ケイケイの映画日記
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2012年12月20日(木) 「フランケンウィニー」(2D 吹き替え版)




う〜ん・・・。とても良かったのです、ラストまでは。この作品の元の短編映画「フランケンウィニー」は、確か「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の時、上映していて、私は見ているはずなのですが、シェリー・デュバルが出ていた事以外、さっぱり覚えていないのです(なので、ある意味デュバル、すごい!)。聞くところによると、実写と今作のアニメとは、同じオチなのだとか。と言う事は、実写の時は私は落胆しなかったのかしら?ラストまでは満点つけてもいいくらいだったので、本当に残念!

科学が大好きな少年ヴィクター。友達のいない息子をパパは心配しますが、ママは個性だと言います。ヴィクター自身は、実験室の屋根裏部屋と愛犬スパーキーさえいれば、それで毎日幸せでした。しかしある日、交通事故でスパーキーが亡くなります。スパーキーのいない日常に耐えられないヴィクターは、ジクルスキ先生の科学の授業をヒントに、スパーキーを生き返らす事に成功します。大喜びのヴィクター。しかしスパーキーの蘇りは、とんでもない事件を引き起こすのです。

CGではなく、白黒のストップモーションアニメです。一週間に数シーンしか進められないのだとか。まずは上の画像をご覧あれ、不気味な容姿の登場人物たちですが、動き出すととても可愛らしく、そして温かさとペーソスが溢れます。この愛らしさこそ、異形のものに愛を吹き込んできたバートンの心映えです。久々にバートンらしさを強く感じ、まずは出だし好調。

ヴィクターの両親は欠点を含めて、良き親です。パパはスポーツはイマイチのヴィクターに、野球をやれと勧めます。男親と言うものは、お勉強が出来る息子なんだから、スポーツも、と思うのですね。「文武両道」が今も正しいのでしょう。平和的でもこれは押し付け。親の願望であって、子供の事を思っているとは思えませんが、子育ての最中は、子供のためと誤解しがちでなものです。ママは大人しいヴィクターに対して、何も疑問はない模様。友達がいなくっても、虐められている訳じゃないし、私は正解だと思います。本が大好きで、ヴィクターの「企みに」に全然目が届かないけど、これは息子を信じているが故の所作でしょう。

そして夫婦仲の良さが、さりげなく描かれるのがいいです。だからヴィクターは、親のご機嫌を取る必要もなく、自分の好きな事に没頭できるわけです。ヴィクターがスパーキーを亡くした時の描写は、彼の絶望感がとてもよく伝わり、思わずホロホロ貰い泣きしたほど。なのでいけない事ですが、スパーキーを生き返らせたい心情に添えました。その時の様子も、結構なスペクタクルで、感心しました。

ヴィクターの秘密が大人にではなく、子供たちだけに漏れてしまう様子も、うんうんと観る。そうなのよね、知らぬは親ばかりなりでね、子供はたくさん「秘密」をもっているものです。それが当たり前。そのことで窮地に追い込まれた時、一緒に尻ぬぐいをするのも、親として当たり前だと思うのですね。それもきちんと描かれていました。私は超文系人間で、科学はまるでダメなのですが、ジグルスキ先生の「科学を愛する」と言う言葉は、とても素敵なセリフだと思いました。脳で理解し心で愛せ、かな?こうして科学を愛する人がいて、人はその恩恵に預かっているのだと思いました。

劇中、怪獣映画のようになり、これは「ガメラ」か?「グレムリン」か?の大惨劇が引き起こり、ウォ〜と感激します。白黒なので、シルエットの使い方が場面をより盛り上げ、効果的でした。あぁそれなのに!

どうしてヴィクターとスパーキーの強い絆を感じさせるだけで終わらなかったの?あれでは返って命が軽くなってしまいます。だって蘇ってからのスパーキーは、とても自由と言える状態ではなく、私には幸せには見えませんでした。いくらヴィクターに愛を注がれようと、自由のない生き方が不幸せなのは、人間だって犬だって一緒です。だから公明正大に自由を手に入れるために、あのラスト?超許せません!これはディズニーの仕業か?これこそ、人間の身勝手そのものです。

と、私的にラストだけが大いに疑問ですが、それだけで否定してしまっては、もったいない作品です。古くからのバートンファンには、この心優しさは嬉しいはず。ちょっと怖がるかも知れませんが、小さいお子さんにも、是非観て欲しいと思います。ラストの見解は、保護者の方にお任せしましょう。


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