ケイケイの映画日記
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2012年10月20日(土) 「イラン式料理本」




実に愉快痛快!監督のモハマド・ジルワーニが、自分の身近な老若の100歳から若妻世代までの女性に、料理についてインタビューし、調理の様子を映すドキュメント。もう、みんなとお友達になりたいわ。特に私と同世代以上の女性たちは、翻訳機があれば一晩中だって楽しくお喋り出来そうです。台所を預かる主婦の哀歓は万国共通であると共に、しっかりイランのお国模様も見えてきます。秀作「別離」の主婦シミンが、何故あんなに娘テルメーのアメリカ留学に固執したか、それも感じ取れます。

登場の女性たちは、監督の実母、義母、妻、妹、友人の母(100歳!)、母の友人、叔母の7人です。台所に監督がお邪魔して、調理の間、自由に皆に語って貰います。口の減らない人、大人しい人、気の強い人。様々な家庭の事情が垣間見られます。

伝統的な手のかかる家庭料理を作る中年女性たちには、主婦としての誇りが感じられます。結婚年齢は一様に早く、13,4歳のローティーンだと語られ、100歳のおばあちゃんなど、何と9歳!。そして口を揃えて「姑に躾けられた。最初は何も出来ず怒られてばかり」。まだまだ自我が確立する前の結婚は、婚家に馴染みやすく口答えもせず、夫側には都合良かったのでしょうね。しかし低年齢の結婚は、=低学歴でもあります。これはセネガルの佳作「母たちの村」でも描かれる、女性たちには学をつけず、「心を閉じ込めよう」とする行為だと思います。それが当たり前だった時代に嫁いで来た母たちは、娘には学をつけ、この悪しき環境から脱して欲しいという気持ちが、「別離」のシミンだったのだと、気がつきます。

しかしながら、そんな封建的な時代もくぐり抜け、今やイランの女性もぐっと強くなったとか。イラン版肝っ玉母さんの義母が語る、嫁人生の痛快な事ったらないの。結婚当初は同居で、家族分+毎日来る友人知人のために、山のような料理を作ったとか。「夫とは日に一時間くらいしか一緒にいなかった。やっと独立して二人だけになり、嬉しくていちゃいちゃしていたら、子供が五人も出来ちゃった」。アハハハハ!この人が料理自慢のようで、「最近の若い子は料理を嫌がる」と文句を言いつつ、手のかかるイラン料理を丹精込めて作って行きます。

姑さん登場からがハイライト。「お義母さん、何故若い頃は私を苛めたの?」「苛めたんじゃない。躾たんだよ。」「あれは苛めよ。あら、お母さんがごちゃごちゃ言うから、間違ったじゃないの」「・・・悪かったよ」「いいのよ、今は私がボスだから」ガハハハハ!
と言うところで、夫が登場。母に親愛の情を示すと、「母親には挨拶して、妻には?全くこれだから」「母さんはお客じゃないか。お前には二人ががりでも勝てやしないよ・・・」「そうよ、体重だってあんたの二倍よ」。

もう圧巻の面白さ!何処の国も古女房てのは、強いもんなんですね。この強さ、苦労の数ほどスペックが上がる。妻と言うのは、とにかく結婚当初から今に至るまで、流した涙は全部覚えているもんです。うちの夫が私が初めての子を妊娠中、「俺の家系には一切悪い血は流れてないから、生まれて来た子に何かあったら、全部お前のせいやぞ」と言われた事、死ぬまでどころか、墓場に入ってもワタシ、絶対忘れませんから。だから数十分の彼女の語りで、「おしん」のような苦労や怨念がわかるのです。この辺の感覚は日本もいっしょですね。いや、万国共通の主婦感覚かな?

そんな義母に育てられたはずの監督夫人は、インスタント料理のオンパレードで、急に友人を連れて来た夫を詰る詰る。まぁ気持ちはわかるけど、開き直りは戴けません。ちょっとくらい恥だと思わなきゃ。それは「料理を作るのは妻」と言う概念に、不満がいっぱいなのでしょう。

出てくる料理は軒並み五時間以上かかるのに、老いも若きも夫たちは一様に、「一時間くらいか?」とのたまう。あんたたち、バカですか?当然の如く後片付けも労いの言葉もなし。妻たちが痛々しくて見て居られません。その中で異彩を放つのが監督のお父さん。監督の母はイラン型良妻賢母と言う風情で、穏やかな優しそうな人です。お父さんもまた、この年代には珍しく、後片付けを手伝い、妻に労いや感謝の言葉を忘れません。この夫にしてこの妻ありなのでしょう、一方通行ではこうは行きません。一方監督の義母さんは夫を教育して、「今は優しくなった」のだとか。あら、うちと同じね。この辺の事情も、どの国にも当てはまります。

私の母は料理下手でした。当時まだ珍しかった冷凍食品がお弁当に詰められ、女の子のお弁当なのに彩も考えず、茶色ばっかり。色取り取りの友達のお弁当が羨ましくて。夕食はと言うと、市場の天ぷらやさんで「別注で揚げてもらったから」と鼻高々で冷えた天ぷらを出され、肉屋でまた別注でオーダーカットした、サーロインステーキとご飯「だけ」、味噌汁もサラダもなしの、豪華で貧しい食卓。煮物などはお惣菜屋さんで買い、気合が入るのは法事とお節だけ。時々手料理は作りますが、魚を焼いただけでも「手料理」なので、自分は料理が上手いと錯覚していました。

文句は言いたかったけど、言いません。言うと天地がひっくり返るくらい怒るので。母が料理に情熱を持てなかったのは、夫である私の父との不仲が原因です。子供は愛していても、砂の城のような家庭は愛せない。なさぬ仲の息子たち(私の腹違いの兄たち)の料理なんか、作るのはまっぴら。でも自分の娘たちは可愛い。それが子供には分不相応な、オーダーカットのサーロインだったり、特上の握り寿司が食卓にしょっちゅう並ぶ理由です。

料理というのは、作るだけじゃない。予算を決めてスーパーに行き、材料を吟味して調理にかかり、後片付けまで。家族の誰かが風邪をひけば温かいものを、お腹をこわせば消化の良いものを。今日は上等のお肉が安くてすき焼きにしたいけど、夫が職場の宴会なので、別の日にしましょう。こんな風に家族の顔を思い浮かべながら、主婦は毎日の料理を作っています。だから、家のご飯を食べたら、ホッとするでしょう?それは家庭の味=妻・母の愛情だからです。

長男次男が小さい時、夫婦喧嘩して夫が出ていった後、床に座り大泣きしていた私に近づいてきた三歳の長男は、ぞうきん(小さいので、タオルを置いてあるところまで背が届かない)を持ってきて、私の涙をふいてくれました。「お父さんが悪いねぇ。お母さんは悪くないよ。僕、わかってるから。でもお父さんの晩ご飯は作ってあげてね」と言います。近寄って来た次男共々、ついでにぞうきんも握り締め、そんな長男を抱きしめて、また大泣きする私。そして気を取り直し、幼子二人を自転車の前と後ろに乗せて、スーパーに買い出しに行った日が、昨日の事のようです。

監督の友人は、童女のような100歳の母を愛しげに何度も抱きしめ、そしてキスする様子が微笑ましくて。もう料理は作れなくて、まだらボケのようなママは、でもしっかり料理のレシピは覚えており、語ってくれるのです。この母と息子にも、私と長男のような思い出があるのかな?彼にもお袋の味は、記憶に舌に、しっかり残っているのでしょう。

母の料理に不満がいっぱいだった私は、結婚したら、ご飯は絶対手料理中心で、と決めていました。うちの息子たちは有難い事に私の手料理を、「お母さんの料理は美味しいか、めっちゃ美味しいの二種類しかない」と言ってくれます。あな嬉しや。夫はと言うと、毎回「今日は美味しかった」ですと。毎回なら「今日も」やろ?また教育しなきゃ。本当に息子三人、心身ともに健康に育ってくれて嬉しい限り。これみんな、私の作るご飯の御蔭ですから。夫よ、わかってる?

料理を征する者は、家庭を征す。若い奥さん方、家庭のイニシアチブを取るには手料理ですよ。くれぐれもあっと驚く映画の結末のようにならない事を祈ります。ご主人方もね。


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