ケイケイの映画日記
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2011年03月27日(日) |
「トゥルー・グリット」 |
ヘイリー・スタインフェルド!とにかくマティを演じる彼女が素晴らしい!大物役者やアクの強い名優ばっかり集めているのに、一歩も引けを取りません。かのジョン・ウェインが念願のオスカーを取った「勇気ある追跡」のリメイクで、そんな王道西部劇を、コーエン兄弟がリメイクしたならどうなるのかしら?と興味津々でしたが、いつもの毒気のあるユーモアは影を潜め、オーソドックスで解り易い感動を呼ぶ作品でした。
マティ(ヘイリー・スタインフェルド)は14歳の牧場主の娘。町に出ていた父親が、たった金貨二枚のため、雇い人のチェイニー(ジョシュ・ブローリン)の殺されたと聞き、一人で遺体を引き取りに行きます。チェイニーはインディアン領に向い、お尋ねもののネッド(バリー・ペッパー)の元に逃げ込んだと知り、復讐を誓うマティは、大酒飲みで片目の保安官コグバーン(ジェフ・ブリッジス)を雇います。途中で別の件でチェイニーを追うテキサスレンジャーのラビーフと合流、三人で過酷なチェイニーを追う旅が始まります。
マティは気丈で利発で賢い子です。優しく大人しい母は泣いてばかり、幼い弟たちもいます。最愛の父の亡骸を観て涙も流さないのは、その暇もないから。この「泣かないマティ」の姿を観て、ワタクシすっかりこの子の親のような気持ちになってしまい、ここで早や滂沱の涙。以降海千山千の老獪な大人を相手に、知恵と度胸で勝負の交渉術を観てはまた涙。表面には口の達者な生意気な子と映るでしょう。でも私の目には、心臓をバクバクさせながら、一家の暮らしと父の名誉を一身に背負ったマティが見える。
私は子供が早くに大人になるのは不幸だと思っています。貧しい家庭のために、新聞配達をしながら苦学するという手の、年相応の健康的な苦労は良いのです。でもマティの苦労は幼気な少女には過酷なもので、自らその場におかなくても良い類のものです。そこには彼女しかわかり得ない事情があったのでしょう。大人しいばかりの母に代わって、大黒柱にならなければいけないという思い、それは決してマティの我ではなかったと思います。
その感情がマックスになったのが川越のシーン。私はもう号泣。マティの揺らぎない信念を強く印象づけるシーンだったと思います。こうして前半はマティに魅了されっぱなしでした。後半は男二人の子供っぽい諍いを楽しみつつ、次第にチェイニーに近づいていきます。荘厳で厳しい自然、何人もの死体は、マティに自分の行おうとしている復讐が、真の勇気(トゥルー・グリット)なのか?を問いかけているようでした。
観客は年配の男性が多く、事実終盤の銃撃戦では拍手が起こりました。でも往年の西部劇から考えると地味な作りで、西部劇をモチーフの人間ドラマとして観るのが正解な気がします。
とにかくヘイリーの存在感が圧巻。父を亡くして以来肩肘を張っていた彼女が、初めて頼れる大人を得て、生意気な少女が本来の素直さを見せる姿も清々しく好演しています。クレジットも並み居る大物を押しのけ、堂々のラスト。こんな大器に巡り合えるなんて、もっと長生きしなくちゃと思わせるほど嬉しいです。ブリッジスもむさ苦しい大酒飲みを演じても相変わらず素敵だし、マットも二枚目の役が案外似合っていました。バリー・ペッパーは貧相な感じがしてあんまり好きじゃないのですが、髭と埃にまみれると男ぶりがアップしたのが意外。大物悪党の器の大きさもきっちり演じていました。ブローリンは今回特別出演っぽかったです。
でも取りあえず他の人も書いてみました、という程度で、観てから一週間近く経ち、私の脳裏に残っているのは、マティ・ロスと言う少女の全てを懸命に私に届けてくれた、ヘイリーの素晴らしさばかりです。
後日談のほろ苦さが切ないです。追跡の旅を終え、何かを得る時は何かを失うものだという事も知ったマティは、一家を背負い一足飛びに大人になったことでしょう。少女だったマティを知る人は、今は誰もいないのです。コグバーンとラビーフを恋しがるマティ。彼ら健気な少女だったマティを知っています。家族を守った事と引き換えに、少女時代から女性としての幸せも失ったマティ。彼らに会いたいのは、その寂寥感だと思いました。少女時代の自分に、もう一度会いたかったのでしょうね。
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