ケイケイの映画日記
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ご存じ西原理恵子原作の映画化で、元夫・鴨志田穣の視点で描かれた「酔いがさめたら、うちに帰ろう」と同じ出来事を、今回は妻の視点で描かれています。同じ子を持つ主婦として、共感しつつガハガハ笑いながら観ていましたが、いつしか胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。「酔い〜」が元妻に対しての感謝が溢れていたにの対し、こちらは妻の夫に対しての自責の念が随所に描かれています。そして共通していたのは、相手への痛切な思いやりでした。監督は小林聖太郎。
漫画家の西原理恵子(小泉今日子)は、六歳のブンジ(矢部光祐)と四歳のフミ(小西舞優)を育てながら、毎日フル回転で奮闘中です。多忙さのあまり、高知の実家から実母(正司照枝)を呼び寄せ、手伝ってもらっています。そんな理恵子の頭痛の種は、元戦場カメラマンの夫穣(永瀬正敏)。数々の賞も取った夫ですが、戦場で見てきたことがトラウマとなり、アルコール依存症となり入退院を繰り返しています。
前半描かれるのは仕事と子育てを両立させなければならない、兼業主婦の悲喜こもごもの日常です。経験のある人は、これ私のことじゃないの?と、もう一気に感情移入するはず。この息子がバカでね〜〜。バカの描写が本当にリアルで感心します。微妙な差こそあれ、私にも心当たりがいっぱいでね。昨日も二男と三男と話をしていたら、「子供の頃、ウ○コ、チ○コという言葉を聞くだけで、死ぬほど楽しかった」と言うのです。こんなもんが神の言葉だったわけですな。もう本当にバーカバーカバーカ!
私は女の子を育てたことがないので、娘はどうかはわかりませんが、三人息子を育てて「息子はバカだ」とはきっぱり言い切れます。子育てし始めの頃は、何でうちの息子たちはこんなにバカなのか?と不思議でしたが、三番目もバカだったので、要するに「男の子はみんなバカ」なんだと悟るわけ。そうするとバカの大元・夫だって、何故いつまでも「バカ」なのかが、理解出来てくるわけです。
褒めて育てるが子育ての理想なんで、どの母親だってそれは心掛けてはいるもんですが、何しろ怒られることしかしない。まず一呼吸おけばいいものの、自分も余裕がないので、まず怒鳴る。そして自己嫌悪。反省するも次の日になったら綺麗さっぱり忘れてしまって、また毎日の繰り返し。そんな未熟で至らない、でも無我夢中の母親の日々が、逞しく描かれています。保育園のお母さん友達と、子連れでor子なしで集まり憂さ晴らし、そして夕方になればお開きの、時間に縛られつつ楽しみを見つける日々も、懐かしい思いで観ました。
「酔い〜」の夫が、同じ憎めぬダメ夫であっても、淡白で飄々としていたのに対して、こちらの夫は生々しく「男」でした。息子に父親として、男の処世術も教えてやれるのです。描かれるのが離婚後であったからでしょうが、一切元夫への憎しみを見せない「酔い〜」に対して、こちらの妻は愛憎がてんこ盛り。夫へ毒の籠った辛辣な言葉も連発します。気に入らなきゃシバいたりもする。そりゃ当たり前ですよ。家計の全部は妻の負担、それに家事も子育てもなのですから。元夫の描く妻は菩薩にも似た人だったのに、著者が自分をも客観的に辛辣に観察しているのがわかります。
こりゃ私だって離婚したくなるわと、心底同情したのが、夫の失禁や勝手に犬を買ってきたり、あちこち散らかしまわる描写です。子供がいる方はわかるでしょうが、子供が小さい時は、毎日毎日水やジュースを床にこぼす、トイレをびちゃびちゃにする、あげくゲロ吐き。もう拭き掃除や片付けとの格闘なわけです。私はこれが辛くて、若いころ泣いたことがあります。それの上を行く夫がいたら、堪りません。友人(柴田理恵)が、「よその旦那さんなら笑えるんだけどねぇ」と言いますが、正にこれは真理で、他人には喜劇でも、本人にとっては、とても辛い悲劇です。
ユーモラスな幻覚だった「酔い〜」に対して、こちらの夫の幻覚は痛々しく哀しい。戦場にいる自分の子供たちを保護しようとすると、彼らから石を投げられる。きっと情けない父親である自分を、心の底では責めているのでしょう。そこで感情が爆発して見境なく暴れる。これが所謂「酒乱」というものの根底なのかと感じました。「酔い〜」の妻は、この時泣いていましたが、こちらの妻は怒るでもなく止めるでもなく、もちろん泣かない。冷ややかな蔑みの目で夫を見つめるだけです。寸でのところで、飯の種である妻の原稿だけは、破るのをとどまる夫。髪結い亭主の情けなさがいっぱいですが、彼にとっては、破らないことが、せめてもの妻への償いだったのかも知れません。
女が離婚を考える時、子供の事で思いとどまることがあります。しかし本当にもうダメだと思ったら、経済的な事も何もかも考えず、離婚してしまうものだと思います。言い換えれば、子供の事が頭に浮かぶときは、まだ引き返せる時だと思います。「夫の手を離せないのは私の方だった」と独白する妻ですが、こんな修羅場でも、冷静に冷ややかに夫を観る自分がいやになったのじゃないか?そんな気がします。
離婚後の交流時、プレゼントは何か問われても、「ない。みんなあるから」と答える妻。死の間際の夫から、心からの感謝の言葉を聞いても涙を流さない妻。物凄くわかる。長年暮らすと、夫が何を考えどういう人かがわかってくるものです。実現できないものをねだっても不毛。自分で得る方が早いのです。私だって長年夫の前で泣いていません。心を鈍感にしなければやっていられないのです。それを世の夫は、やれ女は結婚したら強くなるだの、ふてぶてしくなるだのと言うわけですね。あれが欲しいとねだり、夫の前でヨヨと泣く可愛い妻をお持ちの方は、俺は立派な亭主だと胸を張ってもよろしいかと思います。うちはもちろん違います(きっぱり)。
そんな妻が夫の後姿を眺めながら、「依存症には治療が必要なのに、それを知らなくて、この人は10年間も嘘つきだとか怠け者だとか言われ続けてきたのだ・・・」という後悔の滲む独白は、胸を打ちます。「酔い〜」ではそのセリフはなく、鴨志田穣という男性の、夫としての潔さがわかります。
元夫の死後、泣き続ける妻。やっと泣けた妻を観て、心から良かったと私もいっしょに泣きました。その意地っ張りさもとても理解出来ます。ずっと観ていて、私は彼女ほど甲斐性もなく、夫にも苦労していないのに、何故同化してしまうほど気持ちがわかるのかと不思議でした。それはラストの妻の言葉で謎が解けました。「家事をし、仕事をし、子供を育て、夫を見送る。女がみんなしていることだ。」あぁ、そうなのです。私だって自分の苦労は並みの苦労で特別な事じゃない、女ならみんな経験していることだと、自分自身を励まし、主婦仲間と語り合って頑張ってきたじゃないの。「泣く暇があるなら笑おう」。この豪快にして繊細、物事に動じない人生観こそが、西原理恵子の虜になる人が続出する所以なのでしょう。私もすっかり彼女が好きになりました。
キョンキョンは絶品。老けたというより年食ったという表現がぴったりの、生活感溢れる理恵子の毎日を好演しています。とにかく表情一つ一つの語りがすごい。お婆さんになっても立派に主演を張れる女優さんでいられると思います。永瀬正敏も、苦悩や葛藤を心に押し込めている夫を好演。キョンキョンとは本当に元夫婦なので、あうんの呼吸もぴったりでした。子役二人を挟んで、本当の家族のように見え、この二人に子供がいてもやっぱり離婚していたんだろうか?と、ふと思いました。
子役二人が超可愛い!離婚して以降の親の心を思い測るブンジが特に良く、「男はバカだけど、腐っても男」が持論の私ですが、幼い時からそうできているんだなぁと、改めて感じました。面白かったのは、二作品とも、各々自分の母親が出てきますが、お互いの姑は全く出てこず。まぁ自分の母親に感謝が自然の成り行きですよね。夫を嫌っていた(当たり前だ)妻の母が、死期が間近い元お婿さんに、柔和な笑顔を向けていたのが、とても嬉しかったです。
出来れば「酔い〜」と比べてみると、より深くこの家族が理解出来ると思います。恥も外聞もなく自分の日常を晒しながら、反省したり考察したり客観的に観たりの西原理恵子。どれも肯定も否定もせずやり過ごす。自然に明日を迎える人なのですね。夫だけが悪いように描きながら、その実チャーミングに描かれていた「酔い〜」のカモちゃんより、もっと壮絶にダメ男だった夫。しかし西原理恵子が愛した男は、やはりこちらのカモちゃんだったような気がします。
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