ケイケイの映画日記
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2009年02月15日(日) 「誰も守ってくれない」




延び延びになっていたのを、やっと鑑賞。詰めの甘い箇所も多々ありますが、一番芯になる「加害者家族の人権」を考えるという視点は最後まで真摯で、その姿勢に感銘を受けました。監督は君塚良一。

中学三年生の船村沙織(志田未来)は、ある日突然高校生の兄が、幼い姉妹を殺害したとして、警察に連行されます。何が何かわからぬまま、沙織は両親と離れ、マスコミや市民のバッシングから守るという名目で、警察に保護されます。しかし執拗に追いかけてくるマスコミ。本当は休暇を貰えるはずであった刑事の勝浦(佐藤浩市)は、上からの指示がないまま、一人で沙織を保護することになります。

導入場面が秀逸。観客はこれから沙織の身の上に起こり得ることがわかっているので、屈託なく学校生活を送る彼女の笑顔に心が痛みます。予告編で聞かされていたオリジナルの主題歌も効果的に使われています。

兄の逮捕から連行、それ以降の一連の警察の家族に対しての対応、マスコミの動向は、ちょっとドキュメントを観ているようで、臨場感大。執拗に船村家を追いかけるマスコミには、私自身はこういうことに興味がないので、これをリアルだと感心する前に、腹が立ちました。但し一転、家の中の家族に対する警察の対応は、だいぶ誇張というか、デフォルメされている感は否めず。

離婚・入籍の件や就学免除の件など、これはもっと時間が経ってからはあるかも知れませんが、逮捕当日とは、幾らなんでも早すぎだし、弁護士も来るなど用意周到過ぎです。就学免除などは学校側の意見も加味されるはずだし、第一本人(沙織)が通いたいと言っているのに、それを全く無視する「権利」など、警察にあろうはずがありません。のちに兄の証言が取れなくて困るという流れなんですから、罪を認める段階でも無いうちからは、この一連の流れはやりすぎです。この辺には疑問が残りました。

マスコミがあの手この手で沙織を追いかけ回すのは、納得したりしなかったり。未成年加害者本人の写真が出回るのは、今までにも実際あったことですが、その家族の姿など、私はどこにも観た記憶がありません。過去にある捜査ミスで、罪のない子供を死なせた勝浦にしても、その事が三流週刊誌ならともかく、新聞に以前の失態が名前付きで暴露されることなど考えられず、これも暴走気味の演出です。

ネットで炎上する事件。ネットの匿名性の恐ろしさも描いています。私が足繁く通うサイトは、映画のお友達サイトと自分の仕事関係、mixiくらいなので、これが本当なのかどうかはわかりません。しかし無責任で興味本位な行動は慎みたいと思わせるには、充分でした。というか、BFの件は、私的には痛々しすぎて、私は好きではありません。あれより中学生くらいなら同性の親友もいるでしょうし、その子を電話にでも出させる演出もあった方が、より現実的だったかと思います。警察批判的要素見受けられますが、これも要らないと思います。

しかし私がそれでもギリギリセーフかなと思えたのは、何が何だかわからず、狼狽しつつ必死で耐える沙織、やっかいな者をしょい込んだと思いつつ、沙織への相哀れむ心を見え隠れさせる勝浦など、志田未来と佐藤浩市の演技が本当に上手だったから。映画は映画なんですから、リアリティ一辺倒でなくてもいいですよね。

その死なせた子供の両親(柳場敏郎・石田ゆり子)が営むペンションへ、勝浦が沙織を匿う目的で訪れる後半からは、本来のテーマが強く浮き彫りにされます。勝浦は毎年両親を訪れ、仏壇に手を合わしているようです。本当の加害者は薬物中毒者で、勝浦ではありません。しかし本来ならお互い顔を合わすのが気まずい間柄でしょう。

特に父親など、勝浦に辛く当たるのは大人の配慮としては出来ないでしょう。気まずくても来ることで詫びの気持ちや誠意を表わせる勝浦の方が、気が楽なのではないでしょうか?「加害者の遺族も被害者の遺族も、大変なのは同じかも知れませんね」と語る、その温厚で聡明な父親が、とあることで感情を爆発させ勝浦に迫る場面が秀逸。この場面があることで、この作品の値打ちが倍も三倍も違います。

怒りの丈を勝浦にぶつける父親ですが、私はこれが彼の本音だとは思いません。「加害者の家族も」以下の言葉も、怒りに震える言葉も、両方父親の本心だと思います。ふとした拍子に、哀しみが舞い戻ってくるのは当たり前の事です。この父親は、そして母親は、その感情を沈めたくて、勝浦に会ってているのではないかと思いました。子供の死を受け止め、逃げないために。

勝浦は勝浦で、筋違いの行き場のない感情を自分にぶつける沙織に、「逃げている自分」を見つけ出したのだと思います。まだ子供の沙織には、受け止めてくれそうな勝浦に甘えてのことだと思います。しかし勝浦は。以前の事件のことは、上の指示通りやっての失態です。自分はこうしたかったのに、結果はああなった。彼の心のどこかには、そう叫びたい気持ちがあったのでしょう。そして精神科医の登板(木村佳乃)。彼の手の震えはそういうことなのかと感じました。

沙織を通じて、初めて本当に自分の「罪」を確認したのでしょう。沙織を守る事で、自分をも守る事を確認した勝浦が、画像の海岸で沙織に語る言葉は感動的です。一番弱い彼女が家族が守る。その気持ちを持ってこそ、沙織は自分自身を守れるのでしょう。

この作品は、加害者家族の人権についてマスコミが追いかけることを、ハイエナの如く描いていて、明確に否定しているように感じます。そして身内の罪を家族は背負って生きていく必要があるのか?という問いには、「イエス」だと受け取りました。何故なら、沙織はあることで兄を庇おうとします。その気持ちは家族だからという愛でしょう。ならばいっしょに罪を背負って生きていかねばなりません。だからこそ、前をしっかり向いて、太陽の下を歩ける人間にならなければいけない。周囲の人間は好奇や偏見の目で家族を見てはいけないのだ、それが私のこの作品から得た教訓です。当たり前のようですが、目の当たりにして、改めて心に刻んだ人も多いと思います。

ただ沙織に語らせた兄の犯行動機は陳腐です。あれを犯罪を起こす動機にされては、たまったもんではありません。それより追及するなら、一度も沙織と連絡を取らなかった父親。そして自殺してしまった母親ではないでしょうか?母親の場合、死んで詫びるのではなく、息子の起こした事件でショックを受けての発作的な自殺です。例えフィクションの映画でも、死者に鞭打つのは心苦しいですが、同じ母親としてひ弱過ぎです。だって沙織がいるんですよ?本来なら娘を守るのは、母の仕事です。そして出所後の息子を迎えるのは誰がするんでしょうか?無責任過ぎます。この両親の対応で家庭を知れと言うのなら、演出が甘いです。映画の方は意味を別方向に持っていってましたしね。正直私がこの作品で一番腹が立ったのは、沙織の母の自殺です。

こうやって幾つも疑問を感じながらも、一番描きたかった「加害者家族の人権」に対して、明確な答えを出しているのが、私がこの作品を好きな理由です。主役の二人以外でも、柳場敏郎、石田ゆり子、ちゃらちゃらしながら、でも仕事はきちんとこなす松田龍平の同僚刑事など、主をなす登場人物みんなが好演だったのが、作品の成功の要因だったと思います。石田ゆり子は嫌いではありませんでしたが、ずっと大根だと思っていましたが、今回聖母のような母役で、初めて彼女が良いと思いました。彼女が徹頭徹尾優しかったのは、「何故息子を守れなかったと、妻を責めました。ひどい夫だったと思います」という、辛酸を潜り抜けた人だったからだと思います。いわれなきことで自分を責め、周りから責められ、だから勝浦や沙織の心が理解出来たのでしょうね。

フジテレビとタイアップなので、来年くらいには放送されるかも知れません。でも自分の家族では無くても、周りに身近に考えさせられる事件が起こるやも知れない昨今、見る価値は十分にある作品だと思いました。


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