ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
私の愛するマッツ・ミケルセンが、昨年のカンヌで主演男優賞を受賞した作品。早く観たいなと思っていましたが、来てみると、何とマッツは小児性愛者の疑いをかけられ、孤立無援で四面楚歌と言う役柄!変態の疑いですよ、あなた。本当の変態の役なら、わぁ〜面白そう〜と思うけど、愛する人が変態に間違われる役をするなんて、辛くて観たくないもん。おまけに監督のトマス・ヴィンダーベアはドグマ系の監督で、今作が初見ですが、私はトリアーが嫌いなもんで、必然的にドグマも苦手。尻込する理由が満タンで、出来れば避けて通りたかったのです。でも親愛なる映画友達の方が傑作だと言うので、勇気を出して観てきました。いや観て本当に良かったです。私の愛するマッツの集大成のような役柄だったし、監督も隅々まで行き届いた演出で、非常に感銘を受けました。
教師だったルーカス(マッツ・ミケルセン)は、学校の閉校で失職。妻とも離婚し、一人息子マルクスは妻が親権を取っています。やっと幼稚園で職を得て、息子とももう少しで暮らせる予定です。しかし園児の一人で親友テオ(トマス・ボー・ラーセン)の娘クララ(アニカ・ヴィタコブ)の嘘から、クララに性的虐待を与えたと決めつけられ、職は解雇。街中から村八分のような扱いを受けます。
冤罪とは、いとも簡単に出来上がるのだと震撼しました。クララから「告発」された園長は、ルーカスに釈明の機会を与えない。調査員の聞き取りは、まるで誘導尋問で、頷くか否かだけで事が進められます。疑わしきは罰するです。他の園児まで、あたかも自分が被害にあったように、記憶が捏造されるのです。これは親の思い込みのせいでしょう。デンマークには、「酔っぱらいと子供は嘘をつかない」と言うことわざがあるそうで、それも拍車をかけているのでしょう。
クララは嘘をついても、何の得にもならないと周囲の大人は思っている。しかし嘘をつく前の様子は、クララは明らかに両親から邪険に扱われ、両親の不仲に心を痛めていました。自分を包容してくれるルーカスに、愛情を向けるのは自然な事です。なのにプレゼントや、唇へのキスをたしなめるルーカス。自尊心が傷ついたのでしょう。
クララは何度も「想像力豊かな子」と表現されますが、それにしても、この女心と報復の仕方は、同世代の男子では有り得ないです。女とはオムツが外れた時から怖いもんですね。調査の時のアニカの演技がまた秀逸で。おどおどした素振りは見せず、しかし質問の時、顔を歪めながら、何度も鼻をすする姿はチック症状のようで、動揺しているのがわかるのです。この場面の緊迫感は、アニカちゃんのお手柄です。
田舎町の小さなコミュニティなのでしょう、街中はみんな知り合いです。微笑ましく親睦をはかる様子が描かれ、テオやその他の友人たちも、多数がルーカスと幼馴染で、彼の人柄は熟知しているはずなのに、手の平を返したような様子が恐ろしい。でももっと恐ろしいのは、私もきっとこうなるだろうと思った事です。
作品では、ルーカスが無実だと判って観ていますが、街の人々は誰も真相を知りません。事件は誰もが睡気すべき幼児への性的虐待容疑。もし私に幼い子供がいるなら、どんなに可愛がってくれた人でも、あの人にはもう近づくなと言うでしょう。魔女狩のようだと嫌悪させながら、あなたもこの人たちの気持ちがわかるでしょう?と、監督に言われているようです。
ひたすら身の潔白を言い続け、理不尽な仕打ちにも毅然と対応するルーカス。私なら逃げ出します。でもそれは、罪を認めた事になるのでしょう、彼はしっかり前を向き続けます。私が救われたのは、息子のマルクスと幼馴染の一人が、ルーカスを信じ続けた事です。本当に誰もいなかったら、ルーカスは無実を訴え続けられなかったと思うのです。そして私が感銘を受けたのは、クララの嘘を信じる大人たちには歯向かうけれど、ルーカスがクララを赦していた事です。教育者とは、こうありたいものだと痛感しました。
一つ疑問に思ったのは、刑事事件にまで発展しているのに、ルーカスには弁護士が付かなかった事です。日本とは事情が違うのでしょうが、ここは謎でした。
耐えているだけだったルーカスが、スーパーで反撃に出た時、街の人は頭がおかしくなったと思ったでしょう。私もそうかと思いました。でも違う。それはクリスマス・イブの集会に、教会へ行く直前の、高ぶった気持ちの現れだったのでしょう。思えば神の子キリストも、謂れ無き受難に合った人です。信仰心を示すこの場に堂々と出席する事は、ルーカスに取って最大の弁明だったのだと感じました。
私がマッツが好きなのは、知性があって誠実感があり、繊細な雰囲気である事です。かと言って線が細く弱々しいのではなく、男性的骨太感や包容力があり、セクシーです。その全てがルーカスに表現されていました。ハリウッド作品に出ることも多い彼ですが、今イチそんな特性や卓越した演技力を生かしているとは思えず、ちょっと大味な役柄ばかり。やはり彼は母国デンマークやヨーロッパの作品が似合うようです。今回も抑えた演技を要求される中、教会での賛美歌に涙する姿、怒りの頂点を表す気高さは、カンヌの主演男優賞にふさわしい堂々たるものでした。今までは「アフター・ウェディング」の彼が一番好きでしたが、今はこの作品が一番です。
物語はラスト近くで大きな転換を迎え、急速に救済されます。ルーカスとテオが向かい合う場面が秀逸。何転もしながら、また二人は親友に戻るのだと理解しました。テオの心の移り変わりは、男の友情は、女同士の友情とはまた違う絆があるのだと感じ、細やかな演出が冴えていました。
しかしラストのラスト、監督はまた謎をかけてきます。その前の和やかな様子に、女性たちがあまり加わらない事に、少し居心地の悪さを覚えたのは、私の気のせいだったのでしょうか?この作品の原題は「ハンター」。魔女狩のようにルーカスを追い詰めた町の住人たちは、ハンター。獲物はルーカスだったはず。獲物でなくなっても、狩りはするなと言うことでしょうか?新たな局面ですが、この受難にも、ルーカスはきっと立ち上がると信じています。
|