ケイケイの映画日記
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2009年11月23日(月) |
「イングロリアス・バスターズ」 |
実は私はタランティーノがちょっと苦手。あのなが〜い会話が面白い時もあるんですが、だいたいが退屈なのだな。今回も前評判は高かったですが、私的にはダメかも?と危惧していましたが、まずまず面白かったです。
プロットは五つに分かれ、最後にそれが結びつくというもの。軸はユダヤ女性の復讐劇と、「イングロリアス・バスターズ」と呼ばれる、ナチス狩りの集団の活躍です。
私の苦手な長い会話なんですが、今回そういう観客を気にかけてか、適当な尺でカット、会話にも妙味を感じます。何故かと言うと、アメリカ映画は舞台がフランスであれドイツであれ日本であれ、登場人物は絶対英語をしゃべりますが、この作品、役者にドイツ語フランス語を喋らせ、果てはイタリア語まで話させます。それが丁々発止の狐と狸の化かし合いに絡み、絶妙の緊迫感を生んでいます。
一つ一つのエピソードも、先が読めない展開です。こういう前フリがあるから、きっとこうなのだろうと思うと裏切られます。それが???ではなく、!!!という感じなので、その積み重ねで、気分がとっても盛り上がる。情けはかけても情緒には流れず、非情さを浮き彫りにするので、やっぱりこれが戦争と言うものなんだなと、ため息をつきながら思います。予告編ではユーモア満載風ですが、実際バカっぽいブラピは良いスパイスですが、ずっと緊張感が持続する作りです。
私が一番心に残った場面は、惨殺されたユダヤの一家から一人逃げ切った少女ショシャナ(メアリー・ロラン)が、殺した張本人ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)と対面する場面。ショシャナがわからないランダに対し、平静を装いながら愛想のない笑顔を向けるショシャナ。しかしロランとヴァルツの好演によって、怒り・困惑・嘔吐しそうな、ショシャナの心の隅々まで手に取るようにわかるのです。ミルクを背筋を凍らすアイテムで使うなど、タラの演出に円熟味も感じます。
クライマックスに使う映画館の使い方もとっても上手いです。高らかな笑い声を残すショシャナですが、怨念に満ちたその姿は亡霊そのもの。強烈な哀しさをも感じるのです。ここは映画史に残るかもしれない名シーンでした。フィクションなのでやりたい放題ですが、誠実そうなドイツ軍青年も、一皮むけばヒトラーと同じと表現しながら、バスターズもナチスの兵士の頭の皮をはぐなど、かなり凄惨です。ナチスは悪と痛烈に描きながらも、大義名分のための蛮行にも言級している気がしました。この辺は今の戦争事情に通じることかも。
バカっぽく抜けた役をやると、ブラピは本当にチャーミング。彼以外が演じれば、タダのバカだとしか思えない役だったかも。ダイアン・クルーガーは、いつの間にか貫録ついちゃって、見違えました。ヴァルツも数々の言語を操り、ランダの冷酷さと狡猾さを余すところなく表現して、強い印象を残します。でも私が一番好きだったのはショシャナを演じたメアリー・ロラン。清楚で芯の強さを感じさせる気高い美貌の持ち主で、心の中に真っ黒な闇を抱えながら生きるショシャナを、本当に繊細な演技で魅了してくれました。劇場での華やかな姿より、化粧気のない日常の姿の方が美しい人です。
タラはちょっと・・・と言う方にも、比較的に受け入れやすい作品だと思います。二時間半の長尺ですが、私はあっと言う間でした。
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