ケイケイの映画日記
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2010年11月22日(月) 「リトル・ランボーズ」




もう大好き!ローティーンの男の子二人が映画を撮るという内容だけで観に行きましたが、子供だけではなく、親の葛藤や宗教の在り方までさりげなく描いてあります。中身は濃いのに、味わいはグッと爽やか、とても愛らしくて清々しい作品です。監督はガース・ジェニングス。

1982年のイギリス郊外。11歳のウィル(ビル・ミルナー)は母と妹と祖母の四人暮らし。父は亡くなっています。戒律の厳しい宗教に属するため、普通の子供が楽しむ娯楽は一切ダメ。窮屈は日々を送っています。ひょんな事から、学校イチの悪ガキ・カーター(ウィル・ポールター)と知り合い、彼の家に行く羽目に。そこで生まれて初めて「ランボー」を観たウィルは、すっかり映画のとりこに。秘かに映画を撮るカーターと協力して、二人の映画作りが始ります。

とにかく主役のチビ二人が絶品!二人ともこれが初映画出演なんて信じられないくらい上手です。ウィルはあくまで天使のように愛らしく、カーターは常にふてぶてしいやんちゃ坊主。この二人が垣間見せる、子供らしい弱さ、屈託、残酷さは、誰もが大人になる過程で経験したことです。それを郷愁と共に、如何に今の自分の人生に影響を与えたかを、観客に知らしめることが大切だと思いますが、この作品、大成功しています。

一見水と油に見えるウィルとカーターですが、二人の共通点は父親がいないこと。原題の「SON OF RAMBOW」は、二人が作る映画のタイトルでもあります。強い父親に憧れ、窮地の父親を息子である彼らが救いだすのです。そこには自分でも自覚がないであろう、彼らの父性への渇望を感じるのです。

悩みがあるのは大人もハイティーンもいっしょ。ウィルのママは本当は優しい人のはずなのに、怒ってばかり。きっと夫が亡くなり毎日が精一杯なのでしょう。一見暴君のカーターの兄もそう。母は離婚後、再婚相手だけが大事で、息子二人はほったらかし。自分だってまだまだ母に甘えたい時もあるのに、弟を押し付けられては、たまったもんじゃありません。自分に余裕がないから、たった一人自分の傍にいる身内の兄に嫌われないよう、必死の弟の寂しさにも気付きません。

映画を作る過程で親密になり、新たな仲間が加わって険悪になる二人。それもこれも、今までの自分の位置から脱皮する過程ですね。彼らが新たなステージに向かう時、大事な彼らの母や兄にも、息子や弟との関係を再考する転機が訪れます。

段々悪い方向へ行くのかと思いきや、雨降って地固まるのラストが本当に嬉しい。ウィルのママは、宗教のなんたるかを悟ったのだと思います。彼女に好意を寄せる男性同士がサイテー。「ウィルの父親代わりに」だと?一見誠実そうですが、ウィルを押さえつけるだけ押さえつけて、人目ばっかを気にしてさ、だいたい憎からぬ女の息子だよ?何があっても守ってこそ男じゃないか。親って言うのは、世界中のみんなが我が子の敵でも、自分達だけは味方でいるのが親ってもんさ。ウィルのママもカーターの兄も、辛い自分の境遇を、息子や弟のお陰で乗り越えられたのだと思います。誰かを思う気持ちは、自分をも救うのですね。

ラストはツッコミ満載、何故ここで観られるの?と思っちゃイケマセン。野暮な事はいいっこなし、私はここで号泣しました。いいじゃありませんか。紆余曲折を経て、心に寂しさや息苦しさを感じていた子供たちが、家族と本当の絆を取り戻し、友情を深めたのですから。

短期留学生としてフランスから来たイケメン君が良いスパイスでした。当時のイギリスでは、フランスへの憧れが強かったのですね。1960年初頭が設定での「17歳の肖像」でも描かれていました。しかしイギリスではイケていた彼にも暗部が。バスの中の光景を観て、彼の顔立ちがアルジェリア系だったので、差別を示唆しているのかと思いました。でもウィルとカーターの姿を見れば、彼もきっと救われるかと感じます。

元気いっぱいユーモアもいっぱい、そしてほろ苦さは、最後に安心出来る塩チョコレートみたいです。良い作品でした。









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