ケイケイの映画日記
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2010年03月07日(日) 「ハート・ロッカー」




明日発表の今年度アカデミー賞主要部門を、「アバター」と一騎打ちの作品。どうしても発表前に観ておきたく、疲れてヘロヘロだったんですが初日に観てきました。「アバター」ね、私も良いと思っています。しかし卑しくもオスカー受賞作が、あれくらいの内容でいいのか?という点では、疑問が残るのです。「ハートロッカー」の監督は、キャメロンの元嫁キャスリン・ビグローでして、この人は女性監督特有らしい、私の嫌いな「子宮感覚」というものは皆無。ノーラ・エフロンやペニー・マーシャルら女性監督たちの長所である母性も温もりもすっぱり捨てて、とにかく潔い男前な監督です。今回も期待大で観ました。結果軍配は個人的には「ハートロッカー」に挙げたいと思います。

2004年イラクのバクダッド。アメリカから派兵されたブラボー中隊の爆弾処理班に殉職者が出た為、ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)がリーダーとして赴任してきます。引き続き任務にあたるサンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とエルドリッチ技術兵(ブライアン・ジェラティ)でしたが、前任者と違い、身の安全を無視して爆弾処理をし、チームワークを乱すジェームズに困惑し、足並みが揃いません。ブラボー中隊がアメリカへ帰国まであと38日、彼らは無事アメリカへ帰国出来るのか?

冒頭の爆弾処理シーンから緊張感がいっぱいです。軽口を叩きあいながらの仕事ですが、常に死と背中合わせの仕事なのです。手ブレの激しい撮影はドキュメントタッチで、一気に物語に引き込まれます。

遠隔操作ロボットを使わず、防弾服を着ただけで爆弾処理するジェームズと衝突するサンボーン。サンボーンは冷静沈着で生真面目。生命の安全を一番とし長く諜報部に居たと言います。エルドリッチは生と死と常に背中合わせの最前線で、心のバランスが保てません。二人とも前線に出るのは初めてなのかと思いました。対する不可解な行動を取るジェームズは、「アフガンにも赴任した」「処理した爆弾は873」というセリフと共に、映画の最初に出た言葉、「戦争は麻薬」という言葉が重なり、これが彼の行動を紐解く鍵になります。

前線の場面はバクダットの街中が舞台とあって、至近戦での派手な映画的演出の銃撃戦ありません。代わりにほんの少しの油断で、あっけなく命を落とす場面が続出。今笑顔で喋っていた人が、次の瞬間亡くなっているのです。これで冷静でいろと言うのは、絶対無理。そんな中特に秀逸だったのは、砂漠での攻防戦です。きつい日差しの時分から夕暮れまで、埃まみれになり、顔にハエがたかる中、構えた銃を一度も外さないサンボーン。サポートするジェームズとエルドリッチ。銃撃戦は最初だけ、あとは重苦しい静寂に包まれるのですが、緊張感は持続したまま。終わった時は観ているこちらも、激しい疲労感を覚えました。

同じ釜の飯を食いながら、連帯感が結べるかと思えば、次の瞬間は一発触発。なかなか距離感が掴めない三人。サンボーンが命知らずのジェームズに嫌悪を抱くのは、仲間の死が即、自分もその内死んでしまうのだという感情に結びつくからなのでしょう。それゆえ一呼吸置いた後のサンボーンのジェームズへの思いやりの言葉、自分自身の心の吐露は、胸に沁みます。

アメリカに妻子を残し出征しているジェームズ。男の子がいるという彼は、現地の少年に目をかけ、彼の安否を気使うあまり、常軌を逸した行動に出ます。一見無謀な行為に見えるこの行動こそが、ジェームズの人間らしさのように感じました。

国のため正義のためという大義名分ではなく、敵味方関係なく爆弾を処理するジェームズ。迷彩服を着たまま頭からシャワーを浴びる彼から、血が滴ります。そして咽び泣く。血を流し血を浴びながら、頭は空っぽ。しかし心は苦しみと言う感情で満ち満ちているのが、手に取るように理解出来ます。

最近の戦争を描く作品は、どれもこれも核には反戦があります。特にアメリカが描く戦争映画は、自国の反省を促したい内容ばかりです。しかしこの作品は、観ている間ずっと、好戦でもなければ反戦でもない。自国批判もありません。戦争映画では見慣れたサンボーンやエルドリッチのような兵士も描いていますが、主役はジェームズ。戦場でしか生きられない彼。泣くほど苦しいのに、彼は爆弾処理こそが一番の自分の居場所だと確信しているのです。「戦争は麻薬」、この言葉が彼に重なります。

そのラストのジェームズの選択には、恥ずかしながら私はとても共感してしまいました。しかしこの選択こそ共感こそ、不幸なのだと思います。何故私は共感した自分を恥じたのか?それはジェームズを身近に感じたからでしょう。サンボーンたちのような兵士と同じくらいたくさん、ジェームズのような兵士もいるのだと知らしめること。この作品に反戦の部分を感じたいならば、ここなのではないかと思います。男の子が欲しいと言っていたサンボーン。男の子の父親であるジェームズの選択を見ると、いつサンボーンもジェームズのようになってもおかしくない、そういう暗示に感じました。

主役のレナーはハンサムではなく、敵役か悪役が向く容姿ですが、今回難しいジェームズの内面を好演。オスカーの主演男優賞にもノミニーも納得の演技で、是非この作品以降も出演作が観たいです。マッキーとジェラティも地味ながら好演でした。ビグローはあまり名の知れた俳優を使いたくなかったそうで、その意図に三人とも上手く応えていたと思います。

こういう「拘り」は、男性特有のものではないかと思います。それを命懸けの「戦争」と言う場に持ち込んだのは、私は新鮮に感じました。ジェームズが自分の本心を吐露する相手に選んだのは、妻では無く同僚でもなく、赤ちゃんである彼の息子。子供が女の子なら、彼は誰にもこの思いを告げなかったでしょう。この思いやラストの選択が理解出来るか、それともバカバカしいと思うかで、作品はまるで違った感想になるかと思います。戦争映画としては、新たな視点の作品として、エポックメイキング的な作品になるかも知れません。

女性が男性心理を描くのは難しいと思われているのでしょう。女性監督の作品と言えば、押し並べて女性の特徴を生かした作品ばかりです。その中でビグローの作る作品は、異彩を放っているものばかり。しかし男性監督だって、巧みに女性心理を描き、納得させる作品を作っている監督は、いっぱいいるじゃないですか。その逆だって大丈夫だと証明してみせた「ハート・ロッカー」、是非明日は監督賞を取ってもらいたいです。


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