ケイケイの映画日記
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2012年02月27日(月) 「ヤング≒アダルト」

私の大好きなジェイソン・ライトマン監督の作品。彼の作品でダメだったのは「JUNO」のみ。しかしこの作品、脚本が「JUNO」と同じくディアブロ・コディなのよね。評論家の評判は上々と言うのも同じ。一抹の不安を抱えての鑑賞は、これがあなた、悪い方にビンゴ。多分コディとは一生合わない気がするわ。書いてるうちに罵詈雑言になりそうな気がするので、今回はネタバレです。

都会でゴーストライターをしているバツイチ37歳のメイビス(シャーリーズ・セロン)。学生時代は学園のアイドルでした。一時は連続ものの「ヤングアダルト」系小説が売れていたのですが、今は泣かず飛ばす、状況は下降線です。そんな時、学生時代の元カレ・バディ(パトリック・ウィルソン)から、子供が生まれた知らせのメールが来ます。胸がざわつくメイビスは、やもたても堪らず故郷に帰ります。高飛車&勘違い女のメイビスは、幸せの絶頂のバディが、本当は不満がいっぱいで離婚したがっていると思い込み、彼を離婚させて取り戻そうとします。

描写の数々の小技は、相変わらずとても上手いです。乱雑で汚い部屋で目を覚ますメイビスの目元は、疲れとアイラインがだらしなく滲んでいます。前夜、酒に酔って気絶するように眠ってしまったのだな。普段は洗濯もろくすっぽしていないようなスウェット姿で、怠惰でだらしない生活を送っているのが、一目瞭然。なのに男を落とす時は、エステに通い自分でエクステし、適度に隙のある色っぽい服装でゴージャス美女に大変身。確かにこんな人はいそうです。

学生時代の虐めが原因で、身障者になってしまった同級生のマット(パットン・オズワルド)。学生時代は鼻にもかけなかったマットだけには、取り繕いのない自分を晒します。これはバカにしているのが半分、はみ出しものとして、無意識に同類だと認めているのが半分でしょう。マットに近しくなるのも、理解できます。

じゃあ何がいやかと言うと、出てくる人間みんな嫌い。バディは何で元カノにあんなメール送るの?普通するか?アメリカではするの?最後の方でメイビスは20歳の頃、バディの子供を流産したと激白します。いくらなんでも、無神経過ぎないか?搾乳した母乳を解凍していたから、妻のリサ(エリザベス・リーサー)は、仕事復帰しているのでしょう。乳飲み子がいるのに、奥様はバンドの練習だって。「彼女は子供を大変な苦しみから生んでくれたから」だって。そんなもん、結婚したら当たり前の事だろ?感謝と甘やかしは=にあらず。奥様サマサマの腰抜け亭主だよ。

妻のリサも、仕事復帰だけでも大変なのに、子供はバディにあずけて奥様バンドの練習だって。乳飲み子がいるのに、どうして今?ストレスが溜まるてっか?これくらい我慢できないで子育ては出来んぞ。まぁこれは旦那が良しならいいとしても、鬱陶しいメイビスを子供の生誕祝のパーティーに呼べだと?彼女が可哀そうだからだと?あんた何様?第一、メイビスはあんたの亭主を狙っていますオーラが全開だったじゃん。妻の立場に自信があるなら、もっと家庭に根付くべきで傲慢。気がつかないなら妻として鈍感過ぎ。そのうち絶対浮気されるから。

一番わかりやすいのは、昔の自分を忘れられない勘違いで痛い女のメイビスです。しかしこれが痛過ぎて笑えない。私は空気を読むというのは好きじゃないけど、あまりに周囲が見えなさ過ぎです。「ヤングアダルト」系の小説というのは、日本で言うと、ハーレクィーンロマンス系の小説でしょうか?故郷に帰っても親に顔も見せない。親が噂を聞きつけ家に招くと、部屋は昔のまんまで、しばし自分がピークの時に思い出に浸るも、親の健康や現在を労う言葉はなし。あんまりバカ過ぎてもう。40前だよ?親も親で、もう離婚した娘の結婚式の写真なんぞ飾っている。何でこれだけ勘に触る人間ばっかり出てくるのか?

メイビスの痛い描写の最大シーンが、生誕パーティーをぶち壊す場面。上に書いた流産の件をここで持ち出すのは後だしじゃんけん的で今更感があります。ここで学生時代と同じく、自分はみんなの憧れの的だと思い込んでいたのに、実はかわいそうだと情けをかけられていたとやっと知り、落ち込んだメイビスはマットに逃げ込む。

逃げ込んでどうするかと言うと、セックスを迫る。戸惑いながらも学生時代の憧れの君からの誘いに応じるマットと言うのはわかる。だけど彼、身障者なのよ。まともに射精が出来ないと言うセリフもあったのよ。愛もへったくれもなく、今相手してくれるのがマットだけだったから彼を選んだだけ。メイビスの気を落ち着けるためだけのセックスと言う描き方には、私は嫌悪感を感じます。

昔からメイビスの信奉者だったマットの妹から、皆がバカであなたは正しい、今のあなたのままが素敵と言われて、勇気百倍のメイビス。己を美化した小説の独白が流れる中、実際は事故ってポンコツの車で、颯爽と故郷を後にするのでした・・・。えぇぇぇぇ!パーティー台無しにして、親に赤っ恥かかせて(パーティーにいた)、フォローは一切なし?励ましてくれた彼女の「私も都会に連れて行って」はすげなく断り、マットに至っては眠っていたのをいい事に黙って帰る。マットの気持ち、踏み躙りまくり。多少の反省や成長があってもいいんじゃないの?徹頭徹尾それはなし。勘違いの痛い女でこれからもOK!って、どういう事?

これどっかで観たことあるなぁと思い出したのが、トット・ソロンズの「ウェルカム・ドールハウス」のヒロイン、13歳のドーンちゃんです。ドーンちゃんはブスで性格悪く学校でイジメられ、家でも妹に一心に愛を注ぐ両親は、彼女なんかお構いなし。しかしドーンちゃんは負けない。根拠のない自信を元に、無理目の男子に猪突猛進で迫る迫る。何があっても決してあきらめないんだな。この子も相当痛いけど、超のつく根性はとっても爽快でした。この子も反省の色全くなしでしたが、まだ13歳のみにくいアヒルの子ですよ。成長して周りが見えて、白鳥になるかも?と言う期待が希望に感じたんです。

対するメイビスは、元が白鳥で、今ではみにくいアヒルの子。年も37歳。どこをどう見て、「ありのままのあなたでいいのよ」が出てくるの?どこか成長や救いがないと、この手の話はまとまらないと思うんだけどなぁ。ヒョーロンカ諸氏と一般人の感想は乖離しており、パンピーは私のように感じる人も多いみたいです。この乖離はどこからくるのか?

唯一の救いは、セロンの好演。色んな作品、様々な役柄を演じ、常に挑戦する姿は本当に素敵です。今回も好演でした。でも年食った痛いゴージャス美女なら、キャメロン・ディアスなら、もっとユーモラスに思えたんじゃないかと。あの最後も、まぁキャメやんなら仕方ないかと私的には思えます。元々の役者の持つキャラって大事ですよ。セロンは決してカメレオン女優ではないですから。今回は痛々しさが過ぎて、重く感じたのが「痛かった」です。

唯一良かったのは、自分とバディの思い出の曲だと信じていた曲は、妻もそうだったこと。嬉しそうは夫婦のアイコンタクトに悔しさを滲ませるメイビスは切なかったです。しかし挽回しようとしたメイビスは、「昔フェラの時、この曲がかかっていたわよね」ですと。やっぱ私、脚本のコディが一番嫌い!


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