ケイケイの映画日記
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今をときめくダコタ・ファニングとクリスティン・スチュワート主演で、あのガールズバンドのパイオニア、ランナウェイズの伝記が映画化されると聞いて、早二年。全米は昨年三月公開で、やっと日本にやってきました。彼女たちの来日は私が高校生の時で、当時派手に取り上げられていました。正直それほど好きでもなかったバンドなのに、公開が本当に待ち遠しくて。自分の青春時代を思い出したかったのだと思います。少々ぬるくはありますが、甘酸っぱいガールズムービーとして、私的にはとっても満足です。監督はフローリア・シジスモンディ。原作はカリーが書いた「ネオン・エンジェル」、ジェットがプロデューサーに名を連ねています。
1975年のアメリカ。16歳のジョーン・ジェット(クリスティン・スチュワート)は、エレキギターを弾くロックに夢中の女の子。どうしても女の子だけでバンドが組みたい彼女は、プロデューサーのミック・フォーリー(マイケル・シャノン)から、ドラムのサンディ・ウェストを紹介してもらいます。次々メンバーが集まる中、ミックの目に留まったシェリー・カリー(ダコタ・ファニング)がボーカルとして加入。過酷なドサ周りを経て、翌年レコードデビューする彼女たちに待ち受けていたものは・・・。
ざっとメンバー紹介と略歴などしますと、ギター&ボーカルのジョーン、リードギターのリタ・フォード、ドラムのサンディ・ウェスト、ベースのジャッキー・フォックス、そしてボーカルのシェリーが、私が記憶している頃のメンバー。しかしこの作品では、ジャッキーがいなくて、どちらさん?的な子がベース担当で、名前も違う。どうもジャッキー本人が異議申し立てして、それで「存在しなかった」ことになったんだとか。確か来日の時に急に一人で帰国してしまい、急遽ジョーンがベースを弾いたりしていました。その後脱退。なので今も遺恨浅からぬのかも?しばらくして看板だったシェリーも脱退。ボーカルはジョーンが担当、その後79年に解散。シェリーは双子の姉マリーとデュオを組むもあまり売れず。ジョーンの成功は言わずもがな。リタもソロで成功したと記憶しています。サンディは残念ながら4年前に癌で亡くなっています。
私が好きだったのはジョーン・ジェット。来日の時、ジョーンがリードボーカルを取ることもあり、これがかなり好評で、のちのちの姿が既に芽生えていたのかも。ちなみにシェリーは当初日本ではチェリーと呼ばれていたのですが、それは女性器のスラングで、きちんとシェリーと発音して欲しいと要望。来日後シェリーと表記されるようになりました。シェリーの妹マリーは、TOTOのスティーブ・ルカサーと結婚しましたがのちに離婚。我ながら懐かしい事覚えてるなぁ。
私が不思議に思ったのは、当時彼女たちは日本では人気でもアメリカではあまり売れず、話題だけで徒花的存在だったはず。なのに、何故売れっ子の二人を使って映画化したのか?でした。ちょっと調べたら、最近再評価されているんだとか。決して上手くはなかったけど、のちにランナウェイズより成功したゴーゴーズやバングルズに比べて、パンクな歌詞や音のヘビーさなどロック魂という点では、ランナウェイズの方が上だったと思います。画像は当時の彼女たち。可愛いですね。
プロデューサーのフォーリー曰く、「女が許される場所は、台所か男の膝の上」「小人症のバンドを作ろうと思っていたが、楽器が持てなかった。女なら持てる」などなど、男尊女卑を表す辛辣で毒の利いたセリフは、当時女の子がロックすることがどういうことなのかを、端的に表しています。女はロッカーを追いかけまわすグルーピーでいいんだよ!という時代だったのですね。
映画の焦点はジョーンとシェリーに絞られています。同じように荒ぶる心をアナーキーな日常を送ることで、どうにか持ち堪えていた二人。その鬱屈した思いを一身にバンド活動に注ぎます。屈辱的な練習、稼いでいるのに食費さえ満足に与えないフォーリーに耐え、段々逞しく実力を上げていく彼女たち。ツアーの合間のドラッグ、セックス、アルコール、お遊びのような同性愛。行儀が良いとは言い難い無軌道ささえ輝きがあります。希望を持って邁進しているので、「青春の光と影」の影の部分は、それが何かもわからぬのだと感じさせ、上手い語り口だと思いました。
彼女たちの頂点である日本公演の熱狂的な様子が描かれ、彼女たちがキモノを羽織る姿がありますが、あっ!それ「ミュージックライフ」で観た!と、ちょっと嬉しい私。リタが着ていたチープトリックのTシャツは、私も持っていました。有名な「チェリー・ボンブ」でのシェリーのコルセット姿は、東京公演の時に彼女が考えたと描かれていますが、実際はそれより以前からコルセット姿でした。ただ私は、大人たちの考えだと思っていたので、シェリー本人の発案とは意外でした。コルセットは「チェリー・ボンブ」の時が主で、後は画像のジャンプスーツが基本です。
「リンダ・ラブレイス(当時有名なポルノ女優)になるつもり?」と、反対するジョーンを押し切るシェリー。キワモノ的扱いになろうと、客寄せパンダに徹しようとする彼女。それはフォーリーの意図で、バンドで一人フューチャーされることに対する、メンバーへの彼女なりの誠意だったのかも知れません。
複雑な家庭の難儀は全て双子の姉マリー(ライリー・キーオ。なんとプレスリーの孫!)に任せ、自分だけが夢を実現させる事へ罪悪感を感じるシェリー。シェリーのアイドルはデヴィッド・ボウイ。複雑な家庭に嫌悪していた彼女は、「ウェイトレス以外の人生」を目指し、好きな音楽の道に入りますが、ロックには拘っていなかったはず。対するジョーンのアイドルはスージー・クアトロ。のちにセックス・ピストルズに代わり、指向がパンクに移っていくのがわかります。人生の全てをロックに賭けたいのです。その思いの違いが、様々な葛藤を乗り越えられないシェリーにしたのですね。「家族と過ごしたい」シェリー。「家族ってうちらじゃないの?」と答えるジョーン。少女たちの哀しい温度差です。
キワモノの大物と言うと、フォーリーもプロデュースしたことがあるKISS。自分たちであのメイク考え、火を噴くパフォーマンスも考えたとか。浮き沈みを超え、伝説のバンドになったKISSと、4年で解散してしまったランナウェイズ。この作品を観て、単に彼女たちの精進が足りなかっただけではなく、KISSは「大人」で「男」のバンドだったからだなと感じさせます。
クリスティンが当時のジョーンに本当にそっくりなんで、とっても感激しました!女の子っぽい彼女が、美形だけど男前な風情が前面に出ているジョーンを演じて、全く違和感なかったです。ダコタは撮影当時は15歳で、コルセットで歌う姿も披露。その他果敢に演じた大人なラブシーンもあり、子役からは完全に脱皮したと思いました。ステージを降りた時の知られざるシェリーの素顔を、繊細に演じていたと思います。リタも似ていた子を探していましたが、サンディは、もうちょっと美人だったなぁ。
フォーリーを演じたマイケル・シャノンが怪演。やり手の海千山千、彼女たちを食い物にしながら、狡猾に巧みに操っていく様子が本当に憎たらしくて。変態っぽい風情でしたが、彼女たちに手を出さなかったのは、「商品」だったからでしょうか?内容がぬるくなりつつあると、彼が出てきて辛くて苦い現実を映し、画面を引き締めます。容赦なく描かれていますが、ご本人さんはどう思っているのか聞きたいな。ジョーンは以前からレズビアンと囁かれていますが、そういうシーンも入っているのを彼女が許したということは、事実上のカミングアウトでしょうか?
メンバー間の葛藤などは、終盤に出てくるだけで、それまでの経緯は省かれ、二人以外ではサンディが少しふられているだけ。「ランナウェイズ」というタイトルの割には、「シェリー&ジョーン物語」的な作りは、現役時代を知る者には少々物足らないし、著者がシェリーなので、ちょっと言い訳が入る感じもあります。でもあまり美化した感じもないし、まぁいいかな?優等生で何もなかった青春より、夢も後悔もあった方が、青春はいいもんだよと感じさせる、感傷的なラストが素敵です。
少女と言えば、クリスティンもダコタも子役出身。子役から少女期までは何とか持ち堪えるけど、それ以降は大人の思惑やストレスで身を持ち崩して大成せずに終わるのは、映画の世界でもよくある事です。大人の俳優として大成したのは、パッと思いついてもジョディ・フォスターとナタリー・ポートマンくらい。二人には是非ジョディやナタリーに続いて欲しい。懐かしいテイタム・オニール(シェリーの母親役)の顔を観て、そう思いました。 では、当時のランナウェイズをどうぞ。「チェリー・ボンブ」。
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