ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
えーと、好きな作品です。が!大小様々に文句言いたい箇所がいっぱい!何故それでも好きなのか、自分でも混乱しているので、今回ネタバレで書きながら検証していきたいと思います。監督は青山真治。
昭和63年の下関に住む17歳の高校生遠馬(菅田将輝)。父・円(光石研)と若い愛人琴子(篠原友希子)との三人暮らし。母仁子(田中裕子)は、セックスの時女を殴る夫の性癖を嫌い、川を隔てた家に一人住み、魚屋を営んでいます。現在の相手である琴子も、時々顔に痣を作っています。遠馬には深い仲の恋人千種(木下美咲)がおり、父と同じ事をするようになったら、どうしようという怯えが、いつも彼を支配していました。
特異な環境に育ちながら、遠馬はそれなりに真面目な高校生のようです。しかし神社の物置でセックスする二人にびっくり。盛のついた感じは、この年代らしいですが、千種の造形に私は疑問がいっぱい。この当時の夏は、今のような亜熱帯のような暑さではなく、高校生位の女子が日傘をするのは稀でした。原作もそうだったかな?
お嬢さんっぽさを醸し出す千種ですが、服を脱ぐと白いお臍まである木綿のショーツを履いている。う〜ん、ちょっと野暮った過ぎないか?この時代女子高生で、セックスまで行く彼氏のいる子は、少数派だったはず。そんな「発展家」の女子が履く下着じゃないな。勝負下着の概念も既にあったはず。結構女性の下着姿は語るんですよ。あの場面では清楚な刺繍でも施した、お臍より下のショーツだと思います。
何度体を重ねても、いつまでも痛がる千種に自信喪失気味の遠馬。しかし妙に達観している千種。そして赤裸々な言葉も平気で口にします。お互い初めてな訳でしょう?この千種の貫禄は、いったい何なんだ。普通は私の体はおかしいのではないか?と、悶々とするはず。あんな卑猥な表現も普通しないわ。最後までわからない子でした。
「なんで俺を親父のところに置いてきたのか?」と問う息子に、仁子は「あの男の息子やから」と答えます。同じ血が流れているからと。しかしそれは本心ではないでしょう。円が琴子が妊娠中に自分から逃げた時、「俺の子供を持ち逃げしやがった!」と憤っています。女性遍歴を繰り返しながら、遠馬はずっと手元に置いていたはずの父。彼なりに父親としての強い愛情を持っており、遠馬を手放さなかったのでしょう。仁子の後述で、息子は父親に殴られた事はないとわかります。だから仁子は籍は抜かず、少し離れたところから、息子を見守るために、あそこに暮らしていたのでしょう。
最初は不可思議で情の薄い女性に見えた仁子が、物語の中で彼女自身の言葉から、段々輪郭を表す手法は良かったです。戦争で失った左手を、婚約者の母からからかわれ、殴って破談にしてしまった程気が強かった仁子が、何故殴られても、円と一緒にいたのか?手がない事で見下して殴ったのではないと、彼女の口から聞いた時、理解出来ました。片手の為あれこれ差別され、手っ取り早く水商売にも行けなかったはず。彼女が戦後に舐めた辛酸までもが、忍ばれました。
それは琴子とて同じ事でしょう。「私の体が良いと言うから」と、バカ丸出しのセリフを言う琴子ですが、遠馬の誕生日の心尽くし等見ていると、女性として温かく行き届いた人だとわかります。多分身寄りもなく、教育も受けず、早くから水商売に出ているのでしょう。男遍歴もそれなりにあったはずです。円の必死の口説きに、真心を見たのかも知れません。父親の悪口を言う遠馬に、「お父さんをそんな風に思うのは、不幸な事」と諭す琴子。泥水の中でもがくような生活なのに、人としての心映えの美しさを見失わない彼女。人って職業や学歴じゃないなと、痛感します。私はこの作品の中で、琴子が一番好きです。
と感じるのは、ひとえに女優さん達の好演のお陰。何かイマイチ円は描き切れていません。女たちが逃げなかった重要な要因は、セックス以外では、殴らなかったからのはず。得体は知れませんが、仕事もしているし、決してヒモではなかったはず。日常では普通の円が、一旦スイッチが入ったら、狂気を孕む人だと思われます。それが仁子の言う「あの男がああいう目つきをするときは、気をつけんといけん」と言うセリフだけで、円の「あの目」は、私は劇中わかりませんでした。雨の中、逃げた琴子を必死で探すのは、絶倫で暴力的な性癖を持つ自分を受け入れてくれる女は、そうそういないからだと思いました。愛より性の男なのです。自分の性欲に翻弄され、その滑稽さも哀れさも自覚できない円。その無教養の哀しみが、こちらに伝わってこないのです。なので、千種を犯した事に平然としている様子も、ただの頭のネジが飛んでしまっている男に見えて、拍子抜けです。
重要なはずの円と琴子のセックスシーンなんですが、もうちょっと荒々しく描けなかったもんか。琴子の様子は良かったです。これから殴られるとわかっているのに、嫌がっていない。ちゃんと感じている風でした。それを変態ではなく、受け入れていると感じさせます。心と体が一致している訳ですよ。篠原友希子、上手かったなぁ。円はもっと動物的に描くべきでは?人間に見えてはダメと言うか。それを事後の後も萎まない、フェイクの性器で表現しているなら、違うと思います。
そして円に犯された千種の様子にも違和感が。傷ついているのはわかりますが、あんなに冷静にいられるもんかな?あの年頃の子が。極めつけは「マァ君は悪くない」です。いや約束の時間に来ていたら、親父にやられる事はなかったでしょう。あの台詞も原作にあるのかな?ホントにこの子はわからない。
父親を殺しに行く息子を制し、自分が向かう仁子。自分たち夫婦の因果を、息子に引き継がせてしまった事に、ずっと自分を責めていたのでしょう。殺す時を待っていたのかも。う〜ん、でも片手の女に、酔ってもいない大の男が、あんなに簡単に殺されるもんかな?このシーンも、もうひと工夫あればなぁ。商売道具の義手で仕留めたのは、もう娑婆には戻らなくても良いと言う母の決意に感じて、良かったです。
原作はここまでらしいのですが、この後も映画は創作で続きます。それは蛇足に感じました。仁子は「あの人」と言う言葉を用いて、天皇の戦争責任を問う発言をします。う〜ん、全くのこじつけに感じました。戦争で壮絶な痛手を負った人はたくさんいる訳で、懸命に生きてきたから、今の日本があるんじゃないでしょうか?その事に執着している暇はなかったはずです。この恨み言のせいで、凛とした仁子の人格が、少しぼやけてしまいました。
琴子も、お腹の子は浮気相手の子で、円の子ではないと言う。女のしたたかさを表現したかったのでしょうが、これも琴子のキャラを汚しています。私はそこで産むから「あの男の子供」になるわけで、知らない土地で自分一人で産めば、「私の子」になるからだと、彼女が逃げた理由を解釈していました。円のあの喜びようは、多分避妊していなかったのでしょう。同時に複数の男性と避妊なしのセックスをすれば、誰の子かわかりません。ドラマや映画で「女はわかるのよ」的な子宮信仰的な発言がありますが、そう思い込むのは、馬鹿な女だけです。琴子はそんな馬鹿には、私は思いたくないなぁ。
千種は仁子の魚屋を継ぎます。あんた、学校は?喧嘩している二人を心配する千種の母が、仁子の口から出ますが、ちぐはぐでしょう?当然反対するはず。それを押し切った風な台詞もなし。そして自分の性癖を気にしてセックス出来ない遠馬の手を縛り、騎乗位でセックスする千種。う〜ん、手を縛ったくらいで、気持ちが落ち着くかな?男の力ならその気になれば、足で押さえつけたり、踏みつけにしたりできると思います。血に苦しむ葛藤の落としどころがこれかい?と、また落胆しました。
それでも私が良い映画だと思えるのは、遠馬を演じた菅田将輝から、血の汚さに葛藤する少年の苦しみに、絶望ではなく未来と瑞々しさを感じたからです。それは遠馬が与えられた業が、自分の人生を左右する重要な事と捉えているからです。無教養な父親を超えた、真摯な人生観だと思います。仁子が無慈悲に「あの男の子や」と言い続けた本心は、ここにあるのだと思いました。
親の業や血の汚さに苛まれる子供はたくさんいます。大人になっても、その葛藤に縛られる人もいるはず。それはちっぽけな事なんだと、嘘くさく語るのではないです。だってちっぽけでは絶対ないから。もがき苦しみながら乗り越える姿を描いた事に、私は感銘を受けました。
ただ、父親の息子への気持ちは描けているのに、息子の父親への気持ちは、性癖を嫌悪する意外は、あまりわからない。この辺は、決して嫌いではないと描く方が、より遠馬の苦しみが浮き彫りになると思います。
役者は菅田将輝は文句なし。私の遠馬の感想も、彼なくば成立しません。それは田中裕子も篠原友希子も同じです。木下美咲は、どうなんでしょうね、私はイマイチでした。光石研は健闘していましたが、ちょっとミスキャストかなぁ。ハンサムな男性ではないと言う点では、着眼は良いと思いましたが、狂気と普段の生活の落差を、もっと見せて欲しかったです。
と、つらつら最後まで文句垂れていますが、感想を書き上げても、好きな作品だと言う認識は変わりません。色んな方と語って、もっと掘り下げてみたい映画です。うん、やっぱり好きです。
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