ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
松本清張生誕100年記念作。私は原作も元作も未見ですが、ストーリーはだいたい知っています。多分ドラマ化された折、観たのだと思います。昭和32年が舞台ですから、どう今の世の中と照らし合わせて訴えかけるのか?というのがポイントになると思います。サスペンス部分は弱いのですが、私的には作り手の思いが受け取れる、なかなか感慨深い作品に仕上がっていました。監督は犬童一心。
結婚早々の鵜原禎子(広末涼子)は、夫の憲一(西島秀俊)が、出張先の金沢から失踪してしまい、金沢まで憲一の足取りを求めて出向きます。そこには夫が懇意にしていた室田儀作(鹿賀丈史)佐知子(中谷美紀)夫妻、室田の会社の受付嬢田沼久子(木村多江)がおり、自分の夫の知らない世界ばかりを観る禎子は、混乱します。
憲一と禎子は見合い結婚して間がありません。自分の知らない夫の顔が覗く度、打ちひしがれ妻としての寂寥感に捉われる禎子。私は愛されてはいなかったのか?例え見合いだとしても、純粋に愛を求めて結婚した禎子には、非常に辛いことです。連れ合いの本当の素顔を知らないと言うのは、案外現代でも通じる話ではないかと思います。この辺りの禎子の心の描写が丁寧で分かりやすいです。
弟が失踪しても気楽な様子の義兄(杉本哲太)、字が読めないのに英語は堪能な久子、日本初の女性市長の誕生に奔走する佐知子は、何故か人前には決して出たがらない。サスペンスとしては時代背景を考えれば、すぐにピンとくる筋です。しかし戦争の傷跡がまだまだ人々の心に深く残っていると感じさせる描写の数々が、その弱さを補い作品に深みを与えています。
女性と睦み合う時、必ず映る憲一の背中の傷跡は、戦争の時受けたものです。陶酔する女性たちを映しながら、顔の見えない憲一の心は、いつ何時も決して女性のような恍惚感はないのだと思わせます。戦争で少数の生き残りである憲一。自分は生きていていいのか?何故自分は生き残ったのか?常にこの気持ちを自分に問いかけていたのでしょう。「生まれ変わりたかった」と言う彼の言葉は、掛け値のない本音として、心に響くのです。
佐知子の過去は胸を張る類のものではありませんが、あの時代、懸命に生きた証として、私は恥ずべきものではないと思います。彼女が「みんな学校へ行けて、女が私たちのような仕事をしなくても良い時代が、きっと来るよ」という過去の言葉通り、彼女は新しい時代を夢見て、奔走するわけです。しかし自分を犠牲にして生きた過去が、佐知子を追い詰める。
学がなく、愛する人との生活のみに生き甲斐を見出していた久子も、この幸せは束の間の幻だと自分に言い聞かせます。それも過去のせい。戦争がなければ、この人達は過去の自分に追い詰められる事はなかったのです。
ただ一人、戦争の傷跡を感じさせず生きている禎子。憲一が彼女を妻にした理由は、「負のない」伸び伸びとした健やかさに魅かれたからでしょう。わかるような気がします。
中堅演技派として、確固たる地位を築いている中谷美紀と木村多江は素晴らしかったです。同じ過去を背負いながら、どうして違う生きざまになったのか、生い立ちから性格の違いまで、少ないシーンで上手く表現しています。女性に生まれた哀しみを、迫真の演技で表現出来ていました。常に能面のような無表情で、憲一の戦後は余生だったのだなと感じさせる、西島秀俊も秀逸でした。
が、如何せん禎子を演じる広末が、甘ったるく舌足らずなセリフを言う度、この人はホントに禎子という女性を、理解しているのだろうか?と疑問に感じます。ただ可愛いだけの世間知らずで、知性と芯の強さが感じられません。謎ときも彼女が中心になって解かれるのですが、そんな聡明さは、広末演じる禎子からは感じられません。私はいつもはこの人の擁護に回る方ですが、今回だけはダメでした。
私がこの作品から受けとったメッセージは、あの戦争がなかったら、という反戦ではありません。もちろんそれもありますが、未来に希望を持つと言うことが、如何に大事かということを、痛感しました。今の繁栄の礎を築いてくれたのは、多くの哀しい過去を背負った憲一や佐知子、久子の様な人たちなのです。何度も言葉にされる「生まれ変わりたい」「新しい時代」と言う言葉。自分達の抱く哀しみを、後世に残したく無いと頑張ったこの人達に、私たちは報いているのか?この思いを決して無にしてはいけないというのが、作り手のメッセージではなかったかと思います。
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