ケイケイの映画日記
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名匠ジェームズ・アイボリー監督の作品。もう84歳なのですね。この年齢らしい地味深さと、年齢に似つかわしくない瑞々しさとが共存した、とても美しくて清楚な作品。
アメリカの大学で研究室に所属するオマー(オマー・メトワリー)は、一作の名著だけ残し自殺した作家ユルスの自伝を書くため、遺族の許可を得るため、はるばるウルグアイの人里離れた邸宅を訪ねます。遺族は未亡人のキャロライン(ローラ・リニー)と愛人のアーデン(シャルロット・ゲンズブール)と、ユルスの間に出来た娘。広大な敷地の離れにユルスの兄アダム(アンソニー・ホプキンス)と彼の25年来のパートナーであるピート(真田広之)が住んでいます。頑なに自伝を嫌がるキャロラインのため、滞在が長引き、オマーとアーデンの間には、仄かな愛が芽生えますが、オマーが怪我押をし、彼の恋人ディアドラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)も、アメリカからやってきます。
ウルグアイにやってきた言葉のわからにオマーに、賑やかに手を貸すこの地の人々。湿り気のある風景も温かく感じ、作り手の思いが伝わります。大らかな風土は、正妻と愛人の同居と言う奇妙さ、同性愛の年の差カップルも抱擁してくれるのでしょう。
ユルスが生きている時は、家庭の中で妻の存在感が一番大きかったはず。しかし夫亡き後、「家族」を見渡してみれば、血の繋がった娘と伯父、娘の母親であるアーデン、そしてアダムと養子縁組しているピートと、皆が繋がっているのに対して、妻であるキャロラインだけが浮遊していたはずです。その苦しみが、オマーを最初に見る時の窓に映る、彼女の般若のような顔だったのでしょう。心優しい家族たちは、その事に気づきながら、妻のプライドを傷つける事なく暮らしてたはずです。そこへ部外者のオマーの登場で、一気にそれぞれの気持ちが吹き出したのだと思いました。
人生には喜怒哀楽の感情の他に、「苦さ」があると思うのです。苦しさ悲しさに通じるけれども、それらを受け入れ飲み込む感情。挫折や思い通りにならない人生に、もどかしさを感じながら生きている人々が持つ気持ちです。ディアドラは若くて才色兼備。物事も白か黒しかなく、正しい事しか言わず自分の気持ちに正直です。しかしそこには、他者への思いやりはありません。
決して悪人ではなく、オマーへの愛を充分感じる彼女は、彼の地では空回りばかり。彼女の人生にはなかった、NOばかり言われる毎日です。人生の淵でもがきながら、しかし相手を傷つけないように慮って生きてきた彼ら。それを肥やしに、知らず知らず強さに衣替えしたのでしょうね。そんな人たちの前では、一般的な定義の正義=ディアドラなんて、値打ちのないもんだなぁと感じます。人生には白黒だけではなく、様々な濁った色もあり。それを知るのは人生の苦味を知っている人なのでしょう。
この家の人たちは、いつもいつも自分は捨てられるのではない?そういう恐ろしさに苛まれて暮らしていました。オマーの登場によって、皆が自分の確固たる居場所を見つけられた姿が心優しいです。
真田広之が、名優たちに混じって遜色なく映画の世界観にマッチしているのに、すごく感心しました。ラストの描写がウィっとに富み、微笑ましいです。ディアドラも人生の苦味を知ったのですね。でも性格は変わらないみたい。学習しても、自分は自分であるべきです。最終目的地は、人それぞれなのですから。
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