ケイケイの映画日記
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。オランダ映画です。オランダと言えば、バーホーヴェンとルトガー・ハウワーくらいした浮かばないのですが、こんな素敵な作品があるなんて。だからヨーロッパは侮れない。コメディテイストながら、様々な見方が出来る味わい深い作品です。監督はディーデリク・エビング。
妻に先立たれ、一人息子とは別れて暮らす中年男性のフレッド(トン・カス)。几帳面な彼は、毎日判で押したような生活をし、人付き合いも最小限。 そんなある日、一人の素性のわからない中年男テオ(ルネ・ファント・オフ)と知り合います。行く宛てのなさそうなテオを見かねて、面倒をみるようになったフレッドですが、やがて彼の生活が変化していきます。
男やもめとは思えない整った家の中。愛想なし。6時きっかりに食事を取り、テオにある事を教える際のスパルタぶりを観て、さぞ妻子は大変だったろうなぁと想像しました。私みたい大雑把な妻なら、息が詰まっちゃう。
何故そんなフレッドが得体の知れないテオの世話をしたのか?私は思考より先に行動に出たのだと思いました。体に変調が来て、初めて、あぁ私はストレスが溜まっていたんだなぁと言う時、あるでしょう?その心版。フレッド自身は、孤独と言う認識はなかったのでしょうが、頭より心が反応したのかと思いました。
珍妙なテオ。最初は何か隠し事があるのかと思っていましたが、観ているうちに、何らかの障害があるのかと思い始めます。傍若無人な変なオッサンだと思っていたのに、段々と天真爛漫な子供のように見えてくる不思議。規制の概念なんて、まるでなし。そんなテオを観ているうちに、段々と規制や規約に縛られた自分を顧みて、バカバカしくなるフレッド。
テオにまつわる人物で、ある重要な人が出てきます。その人もテオのために、当初は振り回され、嘆き哀しみ、怒りに震えた事でしょう。それが今はテオが幸せならばと、全てを包容しています。当初テオのためと思っていた事は、本当は自分がテオになって欲しかった事だったのでしょう。執着です。テオの幸せを一番に願う、それが愛する事だと学んだのだと思います。
それはフレッドも同じ。規律に自ら縛られ、神の名の元、子供まで追い出してしまう。テオの出現によって、その欺瞞に気付いたのですね。段々と解放されていくフレッド。まだ規律に苛まれている隣人に対して、温かな感情を見せるのは、今彼の心が自由だからです。
中盤以降ヘンテコだけど居心地の良かった展開から、ラストは大きな感動が待ち構えています。ワタクシ号泣。周りもすすり泣く声がいっぱい聞こえました。一人では勇気の出ない彼が、誰を同伴に頼んだか?孤独を好んでいた時には、考えられない事です。人は誰かと関わり合いを持ち、成長も愛も育まれるんだと、お仕着せがましくなく教えて貰いました。
劇中、同性婚(?)も出てきます。性的な関係はありませんが、「病める時も健やかなる時も」と言う、お決まりのフレーズが出てきます。結婚にはそれが一番大切な事です。私もこの「結婚」には賛成です。昔々、淀川長治の著書で、「映画をたくさん観て、人に人生を知り感受性を磨き、自分の人生に生かすのだ」と言う言葉が、私の金言です。淀川さんに感謝の日々です。
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