ケイケイの映画日記
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2015年05月06日(水) 「Mommy/マミー」




グザヴィエ・ドラン監督、初見参。その才能は、つとに名高かったのですが、タイミングが合わず、今回やっと観る事が出来ました。確かにすごい完成度。本当に25歳の青年が撮ったのか?と思う程、丹念に母親の気持ちを紡ぎ出す場面の連続に、とても感激しました。全編フランス語ですが、カナダの作品。

架空の世界のカナダ。新しい政権が誕生し、発達障害児を抱える親は、法的手段を経ることなく、養育を放棄して施設に入所して良いと言う法案が成立されます。夫に先立たれた46歳のダイアン(アンヌ・ドルヴァル)は、放火をしたせいで矯正施設から強制退所させられた、発達障害の15歳の一人息子スティーヴン(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)と二人暮らし。情緒不安定で、一度怒り出したら手に負えないスティーブンに、ほとほと手を焼いていた頃、隣人のカイラ(スザンヌ・クレマン)と出会います。彼女も、吃音で教師を休職している状態。親しく交流をしていくうちに、お互いが落ちついた状態になっていくのですが。

まずスティーブンの発達障害の描き方が秀逸。一口に発達障害と言っても、同じではなく、スティーブンの場合はADHD。話を聞かない(聞けない)、片づけられない、自分の気に入らない場合は、手がつけられないくらい暴れる等々。そして生育や本人の元々の気質も加わり、似ているようで、皆少しずつ違います。これらは、一見すると躾の足らない粗野で野蛮な言動に見えるので、始末が悪く身近な人にはとても大変です。それが手に取るようにわかると同時に、父親のいない家庭で、スティーブンが彼なりに、息子として母を支えたい、守りたいと言う強い想いを感じました。それが空回りしてしまう哀しさよ。

手がつけられない時は安定剤、気分が落ち込むとリストカットなど、私が精神科勤務時代の見知った行動も描かれています。あぁどこの国でもそうなんだ、当たり前の事なのに、暗い気分に。

美談めいた作りなら、ここで母親の鑑みたいな女性が出てくるのでしょうが、ダイアンは46歳。腕にはタトゥー、穴あきジーンズをはいて、化粧は濃いはのとってもロックな母ちゃん。気に入らない事には容赦なく噛みつき、少々品はないけど豪快な気質。多分人の同情を呼ぶことはないでしょう。そんなダイアンの心の中は、スティーブンでいっぱい。何ら普通の母親と変わらない、いやそれ以上の愛情を息子に注ぐ様子が描かれ、同じ母親として、何度劇中泣かされた事か。

一生懸命社会のルールを教えるも、一向に意に反さない息子に、ダイアンが諦めずに説いたのは、人種差別はいけない、物を盗んではいけない、でした。息子を憐れんではいないのです。野放図にはしていない。甘える息子が自分の乳房に触れようとすると、きつく叱ります。赤ちゃんめいた息子の行動ですが、自分に依存する、成人男性並みの体格と力を持ち始め息子に、性的暴行させないためだと思います。そして男も作らない。15の息子にお酒を飲ませたり、ゆるゆるの所もある母ちゃんですが、この線引きに私は強く共感。ダイアンが大好きになります。

世界に二人きりみたいな母息子の、煮詰まった世界に風を運んだカイラ。彼女もまた、世の中の息苦しさ(明確に描かれないけど、多分夫)が、吃音と言う形で現れたのだと思いました。世間の枠からはみ出した母と息子の前では、解放されるカイラ。ダイアンたちの前では吃音も直っている。

母と息子の二人のシーンでは、広いスクリーンが1×1で、せせこましく映されるのが、カイラが加わる時から、フルスクリーンで映されます。一気に視界が広がる事で、三人の解放感を表してるのでしょう。

ダイアン親子は、世間一般では底辺だと思います。しかしその日暮らしであっても、刹那的でも享楽的でもありません。必死で職を求め、お金が入るとワインを買い、三人でささやかにパーティーする様子は、自分たちに許される範囲の人生の楽しみを謳歌しているように思えました。障害があるから、底辺だからと、ストイックに我慢だけする必要はないのだと、監督が言っているんだと思ったら、その宴の真っ最中、ダイアンは奈落の底に突き落とされる事に。

ここからが、何をやっても上手くいかない。一生懸命ダイアンが模索し、カイラがサポートして知恵を出し合うのに、スティーブンがぶち壊す。途方にくれたダイアンが出した解決策は。

ダイアンは母親と言う生き物そのものでした。子供を食べさせ寝かせ、必死で教育を受けさせる。必死に息子を「大人」にしようとしているのです。そのためには、干からびかけた自分の女も利用しようとする。貧しくて、みっともなくて、息子への愛情だけで生きている人でした。彼女は母親の根源だと思う。自分の吃音の原因であるはずなのに、「私は家庭を捨てられないの」と、寂しく語ったカイラにも娘がいました。解放感だけではないものを、ダイアンから受け取ったのかもしれません。

ダイアンが、スティーブンがこうだったら、と夢想する場面に、もう泣けて泣けて。私はそれほど息子たちに夢を抱いた母ではありませんでしたが、それでもささやかな希望はありました。母として、そのささやかなものまで望めないとしたら?こんな残酷な事はありません。ダイアンの苦悩を、痛いほど伝えるシーンでした。

終盤のダイアンの涙は、この母を独りにしてはいけない。そういう事だと思います。後半からの出来事は、彼女一人で解決にするには、荷が重すぎるのです。世の中が変わらなければいけない。それはこの作品が描く法案ではないのだと思います。

外に向かって走るスティーブンの笑顔で終わる作品。人によって悲劇にもハッピーにも取れるでしょう。私はハッピーだと思いたい。だって母親にとって、子供の笑顔以上に力をくれるものはないのだから。予想していたより、ずっと明るく現実を見据えた作品でした。ポップでユーモラスな場面もあり、解放感と閉塞感の使い分けも見事で、熟練の監督みたい。何より25歳の青年が、これほど「母なるもの」を理解してくれている事に、とにかく感激しました。そのうちハリウッドに呼ばれるだろうけど、どんな化け方をするのか、とても楽しみです。


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