ケイケイの映画日記
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2012年03月12日(月) 「SHAME -シェイム-」

傑作だと思います。演技、演出、音楽、小道具に渡る隅々まで無駄がなく、主人公の心模様がくっきり浮かび上がります。出てくるシーンの半分は、主人公のセックスシーンでしょうか?セックス依存症の若い男性の、心の底に秘めた狂おしい感情を二時間弱共有して、とてもとても辛くて、もの凄く切なくなる作品。監督はスティーブ・マクィーン(嘘みたいな名前ですね)。

ニューヨークの高級マンションに住むブランドン(マイケル・ファスベンダー)。仕事もでき容姿も魅力的な彼ですが、恋人はおらず、女性とは心の関わりは持たずセックスするだけ。行きずりの女性や娼婦、パソコンにはアダルトの動画がいっぱいで、風呂場や職場のトイレでもマスターベーションしています。セックス依存症ですが、彼なりに日常生活に支障はなく淡々と毎日が過ぎて行きます。ある日妹のシシー(キャリー・マリガン)が現れ、恋人に振られたため、当分住ませてくれと言います。仕方なく承諾するブランドンですが、人とは深く心を繋ぎたい恋愛体質のシシーの出現は、バランスを保っていたはずのブランドンの生活を、蝕み始めます。

ブランドンはいわゆるヤッピーで、都会に暮らすハイソな男性の歪な孤独を描いた作品だと想像していたのですが、私の解釈が当たっているなら、これはもう、煉獄に身を焼く苦しみでしょう。以下ネタバレ含みます。








冒頭からセックスシーンで、マイケル・ファスベンダーのオール・ヌードが出てきてびっくり。以降あらすじに書いた過激なセックスシーンが満載なのですが、これがちっともエロくない。快感は伴うのでしょう、しかし無機質な排泄行為にしか感じません。これこそがブランドンの心の中なのでしょう。無機質でいなければならない理由は、シシー。ブランドンの愛する女性は、血の繋がったシシーだと思います。依存症とは、何かから逃避したいが為に起こる症状で、それは妹への愛なのだと思います。

お風呂場で全裸姿を兄に見られても笑顔でそのままのシシーに、何か変だなと思いました。その後、幼い子が親にまとわりつくように、何かにつけブランドンにじゃれつくシシー。それと並行して、誰彼構わず男性に愛情を求め、寝てしまう彼女。

シシーもブランドンを兄として以上に愛しているなら、納得出来るのです。妹ではなく、恋しい人への行動だとしたら、全然奇異ではありません。愛する兄とは結ばれる事ができないから、その心を満たしてくれる男性を探したい。すぐ寝てしまうのは、その間だけでも「愛されている」と心が満たされるから。錯覚でも良いのでしょう。

職場のパソコンに猥褻な動画を保存していることがバレて、上司に注意されるブランドンは、職場の同僚をデートに誘います。普通になりたいと願っているのです。ぎこちなく弾まない、しかし誠実な会話。彼女となら恋愛関係になれるかと期待するブランドンですが、何と彼女とはセックス出来ない。少しでも感情が湧くと、ダメなのですね。そこにシシーへの想いの深さを痛切に感じさせます。

私は女性が男性とすぐ寝てしまうのは、自傷行為だと思います。しかしブランドンを観ていると、彼のセックス、いいえ「射精」も、自傷行為のように感じました。後半シシーとの諍いに心乱れる彼は、実際にどんどんインモラルで危険な行動を取ります。それは自分を救われない境遇に置き、貶めたいからかと言う絶望を感じます。もう快楽も快感もないよう無機質なセックスを繰り返すブランドンと、恋愛体質のシシーは、全く違うように見えますが、実は同じで表裏であるのかと思います。

彼らはアイルランドからアメリカに渡ってきています。故郷へは帰らない彼ら。歌手であるシシーの歌う「ニューヨーク・ニューヨーク」に、滅多に感情を露にしないブランドンが、一筋涙を流します。二人は同じ気持ちを抱いてニューヨークに渡ってきたのでしょう。故郷で何があったのか、映画では語られません。予告編に「逃れられない過去」と出てきます。それがブランドンの「シェイム=恥」なのでしょうか?それはシシーに対する許されない気持ちなのでしょう。

「私たちは悪い人間ではない。居た場所が悪いだけ」とシシーは言います。二人は過去に一線を超えてしまったのか、それとも瀬戸際で留まっているのか。背徳の道には突き進めないブランドンですが、地獄に落ちても構わないように見えるシシーの無数の手首のリストカットの痕は、ブランドンと同じ苦しみを味わっているのだと思うのです。

主役二人が素晴らしいです。何作かファスベンダーの作品は見ていますが、この作品が断トツの演技です。押し出しの効く男性的な見栄えの良い容姿からは、今回のような際物的役柄でも、大器のオーラが垣間見えます。繊細さと線の太さの両方を感じさせるムードも良く、今作では冒頭の電車のシーンでのセクシーさは、もう目が眩むようでした。圧巻は娼婦二人とのセックスシーンの際の射精の表情。哀しみと快感と空虚が入り交じった表情は、本当に痛々しくて可哀そうで、涙がでそうになりました。こんなシーンで女性を泣かせるのは至難の技です。

キャリー・マリガンが演技巧者なのはわかっていますが、今回が一番唸りました。可愛くて無邪気で自堕落なシシー。しかし誰とでも寝る彼女は、女としての薄汚さもあるのです。薄汚さの根元を突き詰めると、彼女の哀しみが噴き出します。女としての薄汚さの中に哀しみを滲ませるのは、これまた至難の技かと思いますが、本当に脱帽の演技でした。

過激で背徳的な題材なのに、とても粛々とした作品です。この二人はこれからも同じ事を繰り返し、苦しみながら生きるのでしょう。時の過ぎ行くまま、きっとそのうち世界で二人きりになるのでしょうね。それは地獄なのか背徳の甘美なのか・・・。ラストのブランドンの号泣は、そのまま今も私の心まで掻きむしるのです。








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