ケイケイの映画日記
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2012年11月23日(金) 「ふがいない僕は空を見た」




「あんたは誰にも謝らなくていいよ。生きててね」と語る原田美枝子演じる主人公卓巳(永山絢斗)の母の台詞を聞いたとき、あちこち綻びのあるこの作品に、私が何故惹かれたのか腑に落ちました。他にも二人母親が出てきて、ヒロイン里美(田畑智子)の亡くなった母も含めると、若い彼らが何故あのような行動に出たのか、理解出来る気がしました。監督はタナダユキ。

高校二年の卓巳の家は、母が営む助産院で生計を立てています。卓巳は友人に誘われたコミケであんずと名乗るコスプレ姿の主婦・里美と知り合います。彼女の誘いから情事を重ねる間柄となります。同じ頃、卓巳の親友良太(窪田正孝)は、母親が家出し、認知症の祖母を抱えコンビニでアルバイトしながら貧困に喘いでいました。

冒頭からコスプレ姿の二人のセックスシーンが映り、全然予備知識がなかったので、ちょっとびっくり(18禁と言うのも後で知る)。しかしいつもと違う、笑顔が少なく年齢より幼い憂いのある脆い里美を、田畑智子は好演していました。里美はサラリーマンの夫とふたり暮らしで、不妊治療をしており、姑(銀粉蝶)からはその事できつく当たられています。

この姑の様子が一種ホラー。最初は穏やかに、段々真綿で首を絞めるように、そして恫喝。銀粉蝶がお芝居上手なので、孫に妄執する初老の女の怖さだけではなく、哀しみも感じさせるのです。その思いは理解出来るものの、子供夫婦の事に口出しする浅ましさは、私は嫌いです。このお母さん、夫存命の時から、母親以外の自分はなかったんでしょうね。子供が巣立つ少し前から、女は母親以外の自分も準備しなくちゃ。

夫は無神経で気持ち悪いし、姑はこれだし、そりゃ浮気もしたくなるわなと里美の気持ちは同情できます。しかし専業主婦でコスプレ姿でコミケに行く時間があり、セックスの度(多分)に卓巳にお金を渡す様子は、これはダメでしょ?夫の稼いだ金で浮気なんかするな。里美はアニメの主人公に未だ恋心冷めず女性です。自分のヒーローに似た卓巳との情事は現実逃避であり、お金という媒介を通すことで、かろうじて自分を納得させているのでしょう。幼さと年齢相応の浅はかな「言い訳」。きっと離婚したかったのでしょうけど、母は亡く帰る家がない。それでも突っ走る強さは、彼女にはなかったのでしょう。

ただ何故この夫と結婚したか?虐められていたと語るだけで、その経緯にふれていないので、全面的に彼女に同情出来ません。「ヤリマン」など悪口がかかれているノートを未だ所持しているのも不思議。そのノートには自分が書いたヒーローの似顔絵が書かれていて、捨てるに忍びなかったのかも知れませんが、それなら悪口の部分を破けば済む事。何故「ヤリマン」と呼ばれるようになったのか、そこも描かれないので、せっかく田畑智子が里美を繊細に熱演しているのに、これではただのあばずれのように思えてしまいます。

視点を変えて、何度も繰り返す同じシーンも、わかりづらいだけで上手く機能していません。これは時空を弄らず、そのまま撮った方が良かったと思います。卓巳の心情は描き方が浅いのではなく、永山絢斗の演技が一本調子なので、わかりづらいだけだと思いました。

ある事で卓巳が不登校になってから、主体が良太に移って行きます。監督の思い入れが強いのか、窪田正孝の好演とが相まって、こちらの方が見応えがあります。彼の現状を知る卓巳の母は、お弁当を渡すも良太は廃棄。施しが嫌なのだと思っていましたが、彼が団地の同級生純子と、ある不可思議な行動を取った時、あれは卓巳に対する嫉妬なのだと思いました。同じように父親がいない自分たち。母親に甘えて塞ぎ込む場所のある卓巳対して、高校生の自分から、金をむしる取るような母親しかいない自分。自分を取り巻く劣悪な環境に対して、怒りの矛先を「いい気な親友」(に見えたと思う)にぶつけた良太の心情は、わからなくもないのです。

助産院まで誹謗の対象になっているのに、「あのバカ」としか言わず、怒りもせず学校へ行けとも言わない卓巳の母。その代わり、一緒に恥をかく。冒頭書いた台詞を聞いた時、子供を見守ると言う事は、こういう事なのだと涙が溢れました。思えば苦境に陥る良太を観ながら、私は泣けませんでした。それは良太が歯を食いしばり耐えたから。彼は泣かないのです。知らず知らずに見守る気持ちになっていたのでしょう。私が泣いたら、彼を見守れないもの。卓巳の母のお弁当の気持ちが初めて良太に届いた後は描かれませんでしたが、今後の事は卓巳の母に相談すると思いました。

私も子供に何か特別な事をしてやった母親ではありません。心がけたのは毎日の食事は出来るだけ自分の手で作り、お弁当もしっかり作る。中学を卒業するまでは、子供が家に居る時は私も遊びに出掛けない。仕事以外では帰宅を待って「お帰り」と迎える。それだけです。卓巳の母も、安定した病院の助産師を辞して、自宅で運営の大変な助産院を開いたのは、理想のお産を目指すだけではなく、卓巳の為だったのかも知れません。きっと卓巳の父親が出奔してからなんだろうなぁ。

助産師として、生まれてすぐ亡くなる子供について言及する卓巳の母。何故生まれてきたのか、未だにわからないと。それは私もいつも考えている事です。死産もしかりですが、生まれてすぐ殺されるために生まれて来たような赤ちゃんの事を聞くと、いつもいつも暫く考えてしまいます。何かを親に教えるため?それだけでは、あまりに赤ちゃんたちが不憫です。少しでもそれを探りたくて、たくさんの命を守って下さいと祈る卓巳の母に、とてもとても共鳴したのが、私がこの作品が好きな理由です。この作品に出てくる母親三人は、みんな夫がいません。母親の在り方が、子供の人生を左右すると言われている気がしました。

人間は皆、何かしら欠落を抱えて生きています。それをどう捉えるか、どう対処するかによって、人生が変わって行くと思うのです。逆境を経て各々自分なりの身の施しを学んだ様子が映され、嬉しく思いました。女性だけど男前の助産師みっちゃん先生(梶原阿貴)の痛快さも、お見逃しなく。


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