ケイケイの映画日記
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タイトルの「三度目の殺人」は、いつ出てくるんだろう?と思いながら見ていましたが、観終わって、あぁそういうことなのか、と合点が行きました。是枝監督の作品は、観た直後は手放しなのに、時間が経つと、段々気がそがれていく作品が多いのですが、今作は今まで観た監督の作品で、一番好き。秀作です。
25歳の時強盗殺人を犯し、30年の服役から出所してきた三隅(役所公司)。現在は58歳。しかし元勤め先の社長を、また強盗殺人したとして逮捕されます。くるくる変わる供述に匙を投げた弁護士の摂津(吉田鋼太郎)は、同僚のエリート弁護士重盛(福山雅治)に、弁護を依頼します。自白した殺人事件などには興味の薄い重盛ですが、渋々引き受ける事に。しかし接見する度に供述を変える三隅に翻弄され、重盛自身の弁護士としての概念までが、脅かされるようになっていきます。
冒頭の殺人場面以外は、重厚な抑制の効いた演出が続き、ともすれば退屈になりがちな画面です。そこを混沌としていく展開に一瞬隙を作る。それは裁判官だった重盛の父(橋爪功)だったり、別居中の娘だったり。そして彼らにも、わかりやすく重要な台詞や場面を与える事で、観客に内容を反芻し、租借する時間が与えられます。時間だけではなく、法廷シーンが多いにも関わらず、極力平易な言葉を用い、租借し易くしていたと思います。
重盛は尊大な男で、法廷に真実など必要ではなく、罪の量刑にだけが重要であり、依頼人を理解する必要はないと言います。その彼が、三隅と対峙していく中で、公私に渡る、見ないふりをしてきた、自分の人生の欺瞞を突きつけられる。
30年とは、途方もない年月です。雑居房・独居房入り乱れて、三隅は人生の花の盛りを、刑務所で過ごした。何を思い何を考えたのか?俗世間から乖離され、書物を読み、同じ受刑者の人生を見聞きする長い長い時間は、三隅を「哲学者」にしてしまったのでは?それが重盛が三隅に魅入られ、無自覚な自分自身のパンドラの箱を空けてしまった理由に思えました。
終始重苦しい空気が支配する画面を、こちらも身じろぎもせず見続けたのは、演出だけではなく、全ての俳優人の好演だったから。役所公司は、やっぱり凄い!くぐもった掠れた声で、しかし滑舌の良い台詞回し。淡々と礼儀正しいし所作で、微笑を浮かべながらの様子がとても怖く、闇ではなく、元からの人格に問題があるのだと思わせます。しかし、ラストはまた、その感想が一変します。怪演でもなく、熱演でもない、芸術的な演技を見せてもらいました。
福山雅治は、ビリングトップですが、実質は二番手。観客を先導していく役柄で、終始役所公司に圧倒されますが、それは役作りとして正解だったと思います。いつもの明るさや二枚目を封印しての演技で、彼もとても良かったです。
満島真之介は、重盛付きの新人弁護士。一般人が理想とする弁護士像を持ち、志高く仕事に励んでいます。重盛や摂津も、かつてそうだったのでしょう。 理想と現実の狭間で、苦悩し疲弊した後、自分で折り合いをつけた姿が、今の重盛や摂津なのだと思います。それは女性検察官(市川実日子)や裁判官とて同じで、画面は彼らの様子を責めているのではなく、職業的悲哀に、彼らも翻弄されていると描いていたと感じます。
重要人物として登場する被害者の妻(斉藤由貴)と娘咲江(広瀬すず)。妻は夫が殺害されたばかりと言うのに、艶やかで美しさに隙がなく、観客には好感がもたれずらい。斉藤由貴はぬめぬめ気持ち悪いのに、妖艶で魅力的な妻を好演しており、物語を撹乱するのに充分責務を果たしていました。現在スキャンダル渦中の彼女ですが、これで沈んでしまうのには、惜しい女優です。
広瀬すずちゃんは、清楚だけど陰がある役柄。彼女も的確な好演でした。足を引きづる咲江は、真っ赤なコートを着ています。普通は目立たない色を選ぶのにと、謎でしたが、彼女の苦悩が明らかになると、あれは彼女の心の叫びだったんだなと感じました。
三隅の証言がくるくる変わるのは、それは真実ではないから。私は裁判が終わっての、三隅と重盛の会話が、真実だと信じたい。三隅の台詞の「それだと、いいお話ですね」と、私も思いたいから。劇中投げかけられる、「生まれてはいけない人間もいる」と言う三隅の言葉。満島真之介の返事を、私は支持したいです。
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