ケイケイの映画日記
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2011年07月07日(木) |
「BIUTIFUL ビューティフル」 |
私の天敵・アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の作品。デビュー作の「アモーレス・ペロス」が唯一心に残る作品で、「21グラム」「バベル」と、私的には評価尻下がりの監督です。そんな事言いながら、「セプテンバー11」の中の一作まで観てたりして、全部観てるのね。力のある監督だとは理解していますが、わかる人だけにわかればいいんだよ的上から目線、いつまでやるんだよ!と言う感じの時空イジリ系の作風(芸風)が鼻につき、合わない監督でした。それが今回初めて大好きだと言える作品に巡り合え、とっても感慨深いです。
スペインのバルセロナに住むウスバル(ハビエル・バルデム)。仕事はセネガルや中国からの不法滞在者に仕事を斡旋したり、警察に賄賂を渡してお目溢しの仲介役など、裏稼業です。精神疾患を患う妻マランブラ(マリセル・アルバレス)とは別居中で、男手で小学生の娘と息子を懸命に育てています。体調の悪さに病院を受診したウスバルは、そこでガンに冒され、余命2ヶ月と宣告されます。
ウスバル自身も幼い時に母に死に別れ、父とは生まれる前に別れています。途中で挿入される刹那的な享楽を感じさせるシーンを観ると、結婚前の彼は真面目に暮らしていたとは言い難かったと想像します。生業はどうあれ、彼を心の真っ当な人間にしたのは、子供の存在だと感じました。子供たちを父性的に厳格に躾ながらも、細やかな母性的な愛情も熱心に注ぐウスバル。
ここで描かれるスペインは、カラフルで情熱的な国ではなく、最底辺の貧困にあえぐ人々です。しかし彼らが寒々として暮らしているかと言うと、そうではありません。貧困に苦しみながら、あの家この家庭に、必ず貼ってある家族の写真。そこかしこに親を慕い、子を愛する親がいます。しかしそんなありふれた人々が懸命に生きているのに、起こるのは悪いことだらけ。
マランブラは「双極性感情障害」と字幕に出ていましたが、いわゆる躁鬱病です。この作品の短い紹介を読んだ時、薬物依存の妻と記されていましたが、大間違いも甚だしいです。この病気は確かな薬物治療と休息が必要なのに、マランブラは子供に母乳をあげられないからと言う理由で、服薬を止めてしまって、怪しげな民間療法に頼り、病気が悪化しています。一見とてもいい加減な母親に見えるのですが、監督は丁寧に繊細に、彼女の家族への必死の愛を描いています。
写真しか知らない父親に、とある事で初めて会えたウスバル。自分の年齢より若い父親に触れながら、笑顔で温かな涙を流す彼。自分たちを捨てて行った父親。憎んだ事もあったでしょう。しかし自分も父親になり、もしかしたら父は生き延びて、家族にお金を送りたかったから、自分だけ逃亡したのかも知れない。自分の死後、子供たちが路頭に迷わないように、必死でお金を貯めているウスバル。きっと父親と自分が重なったのだと思います。私もここで涙が出ました。
貧困、父性愛、不法労働者、精神疾患。様々な問題を折り込みながら、その全てがきちんと整理されて、心に深く残る演出です。それも時空いじらずに。やればできるじゃん!余計に感じたのは、主人公が「シックス・センス」を思わす霊能力があったり、中国人労働者のトップが、ゲイであること。描いても付加価値は感じられず、無いほうが良かったです。
今までのイニャリトゥの作品は、どれも綿密に計算されていても、自分からは遠い遠い人たちばかり。しかしこの作品の人々も遠い存在のはずなのに、道を歩けば出会してしまいそうな人に思えるのです。特異な状況に置かれた彼らは、何ら私と違いのない人です。今まで上段から苦しみ葛藤する人々を描いていると感じたイニャリトゥですが、この作品では腰を曲げて、もしかしたら膝をついて語りかけ、苦悩する彼らの肩を抱きながら描いたと感じ、そこに胸が打たれました。
いっぱい好きなシーンがありますが、上に書いた父とのシーンの他、セネガル人の若い母イヘと、ウスバルの子供二人が、初めて心を繋ぐ学校からのお迎えのシーンが好きです。その時他人の子供へも慈愛に満ちた笑顔を見せるイヘ。彼女の笑顔は、全ての母親の象徴でした。そのイヘが、自分との悪と戦いながら出した結論が、辛い事ばかり起こるこの作品に、大きな光明を与えています。
「美しい」と言う意味のタイトルは、綴りが間違っています。何故そうなのか、劇中に出てきます。学のなさ、貧困、病気、妻との離別。彼の子育てはどんなに大変だったでしょう。しかしどんなにみっともなくても、ウスバルの人生を、私は「美しい」と思います。それは一般的な「 beautiful」ではないけれど、あるがままの彼の「biutiful」な人生だったと思うから。
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