ケイケイの映画日記
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皆様、明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い致します。
余命三ヶ月の少女と死に取り付かれた少年との恋と聞き、主体は少女だと思っていました。しかし三ヶ月を与えられたのは、少年でした。年齢よりも幼い恋は、水彩画のように淡くて瑞々しい半面、現実からの逃避も感じられます。そこからしっかり現実に着地させる様子が見事でした。監督はガス・ヴァン・サント。
交通事故で両親を亡くした高校生イーノック(ヘンリー・ホッパー)は、他人の葬式に出席し、死とは何なのか?を手探りで模索しています。学校も退学、身近な友人は、幽霊の特攻隊員ヒロシ(加瀬亮)だけです。葬式場で知り合ったアナベル(ミア・ワシコウスカ)が、無断で葬式に出ているのを見咎められたイーノックを助けた事から、二人は付き合い始めます。しかしミアはガンが再発して、余命三ヶ月を宣告されていました。
最初ヒロシの存在は、イーノックの幻覚なのかと思っていましたが、事故の時両親と共にいたイーノックも臨死体験、その後にヒロシが見えるようになったとのこと。立派に幽霊です。特攻隊で死亡したと言う設定で、都合よく英語を話すのですが、あまり気になりません。それより服装や切腹の説明、日本語の手紙など、きちんと違和感なく描けている点に感心。加瀬亮の英語も澱みなく、私は上手に演じていると思いました。
二人は17歳くらいでしょうか?それにしては遊び方が幼く子供っぽいです。きっとそれは、子供の時から入退院を繰り返したはずのアナベルが、歳相応の少女の遊び方を、あまり知らなかったからだと感じました。特にお菓子に愛らしく執着する姿は、彼女の制約の多い暮らしの中で、手に入り易い幸せだったからだと思います。
一方イーノックは順調に成長していたはずが、両親の死で、一気に「子供帰り」してしまったのかと思いました。親離れが強制的に来てしまったので、心の準備が出来ていなかったのです。
アナベルは小児がんだったのでしょう。幼い時から死と隣り合わせに生きることで、生の重みをわかっているようでした。彼女は自分の死を受け入れていました。確かにイーノックは年頃の少女らしい感情をアナベルに与えましたが、本当に与えられたのは、イーノックです。
イーノックは両親の死の直後昏睡状態が三ヶ月続き、意識が戻った時には既に葬儀は終わっていました。何が何だかわからぬうちに、孤児になったわけです。これは多感な年頃の少年にとって、辛いことだと容易に想像がつきます。両親に別れを告げられなかった事に猛烈にわだかまりが残る彼は、だから葬儀場に出入りしていたのです。
ヒロシはと言えば、生前愛する人に想いを告げず命を散らして行きました。それが悔恨となり、所謂成仏できないはめに。アナベルに「取り付かれたのね」と笑われますが、同じ想いを抱くもの同志だからでしょう。
死を考える時、そこには生についても深く考える自分がいるはず。アナベルと知り合ったことで、愛するものを見送る時の喜怒哀楽、そして苦しみだけではない喜びも知り、やっと両親のいない生を掴むイーノック。アナベルとて、短い人生の終焉に、恋するという感情をもたらしてくれイーノックに、感謝していたはず。二人が出会ったのは、偶然を装った必然だったと思います。
主役二人が素晴らしい。ヘンリー・ホッパーは、あのデニス・ホッパーの息子で、お父さんの極々若い頃によく似ています。いつも髪は寝癖をつけ、ボソボソ話す様子は如何にも頼りなげで、イーノックの心の無聊を表していたと思います。ミアは元々色素が薄い北欧系の容姿が功を奏して、儚げな風情ですが、ブロンドのショートカットは、賢さと強さを表しているようでした。二人ともとても自然でナイーブな演技でした。
印象的で素敵なシーンがたくさんありましたが、私が好きだったのは、若い二人の交わす親愛を込めた清楚なキスの数々です。軽く唇に触れる程度なので、情熱的と言うにはほど遠いのですが、十代の二人には相応しい清潔さで、何度も繰り返す事で、この恋の終焉を知っている二人の、切なさが伝わってくるようでした。
幽霊が出てきたり、主役二人が透明感があり妖精っぽいので、ともすればファンタジックに感じがちですが、アナベルのしっかりした姉、姉亡き後、甥のイーノックを育てようと決意した独身の伯母の存在が、しっかり現実感も出しています。
ラストのイーノックの微笑みには、無性に涙が出ました。特別な事など何も起こらず、背景こそ過酷ですが、少年少女の普通の初恋を描いた作品です。なのに見終わった後、人生は丁寧に生きなきゃと、痛感させられます。彼らと同世代の多感な子たちに、是非観て欲しい作品です。
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