ケイケイの映画日記
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2014年01月30日(木) 「小さいおうち」




名匠・山田洋次監督作品。いつもながら見事に時代を再現。美術や当時の時代の世界観など、目を見張るものがあり、丁寧に作られた作品です。しかし、どうも合点が行かない箇所の多い作品でもあり、少し残念な感想になります。

大叔母タキ(倍賞千恵子)が亡くなり、身の回りの世話をしていた大学生の健史(妻夫木聡)は、姉(夏川結衣)叔父(小林稔侍)と遺品の整理に行きます。生前タキに自叙伝を書けと勧めていた健史は、タキの遺品から完結した自叙伝を見つけます。昭和10年、東北から女中奉公に東京へ来た18歳のタキ(黒木華)。奉公先のモダンな赤い屋根の小さなおうちには、美しい奥様時子(松たか子)が、夫(片岡孝太郎)と息子恭一と住んでいました。夫はおもちゃ会社の重役で、お正月に夫の部下で美術担当の板倉(吉岡秀隆)が、おうちに訪ねてきます。頻繁に家に出入りするうちに、段々と惹かれあう時子と板倉。しかし時代は戦争に突入していきます。

えーと、まず疑問に思ったのは、タキが東京に奉公に出てきたのが18歳って、遅くないですか?その時代なら、もうお嫁に行って子供がいてもおかしくないような。そして昭和10年に18歳なら、現在96〜97歳ですよ。倍賞千恵子の風情は、どんなにおまけして見ても80前後です。最後に時子の息子の現在の姿で米倉斉加年が出演していますが、彼の方が年配に見えるってダメでしょ。倍賞千恵子を使いたかったら、別の人にしなければ。その年齢の一人暮らしなら、頻回な身内の訪問は必要ですが、直系の孫でもない姉弟が何故担当に?甥(小林稔侍)がいるのに。介護ヘルパーは?いくら生涯独身でも、この辺も謎。

そして山田組を使ってのキャスティングもおかしい。もう30半ばの妻夫木君が大学生ですか?黒木華の見合い相手は50歳で、演じるのは60代後半の笹野高史で、その叔母が松金よね子ですよ。もう年齢がめちゃくちゃ。観ている私は違和感バリバリ。使いたいなら年齢を微調整するなりなんなり、手があると思います。ここまで「組」に拘る理由は、何なのだろう?橋爪功と吉行和子の夫婦は良かったです。

で、やっと本筋の感想です。回想場面では美しい着物姿、モダンな洋装、舶来と言う言葉がぴったりな応接間など、時代の空気を満喫出来て素敵です。そしてきちんと「和」の風情も描き込み、この辺に手抜きは一切なくて大満足です。

出演者では、松たか子と黒木華が秀逸。特に松たか子は絶品。あんなに艶やかに演じるとは嬉しい誤算でした。友人(中嶋朋子)が、女学生時代に学園の華で、彼女の結婚が決まった時、自殺すると騒いだ同級生もいたと言っていましたが、それが納得の華やかさと品の良さが共存しています。育ちの良い時子は、自分のそんな魅力に無自覚だと思って見ていましたが、板倉に会いに行く時の着物を着る所作と目つきで、それは違うのだと感じました。ゾッとする程の色香が漂う。無自覚なフリをしているだけで、充分に自分の魅力を知っている人だと思いました。嵐の日のキスは確信犯ですね。黒木華も、素朴で従順、そして健気なタキを好演。一歩間違えると、愚鈍に見えたはずですが、彼女の好演のお蔭で、思慮深い女性に映っています。

そんなコケットな時子ですから、「私、この頃おかしいの」とイライラする様子は、夫婦生活が不満なのだなと思いました。夫は政治や経済に長け、仕事に精力的な人。家庭はお留守気味ですが、家族を大切に思う気持ちは伝わる人です。しかし時子は、もっと文化や芸術の香りを欲していたのでは?そこで板倉登場が、欲求不満と重なるのは理解出来ます。しかしここでまた私は違和感。垢抜けなさが純朴ではなく、もっさりした吉岡秀隆でいいのか?あんなに艶やかな時子が夢中になるとは思えない。別のキャスティングはなかったのか?例えば西島秀俊や加瀬亮とか。これは私が単に吉岡秀隆が趣味じゃないからかな?

現代の場面では、楽しかった昔を綴るタキに、そんなはずはない、あの暗い時代にと決め付ける健史との対比が新鮮でした。昭和の初頭、あの小さないえでの暮らしは、タキにとって確実に美しい記憶なのです。美化するなと否定する健史ですが、現代に生きる者には暗黒だと決め付ける時代にだって、美も和みも楽しみもあったと言う事です。これはいつの時代にも通じる事ですね。過去を尊重し学ぶのは、大切な事です。

色んな思いを抱きながら観ていました。そして映画の肝として宣伝されていたタキの秘密。しかしこれもなぁ。小さ過ぎる。大好きだったおうちですよね?奥様を大層慕っていたのですよね?あの家庭を守るためにした事だと、私は取りました。それはのち、時子夫妻が亡くなった時の姿で立証されているじゃないですか。これが終生の悔恨で、タキが独身を貫いた理由なら腑に落ちません。

と思っていたら、親愛なる映画友達から、貴重な情報を頂きました。原作ではタキの時子への同性愛的なニュアンスが感じられるそう。ふ〜ん、なら私の疑問も氷解します。でもどうして描かなかったのだろう?あの描き方は「憧れ」の域です。男装の麗人めいた中嶋朋子で想像しろなら、乱暴だと思うけど。板倉が最後タキを抱きしめたのも、「小さないえ」に時子と並んだタキを描いたのも、中途半端な描写だと思っていましたが、これで納得。板倉はタキの気持ちを知っていたのでしょう。女中の分を弁え、静かに自分たちを見守ってくれた同じ女性を愛したタキに対しての、感謝と贖罪なのでしょう。でも原作読まなきゃ理解出来ないってのは、如何なものか。

情感豊かに描いていたのに、諸々引っかかり、どっぷり映画に浸れなくて残念でした。とここまで感想書いて、ちょっとネットを除いたら、驚愕の事実が。原作では時子は息子を連れて再婚。夫とは夫婦関係がなかった設定らしい。これ重要なポイントですよ。何故描かない?映画ではすっぽり抜けています。映画では、夫の稼ぎも充分な有閑マダムが、寂しさを理由に浮気している風な描き方です。実際私は時子の不倫を、情の濃さを持て余した果てと取りましたから。原作通りなら、抜本的に時子の見方が変わります。最後まで謎が多い作品です。


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