ケイケイの映画日記
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2010年04月05日(月) |
「しあわせの隠れ場所」 |
久しぶりに仕事休みと映画の日が重なった4/1に観てきました。なんばパークスは夕方の回一本だけになっていて、数年ぶりに梅田ピカデリーまで出向きました。観る前に想像していてた、「可哀想な少年に良き事を施す美談」というのは吹っ飛び、サンドラ・ブロック演じるパワフルなお節介母ちゃんに、共感と親近感を感じまくった二時間でした。本年度アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞作。名作でも傑作でもないけれど、心から愛せる、とても気持ちの良い作品です。
リー・アン・テューイー(サンドラ・ブロック)は、レストランを営む夫のショーン(ティム・マッグロウ)と娘コリンズ(リリー・コリンズ)息子のSJ(ジェイ・ヘッド)と四人家族で、裕福で円満に暮らしていました。ある日その日の寝場所にも困っている黒人少年マイケル(クリントン・アーロン)に出会い、一晩自宅に泊めます。礼儀正しいマイケルに好感を持ったリー・アンは、以降母親のような愛情でマイケルの面倒をみる様になります。
とにかくリー・アンが素敵すぎ。富裕層のお高く止まった御婦人では全然なく、下町の世話好きの肝っ玉母ちゃんが、たまたまお金持ちだった、と言う感じなので、全く嫌味がなく、その豪快な母性には惚れ惚れするほど。「一晩泊めるだけだろう?」と言いつつ、妻の様子でこれは深入りするなと感じるショーンは、学校からのマイルの連絡先を、自宅にします。それを知ったリー・アンは、「だから(夫が)好きよ」とにっこり。私はこのシーンが大好きです。このような善意溢れるお節介は、この妻には日常茶飯なのでしょう。苦笑しつつ、そんな妻を誇りに思う夫の気持ちが表れています。
難しい年頃の聡明な娘は、母の気持ちをくみ取り素直にマイケルを受け入れます。やんちゃな弟は、自分を守ってくれる兄貴が出来た!と大喜び。健やかに育った様子が、これまた観ていて気持ちがいいです。出来過ぎのようなストーリーですが、このお話は実話が元です。テューイー家は、キリスト教信者のようです。ここにこの美談が生まれるベースがあったように感じます。私が短大の時の英会話の講師の先生はカナダ人でした。彼もキリスト教徒で、日本人を養女に迎えていました。「私と妻は三人子供が欲しかったのだが、恵まれなかった。我が家には経済的にも精神的にも、子供三人を育てる余裕がある。だから養女を迎えた」というお話をして下った事がありました。マイケルとの出会いを、神の思し召しと感じたのかもですね。
欠点がないわけではありません。マイケルを引き受けるまでの二方の心模様の描き方が雑だし、登場した実兄の件も放り投げたまま。最初にマイケルの面倒を見ていた黒人の中年男性は、マイケルがテューイー家と出会ったからは全く出てきません。マイケルが育った貧困地域も描き方も、表面的です。この辺の白人と黒人の違いを奥深く対比させていたら、このお話は傑作になったと思います。
しかしながら、それを払拭させる力がリー・アンの造形にありました。恩人として感謝してはいたでしょうが、マイケルはショーンの事を「テューイーさん」と呼んでします。しかしリー・アンは「水臭いのね。リー・アンかママと呼びなさい」と言うのです。つい微笑んでしまう強引さが素敵です。そしてあちらこちらで、マイケルを「私の息子」と呼びます。それも「息子」が窮地に陥った時は必ずです。後見人になる時も、ヤク中で親権を剥奪されたマイケルの実母に会いに行きます。荒んだ実母でしたが、リー・アンは同じ母親同士、決して責めず実母の心に添い話を聞く事で、彼女のマイケルへの愛情を引き出します。
この繊細で愛深い行動には、本当に感激しました。これでマイケルも実母も現実はどうあれ、魂は救われるのです。リー・アンは自分が出来る事出来ない事が、きちんとわかっている人で、決して猪突猛進の人ではありませんでした。昨今ネグレクトが増えていますが、子育ての先輩として、決してそういう母親たちを裁くだけの先輩にはなってはいけないと、つくづく感じました。
そのリー・アンの造形に息吹を吹き込んだのがサンドラです。彼女のセルフイメージがリー・アンに重なり、同性として母として、心からエールを送りたくなる女性を見せてく、オスカー受賞も納得の演技でした。これほど「おめでとう!!」と大声をかけたくなるオスカー受賞者も、他にはいないと思います。
エンディングでは本物のテューイー家とマイケルが登場します。サンドラは今回似合わないブロンドで謎だったのですが、本物のリー・アンがブロンドでした。どのフォトショットも、映画の内容そのままのパワフルな愛に満ちたものでした。もう上映終了の地域も多いでしょうが、DVD化の折にでも、是非ご覧ください。幸せな気分になれること、請け合いです。
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