ケイケイの映画日記
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2010年11月28日(日) 「シングルマン」




大阪は梅田ブルクで上映でしたが、時間が合わず見逃しを覚悟していたのですが、心斎橋シネマートに回ってきたので、勇んで観てきました。本当に観て良かった!監督のトム・フォードはデザイナーとして著名な人で、どんな高い美意識が観られるのだろうとワクワクしていました。出演者から美術の隅々にまで監督の目が行き届き、起伏の少ない観念的なストーリーであるのに、あっという間の上映時間でした。

1962年のロス・アンジェルス。大学教授のジョージ(コリン・ファース)は、16年生活を共にしたパートナーのジム(マシュー・グード)を事故で亡くします。8ヶ月哀しみに耐えていたジョージですが、喪失感と深い悲しみは去ってはくれず、自ら人生を閉じようと決意します。

冒頭の水の中で溺れてもがいているようなコリン・ファースのヌードから、もう素敵で美しくて。腹筋が割れているような鍛えた体ではなく、年齢(50前後)よりも締まった、しかし微かに年相応さも滲み出ているヌードです。主要な登場人物は元より、登場人物が全て美型です。秘書、隣家の少女、教え子の女学生(完全にBB似)、袖すりあうも的な犬の飼い主に女性まで、監督が自分の作品の中にどう溶け込むか、完璧を求めて選んだキャスティングに感じます。

ジョージはやり残す事がないよう、その一日を大切にします。メイドや秘書に感謝を表す。鬱陶しかった隣の少女とにこやかに会話する。かつてないほど、差別に対して熱心に講義する。かつての恋人で今は親友のチャーリー(ジュリアン・ムーア)と食事する。彼に憧れる学生のケニー(ニコラス・ホルト)の相手をする。何気なく過ごしていた日常のはずが、死を決意したジョージには、どれも柔らかい日差しのような温もりを感じ、彼を生に呼び戻そうとする様子が、とても自然にこちらに伝わります。

ジョージとジム、ジョージとケニー、そしてジョージとラテン系の青年の間に、濃密で官能的、そして美しい男性同士の間柄が描かれます。ここにも自らゲイであるとカミングアウトしている監督の美意識が全開。女性の私が観ても、全く違和感がありません。

そこに異彩を放っていたのが、ムーア演じるチャーリー。それぞれが男性諸氏が世間から理解され難い孤独を託つ中、彼女の孤独の種類は離婚や子供と離れ離れになったという、至って下世話なもの。下品寸止めの大らかな笑い声、寂しさから出た無神経で無邪気な言葉。その一つ一つが、出てくる美型の男性にはない、生命力と快活さに溢れています。チャーリーを自分には得がたい存在だと、ジョージが大切に思う描き方は、監督トム・フォードの女性への見識なのかなと感じます。浅はかだけど無邪気で素直、弱そうだけど強くて温かい、そんなチャーリーにジムが嫉妬する場面が印象的です。

ジョージが自分の人生に悟りを得た瞬間に起こった出来事には、正直びっくりしました。考えてみれば、生に感謝してから起こった事で、前と後では意味合いが全然違います。ある意味、ジョージにとっては至福の出来ごとだったかもしれません。

出演者はそれぞれが完璧。ファースは今まで観たどのファースよりも、インテリジェンスと落ち着き、繊細な感受性を感じさせ素敵でした。マシュー・グードは、こんなエレガントな男性は観た事がないというくらいエレガント。グードも今まで観たどれより素敵。ニコラス・ホルトの、清楚(って男の子に使えるのか?)で瑞々しい感受性に溢れた学生を好演。愛なのか憧れなのか、その両方を恩師に感じる様子が初々しかったです。ムーアも絶品。私が上記に書いたチャーリー像は、正に彼女の好演あってのもの。50になっても飛びきり美しい!若いリンジー・ローハンの腕にそぼかすがあると、何だか汚らしく感じるのですが、老いに向かうムーアの腕のそばかすは、ちょっとセクシーに感じるんですから、女も若さより内面が重要と言う事です。

とにかく「美しい」を何度でも言いたくなる作品。ゲイの香りはプンプンですが、男女に置き換えても充分成立するお話で、それがテーマではないと思います。喪失感と再生、生と死、愛と性。結構具体的に描いているのに、まるで夢の中の出来ごとのように感じられます。美しいって夢があるってことかな?どうぞ真っ暗で静かなスクリーンでご覧下さい。その方が絶対値打ちの上がる作品です。




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