた事があるのか?とりわけ子供たちの事を。救済の仕方を考えるのは、社会の責任だと語っていると思います。
オスカー候補になった、デフォーが素晴らしい。他人の生活に踏み込むのは、とても厄介な事です。時には悪態を付かれても、彼らにルールを守らせる。それは、ここに居られなくなったら最後、どこにも居場所がなくなるのを、知っているからです。彼の本心を垣間見せる、不審者から子供たちを守るシーンが秀逸。仏心を隠す様子が、滋味深い。
今のままでは、ヘイリーとムーニーの末路は悲惨です。ラストに起こる出来事は、ムーニーの幸せな子供時代の終焉なのでしょう。たった6歳です。ジャンシーに手を引かれ、夢中でディズニーワールドを駆けるムーニー。ジャンシーの世間に対する怒りに満ちた表情が、辛い。それは、彼女たちの母や祖母では、決して連れて行ってもらえない場所。でも子供の特権は希望です。親の轍を踏まず、自分の力でこの場所に来られるようになりなさいとの、監督からのエールと取りました。
虐待が何故起こるかと言うと、私は母性や父性の欠如だと、思うのです。情緒的に難しい人がいるのは、事実。ヘイリーはそれは充分に育っている。引き離す事が、本当に二人の幸せなのか?二人が共に暮らせるようには、急がば回れで、ヘイリーを社会人として、教育しなおすべきだと思いました。この子は娘のためなら、きっと頑張ると思う。時間的に難しい事だと思います。でもそれを考えてこその福祉じゃないのかなぁ。
この作品の何が素晴らしいかと言うと、本来なら蔑まれても仕方のないような日常を映しながら、誰も責めない。観客にどうすれば、この人たちのためになるのか?と、考えさせる事。本当に色々考えました。まだ捕らわれています。監督は是枝監督のファンだそうで、子供たちのスクリーン栄えの素晴らしさは、そこから来ているのでしょう。是枝監督が透明感なら、ベイカー監督は逞しさです。現在私の今年のNO1候補です。
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