ケイケイの映画日記
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2009年09月21日(月) 「切腹」


映画史に名を残す傑作ですが、私は全くの未見。観るならどうしても劇場で観たく、以前新世界の劇場で上映されていたので、本気で行こうかと思ったほど熱望していた作品です(夫に「何を考えてるねん!」と怒られて止める)。今回撮影監督の宮島義勇特集を上映中の、シネヌーヴォで観てきました。朝10時20分の回を観ましたが、劇場はオールドファンで8分くらいの入りで、私より若い方はほとんどおらず。しかし現代の世相に驚くほど酷似していると思われる描写も多々あり、今見ても全く色褪せない傑作でした。本当に感激!今回は役名ではなく、俳優名で書きます。

関ヶ原の戦い以降、幕府により改易が進む江戸時代。地方から食いつめた浪人が江戸には溢れていました。生活に困窮した浪人たちは、各大名の外屋敷に出向き、「生き恥を晒すより、武士として潔く切腹して果てたい。ついてはこちらの屋敷の庭先をお借りしたい」という奇妙な申し出が相次いでいました。血で屋敷を汚されたくない藩元は、何がしかの金を浪人に渡すという、いわば集りが横行していました。今日も井伊藩に元福島藩の津雲半四郎(仲代達矢)という浪人が、切腹を申し出ます。またかと応対した井伊藩家老(三国連太郎)。しかしこれが藩を揺るがず大事件に発展するとは、思いもよらなかったのです。

仲代達矢主演・監督小林正樹という以外、予備知識は全くなかったので、ケレンのない重厚なオープニングで、脚本橋本忍、音楽武満徹と出たので、まずほぉ〜!(無知でごめんね)。出演者も丹波哲郎・岩下志麻・三国連太郎・石浜朗など、錚々たる面々で、いやが上にも気分はマックスで盛り上がります。

テーマは武士道の欺瞞をあばく、ということでしょうか?面倒くさいので仲代には引き取り願おうと、同じように切腹を申し出た千々岩求女(石浜朗)は、望み通り切腹させたと語る三国。自分の藩は金は出さないよということです。

確かに金目当てであった石浜は、武士の風上にも置けない不埒者なのでしょう。しかし一旦は召し抱えるそぶりを見せ、ぬか喜びさせながら、実は切腹させようとする井伊藩の家臣たちの心映えは、本当に武士道に乗っ取ったものなのか、非常に疑問が湧きます。弱者に正論を押し通す恐ろしさ。弱いから正論を貫けないのです。その弱さがどこから来るのか、誰も気にも留めません。何度も「一旦家に帰らせて欲しい」と石浜は懇願します。私は妻子がいるのだと思いました。許さぬ井伊藩の家臣たち。追い打ちをかけるように、竹光しか持たない石浜でしたが、その竹光で切腹するよう命じます。竹光などで切腹出来ないのは、素人の私でもわかります。案の定目を背けたくなるような場面が目の前に。武士の情けはないのか?と怒りたくなるように作ってあり、のちのちの伏線にもなってあります。とにかく凄惨ですが、見応えのある秀逸なシーンです。

切腹前に自分の身の上話を聴いて欲しいという仲代。実は石浜は仲代の娘婿でした。福島藩士であった二人ですが、改易後江戸に出てきて、浪々の身ではありますが、娘(岩下志麻)と石浜とは仲睦まじく、男子の孫にも恵まれて、清貧の暮らしに、彼らは幸せを見出していました。私は時代劇を見るといつも思うのですが、藩とは今で言うと会社だということ。上役の顔色を伺うこともない気楽な今の生活が楽しいと語る場面など、正にそうです。

しかし心豊かな清貧な暮らしが楽しいというは、適度な貧乏であるからです。死ぬの生きるのと言う貧乏に喘ぐ時、そのようなことは言えないのです。岩下が病に倒れ、夫と父は金に換えられるものは、全て金に代えます。石浜の死後、娘婿が自分の娘のため武士の命である刀を売ったと知った時、遺体にすがり泣きながら謝る仲代に、私は号泣。自分は父親であるのに、これだけは武士の魂と売ることが出来なかったと、その「さもしい」気持ちを娘婿に詫びるのです。

刀を売った石浜に対して、井伊藩の取った行動は、武士として正論であり建前です。しかし泣いて謝る仲代は、親であり人の子であれば、誰でもが持つ感情と本音であるわけです。同じ武士ならばこそ、刀を売った時の石浜の心情も痛いほど理解出来ましょう。物事には全て表裏があり陰日向があります。日向の道しか知らない人間の傲慢さを、「武士道」と言う名を借りて、描いているように私には思えるのです。

確かに石浜のしたことは、決して褒められたことではありません。しかし死ぬ気ではないのが明らかな者から、武士道と言う名の元、命まで奪われるほどの事なのでしょうか?それも寄って多かって笑い者にして。「苛めの原因は、苛められる方にもある」。この言い分と、どこか根底で繋がっているように感じるのです。

この話には何か裏があると、仲代には絶対切腹をさせようとする三国の前に、悪しざまに石浜の遺体を運んで来た丹波・中谷・青木の三名の髷を投げつける仲代。命までは取っていないと語ります。三人は三人とも、病気を理由に休暇を取っていました。髪が伸びるまで時間を稼ごうということです。そんな卑小な心しかない者が、「武士道」の名の元、石浜の命を奪い侮辱したのだと、豪放に嘲笑する仲代。髷を差し出したもう一つの理由は、石浜に灸を据えたいのなら、こういう方法もあったのだと言いたかったのでしょう。そのため、あえて命を奪わなかった仲代の心中や、察するに余りあります。

「命を奪うより、髷を取る方がよっぽど苦労したわ」と不敵に笑う仲代。三人はいずれも剣豪、取り分け丹波の腕は高名でした。しかし仲代は関ヶ原に出陣の経験がありますが、三名は出陣経験はなく、仲代から「所詮は畳の上の水練」と揶揄されます。三人から髷を奪うシーンも出てきますが、実践で秀でる仲代の方が、一枚上手と描かれます。会社や肩書で相手を見くびり尊大に接し、自分の中身は過大に評価してしまう、人の世の常が描かれているかと感じました。

仲代は何度も「この話は明日は我が身」「自分に刃を向ければ、無駄な死人や傷を負うものも出る」と、何度も言いますが、聞く耳を持たない三国。壮絶な立ち回りの末、切腹して果てる仲代に、鉄砲まで持ち出す井伊藩。たった一人で復讐し、武士の本懐を得て、この世に未練を残すことなく死んだ仲代と、刀しか持たない者に銃まで使わねば仕留められなかった井伊藩とでは、どちらが武士として上かは、明らかです。

教養高く心も高潔であった石浜に魔が差したのは、どうしようもないほどの生活苦からです。環境が人の心を変えたのです。建前だけではなく正論だけではなく、井伊藩の家臣の中に、誰か一人でも何故このような騙りをするのかと背景に気を配り、「情け」をかける人がいれば、たくさんの人が死ぬ事はなかったはず。人とは「武士」=肩書の前に、人間であらなければなりません。

この作品は1962年の制作ですが、驚くほど今の世相に照らし合わせてみる事が出来、驚いています。この世界で描かれる武士の欺瞞や理不尽さは、言い換えれば、人の世の永遠の課題なのでしょう。モノクロの陰影深い撮影は物語の奥行きを広げており、テーマの普遍性を強調していました。特に私が感心したのは、発熱の赤ちゃんの様子。モノクロなのに、しっかり頬の赤みが感じられます。夏の白の描き方も、ぎらつく感じは出ているのに飛んでおらず、しっかり目に残ります。さすがは名手ですね。

二時間あまり全く隙のない展開で、ずっと緊張感が持続するので、観た後ぐったり。しかしこの素晴らしい作品を観る事が出来た幸せは、何にも代えがたいものでした。


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