ケイケイの映画日記
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終戦記念日に観ました。ということは、一週間前。もうホント、最近は毎日が矢のように飛んで行って、のんびり働いていた頃が懐かしいっす。九条のシネヌーヴォは、旧作の特集上映を毎月のようにしてくれる、名画座僻地の大阪では貴重な劇場です。今月の特集は岡本喜八。一番観たかったこの作品、上手い具合に時間が空いたので、観る事が出来ました。いやびっくり。製作は1968年ですから、今から41年前です。そんな昔に、時にはシュール、時にはシニカル、牧歌的なユーモアを常に溢れる中、しかし強烈な反戦映画になっているのです。終戦記念日に観るには、とてもふさわしい作品でした。
大学生の兵隊さん(寺田農)は、工兵特別甲種幹部候補生として、軍隊に参加していました。戦局は広島に原爆が落ち、ソ連の参戦で一気に日本の負けに傾いていた頃、幹部候補生たちは魚雷を抱えて特攻隊として出陣していくことになります。出陣の前日、彼らには一日休暇が与えられました。
冒頭、せまーいドラム缶に浮かぶ中の兵隊さんを映し、???でしたが、仲代達也のユーモラスなナレーションとともに、ことの顛末が明かされます。
とにかく終戦間際は、みんなお腹が空いてたんだなぁと思わせる出だしです。豚や牛のイラストの挿入、スッポンポンで練習に励む兵隊さんの様子など、のんびりユーモラスなのですが、しっかり上官(田中邦衛)の人権蹂躙ぶりはソツなく盛り込まれており、まずこの導入部分で感心してしまいました。
活字に飢えていた兵隊さんは、まず古本屋へ。すぐ眠れるように枕くらいの分厚さのもの。それと面白過ぎず、つまらなくもない内容。面白過ぎると心残りだと言うのです。ニコニコと淡々と語る兵隊さんですが、このセリフの奥深さに胸が痛みます。だって彼は明日は死ぬのですから。
古本屋の主人(笠智衆)は、聖書を薦めます。戦争で両手を失った主人が、敵国イチ布教されている宗教の本を薦めるなんて、とっても皮肉に毒がいっぱい。しかし片手がない彼が用を足すのを兵隊さんに頼んだ時、「あぁ気持いい。生きていればこんな気持ちいいこともある」と兵隊さんに語る時、この小さな排泄行為でも、人は快楽を得る事が出来るのだ。ならば生きていれば、食事・睡眠・レジャー・セックス、あらゆる快楽があんたを待っている、だから死んじゃだめなんだよ、と語りかけているように思えるのです。
そして観音様のような主人の妻(北林谷英)の楚々とした風情は、殺伐とした軍隊生活で、兵隊さんたちが如何に女性からの精神的な愛情を欲していたかが、表現されているのかと感じました。
束の間、恋人として結ばれる少女(大谷直子)の出会いと別れ。彼らの出会いのきっかけは、因数分解。明日をも知れぬ時に、勉強など何の役にも立たないでしょう。しかし勉強するということは、明日への自分のため。それは希望という言葉にも置き換えられないでしょうか?明日の命がわからない兵隊さんと、一瞬にして家族を失った少女。少女に「参考書でも買いなさい」と過分なお金をくれた兵隊さん。折れそうな自分の心を励ましてくれた兵隊さんに、彼女が無心でついていったのは、とても理解出来ました。清々しい激情にかられる若い二人に、号泣の私。そこへ「これでやっと死ぬ理由が出来た」という兵隊さんの独白が入ります。彼女を守る為なら死ねるという意味です。当時の多くの下級の兵隊も、お国のためなんかじゃなかったのでしょうね。
翌日砂浜で出会う様々な人たち。「ニッポンヨイクニ、ツヨイクニ」以下、小学校の修身の教科書に書かれているような、「神国・ニッポン」を表現するような文章を音読する少年(雷門ケン坊)。これはもう、本当に痛烈な皮肉です。まだ戦後23年で、よくこんな表現が通ったと感心。もしかしたら、今より40年前の方が「表現の自由」が大手を振って闊歩してたんでしょうね。戦災で親が亡くなり、一人きりで暮らす弟を心配した兄(頭師佳孝)が、軍需工場から脱走します。追いかけて来て激しく殴る教官。独りぼっちの弟を思いやる兄の気持ちは、当然なのに。でも兵隊さんに詰問されると、何故兄を殴らなければならないか、答える事が出来ない教官。本当は国の教えなんて思い込まされていただけで、みんなわかっちゃいなかったんだよ、と監督は言いたいのでしょう。
砂浜で若い兵隊さんを観て、「強チンしちゃおうかしら?」と、艶然と微笑む三人のナース。戦時下の白衣の天使にしちゃ、色っぽ過ぎるでやんの。でも大和撫子らしからぬその言動は、漁師たちに輪姦されるというオチです。でも何となく凌辱されているというより、合意で楽しんでいると言う風に見えなくもない。この作品で強調される人間の欲は、食と性でした。それは戦時下でも同じ事。むしろ飢餓感がいっぱいの戦時下だからこそ、見果てぬ夢のように、その二つを追い求めていたのでしょうね。因幡の白ウサギに見立てられたナースたちで、寓話的に表現されていました。
そしてラスト。せっかく漁師(伊藤雄之助)に見つけてもらいながら、陸へ生還することができなかった兵隊さん。狭い中で一日中いたので、足が立たなく、船に上がれなかったからとは、本当に何ということでしょう。死ぬ気だったんですもの、明日のことは考えていないのは当たり前のこと。明日のある生活。そんな当たり前のことが、本当に素晴らしく思えるのです。
享楽的に海水浴場で遊ぶ人々の中、ドラム缶の中で白骨と化した兵隊さんの姿が。岡本喜八は、愛する人を守りたかった、市井の人々の心はしみじみ深く描きながらも、そこには「お国のために頑張った英霊」を賛美する、靖国的感情の対局を描いていたと思います。
その他小沢昭一・菅井きん夫婦の、俗っぽくも夫婦の愛情あふれる隠れた逢瀬、高橋悦史の敗戦を感じてやけ酒を飲む兵士など、人間味溢れた戦時下の底辺の人々を淡々と描く事で、強烈な反戦映画となっているこの作品。とてもわかり易く描いているのに、監督の旺盛な気骨とインテリジェンスも強く感じます。戦争当時士官候補生だったそうな岡本監督の、これが戦争に対しての答えなのですね。
監督の分身だそうな兵隊さんを演じた寺田農が絶品。圧巻じゃなくて、絶品だというのも、監督の意図するところに、大いに応えたことでしょう。現在は名バイブレーヤーの彼ですが、私は何故か子供の頃から彼が大好き。彼のエッセイも何度か読みましたが、文章も軽妙洒脱で、とても上手い人です。そんな彼の初めて観た主演作がこんな傑作だとは。
戦闘場面は全くなくても、人が殺される場面が出てこなくても、強烈な反戦映画は作れるのですね。戦争が舞台というのは、一種「時代劇」です。なので時代にあせない強さのある作品は、己の頭に反戦を叩きこむためにも、繰り返し見る必要があるのだなぁと、つくづく思った次第です。
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