ケイケイの映画日記
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2012年08月12日(日) 「トガニ 幼き瞳の告発」

打ちのめされました。目を覆いたくなる内容は、現実に起こった実話です。韓国の人気作家コン・ジヨン(女性)が、偶然新聞で見つけた小さな記事。内容がよくわからず、彼女が調べ始めた事がきっかけで、このおぞましい事件は小説となり、こうして映画化されます。映画を観た国民たちは、腐敗した警察や教育者を糾弾します。この作品がきっかけで再び警察は捜査を再会し、ほとんど「お咎めなし」の状態だった容疑者たちや学校に罪を償わせ、廃校にまで追い込んだそうです。作品としての完成度は決して高くないと思います。しかし社会を動かした、その力強さの前には、そんな事はどうでも良くなりました。監督はファン・ドンヒョク。

韓国の片田舎ムジン。イノ(コン・ユ)は、そこにある聴覚障害者の学校の美術教師として、赴任します。妻は亡くなり、幼い娘は母と共にソウルの残しています。学校には不穏な空気が流れ、子供らしい溌溂さの欠ける子供たちに疑問を感じるイノ。その上双子の校長や行政室長は、公然と教職に付くための賄賂を要求します。ある日自分の生徒ヨンドゥ(キム・ヒョンス)が、寮の寮長にすさまじい暴行を受けているのを助け、ムジンで知り合った人権センターに勤めるユジン(チャン・ユミ)に連絡を取ります。ヨンドゥと話したユジンは、男女数人の生徒が、校長を含む教職員から性的暴行を受けていると、イノに連絡してきます。

「闇の子供たち」を見た時と同じ憤りを感じました。教師たちの毒牙にかかった子達は、自身も聴覚障害者なら、親も知的障害や精神障害を負っていたり、孤児である子です。底辺の弱者と言う共通項があります。そういう子を選んでいるのです。私は成人した大人がどんな変態的な性癖を持っていようが、犯罪でなければ個人の自由だと思っていますが、小児性愛だけは断じて許せません。目の前に描かれる「現実」は本当に居た堪れません。作り手がこの子たちが感じた恐ろしさや辛さ、それを観客に体感して欲しい、その思いがこれらのシーンを生んだように思います。

イノは長く失職しており、この職場も恩師の紹介でやっと入職出来た職場です。大黒柱として働かなくてはならない身。告発すれば学校には居られません。見て見ぬふりを決め込む「大人の倫理」と、本来の彼が持つ正義感との葛藤も描かれ、私なら?と観客の自問自答を促しています。

作品は、はっきりイノの行動を支持します。一見口喧しいイノの母の存在で、それを表します。ズケズケ息子に物を言うこの母は、夭折した嫁が息子に尽くしてくれた事を今でも感謝し、校長に渡す賄賂のため、家まで売ります。教え子の窮地に奔走する息子に、「賄賂を要求する校長が良い人だと思うはずがない。しかし世の中とはそういうもの。お前が一番に考えるのは、教え子ではなく自分の子供だ」と言います。全くその通り。しかしそれは「賢い」生き方ではあるけれど、「正しい」生き方ではないのです。

どちらを選択するか?裁判で命懸けで証言する子を見て、「世の中には悪い大人もいるものだ」とだけ言い、子供たちにお菓子を渡す母。あれは私たち観客なのでしょう。息子を理解し支えると決めたのです。賢い生き方を選択すれば、安定した道は開かれるでしょうが、いつもいつも後暗い心を引きずるはず。何故なら人としての尊厳が失われたままだからです。

公開された韓国映画を観ていると、残念ながら、まだまだ権力者の圧力が蔓延り、富める者貧しき者の格差は歴然です。この作品でも即物的に金銭を受け取る被害者の親族が出てきます。無念ですが、その気持ちはわかるのです。警察や司法、財力者の腐敗は、日本よりずっと大きく、そしてそれを社会はまだ容認しているのでしょう。

ですが、韓国の映像作家たちは、国だけではなく自国民の民度の低さも許していません。他の作品からもそう感じるのです。主演のコン・ユは、この作品の原作を兵役の時の昇進時、上司からプレゼントしてもらい、映画化を熱望したのだとか。国民の義務ではありますが、入りたくもない軍隊に入り、彼は自分に取って国家とは?国家にとっての自分とは?との思いを抱いたはずです。国を愛するからこその、映画化への熱望だったのだと思います。「絵ばかり描いている」(母親談)イノは、現実を見ず青臭い理想に走っていたはずです。その理想を具現化して真の大人になるのか?彼は試されているのです。この学校は彼を待っていたのでしょう。コン・ユが兵役中に原作と巡り会ったのも同じ。俳優としての社会的意義を果たすべき、とコン・ユも捉えたのでしょう。

子供たちの熱演には目を見張りました。監督は子供たちのトラウマにならないように細心の注意を払ったそうですが、正直心配になるほど。この作品に出演した事を、誇りに思って欲しいです。

前半、容疑者たちが逮捕されるまではスピーディな展開で良かったですが、逮捕された後の学園は混乱したはず。その様子は描かれていません。そして告発したのは三人の生徒だけですが、その他の生徒の聴き取りの様子もないし、過去を遡っての調査の様子もありません。証言台に立つのは守衛だけで、イノの同僚教師たちにはなし。その他も説明不足ではないのですが、描き足りない部分が感じられたのが、少々残念でした。これがあれば、掛け値なしに傑作だったと思います。

しかし観るべき志の高い作品であるのは、間違いありません。この映画のラストは、微かな希望を抱かせるものでしたが、その希望は観客の手によって現実となりました。韓国人は民度の低さに甘んじているわけではなさそうです。


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