ケイケイの映画日記
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2009年01月25日(日) 「レボリューショナリーロード /燃え尽きるまで」



お友達のTAOさんの、「さすがはサム・メンデス」という一行で、矢も楯も堪らなくなって、本日夕方観てきました。私が現役監督で大好きなのは、フェルナンド・メイレレス、ギレルモ・デル・トロ、そしてこのサム・メンデスです。メンデスと言う人はイギリス人ながら、一見アメリカを辛辣かつ皮肉に描いているようですが、決して高所から見下ろすのではなく、実は深い愛情と理解を持って、アメリカを描いています。その辺に品性と知性を感じさせるところが、私がこの人を好きな所以です。今回レオとメンデスの妻でもあるケイト・ウィンスレットの「タイタニック」コンビで、1950年代のアメリカの、中流家庭の悲劇を描いています。

1950年代のアメリカのコネチカット州郊外の住宅街。”レボリューショナリーロード”と呼ばれる街に、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)夫妻は、二人の子供と共に住んでいます。若かりし日々の夢は何処へ、フランクは家族を養うために面白味を感じないサラリーマン生活、エイプリルも女優への夢を断念、専業主婦として生活しています。お互い不満が積もり、夫婦仲にも支障をきたし始めた時、エイプリルはその打開策として、家族でパリへ移住しようと提案します。

冒頭夫婦喧嘩する二人に、あぁ昔を観ているようだと思う私。二人は妊娠がきっかけで結婚したようで、結婚七年です。未婚の人から見れば倦怠期でしょう。でもその四倍近くの年月、夫のいる身の私としては、あの頃の自分は何も夫婦のことがわかっていなかったと、今なら振り返れるのです。相手が譲ればこちらが意地になり、譲った方が怒れば今度は意地になった方が、向こうが追いかけてくるのを待つ。お互い争いを避けるための手立てが分からず、呼吸が合いません。それが手に取る様にわかり、なかなか上手い描き方です。

「私たちは特別な選ばれし人間のはずなのに」。このような不満は私にはなかったのですが、「こんなはずではなかった」なら、思わなかった人はいないでしょう。その思いに囚われながら、受け入れつつ生活している現実主義者の夫と、どうしても我慢がならない世間知らずの妻。妻の提案を夫は一度は受け入れますが、仕事で成果を出し、出世がちらつくと、その気持ちは揺れ動きます。

観客にはフランクの方が受け入れやすいでしょう。私もそうでした。エイプリルは、自分で提案した夢物語にうつつを抜かす、未熟な妻に感じると思います。しかし本当にただの甘ったれなのでしょうか?夫は会社という「社会」で頑張れば認められ、息抜きもでき、そして束の間の情事も楽しめる。

しかし妻は?良妻賢母であることが当たり前の、家庭に縛りつけられる時代です。仕事に向き不向きがあるように、結婚に向かない女性もあるでしょう。女が結婚しないという選択が認められなかった時代、自分に対し嘘をつけない不器用なエイプリルの辛さが、共感はせずとも私には理解出来ました。

壮絶な修羅場と蜜月を繰り返す二人。これも長い夫婦生活にはあることです。一見フランクの言う事が常識的で正しいのですが、夫婦という「個の単位」では、常識より相手を受け入れられるかどうか、私はその方が重要なのだと思います。この作品では驚くほど、子供達の存在が希薄です。これは原作もそうなんでしょうか?「子はかすがい」という言葉が、日本にはありますが、それは夫婦<家庭を表すと言ってもよいでしょう。あくまで夫婦と言う観点から家庭を顧みるというところが、アメリカらしいなと思いました。

エイプリルをただの我がまま妻に思わせ無かったのは、ケイトの好演もありますが、キャシー・ベイツの息子に扮した、精神病を罹患しているマイケル・シャノン演じるジョンです。みんなが夫妻のパリ移住を戯言と陰口を叩く中、ジョンだけが素晴らしいと誉めたたえます。そして雲行きが怪しくなると、フランクを罵倒しエイプリルを慰めます。魂が共鳴し合うようなジョンとエイプリルを観ると、常識の枠からはみ出す自分を貫こうとすると、その不器用さ故、精神が病んでいくのだとわかります。不器用=純粋とも取れました。

ラスト近くの夫婦だけの朝食場面が秀逸。エイプリルの様子は、タイトルの副題「燃え尽きるまで」を予想させました。昨日の修羅場が嘘のような穏やかな夫婦の姿。「あなたの今度の仕事は何をするの?」「言ってなかった?言ったはずだよ」「いいえ、聞いてないの」。嬉しそうに妻に語る夫。それも詳しく。妻の質問が嬉しかったのでしょう。この会話の深い深い意味。

エイプリルは夫と共に人生を歩きたかったのです。後ろでも前でもなく、一緒に腕を組んで、手をつないで。彼女の中でそれを実現するには、誰も知らないパリで暮らすことが必要だったのです。「ベティ・ブルー」のベティーは、愛するゾーグが小説家ではなく、水道工に甘んじているのを「あなたはそんな仕事をする人ではないわ。私あなたを尊敬したいのよ」と言います。それは水道工を馬鹿にしたのではなく、愛する男に本来の才能で開花してほしいと願う、切なる言葉だと思います。私が養うから、あなたはあなたの好きな道を見つけて。そしてあなたらしく生きて。エイプリルもいっしょなのではないでしょうか?

しかし妻には欺瞞に満ちていると見える夫の姿、私にはこれが本来のフランクの姿だと感じます。妻は夫に理想を押し付けているのか?それともフランクには、本当に別の自由な彼の生活があるのか?そして一環して夫が妻に望むのは、「良き妻」のみであること。本当に夫婦とは難しい。

亡き姑は私に「男の言う怒りに任せた言葉は、全部口から出まかせやで。信じたらあかん」と、常々私に言ったものです。フランクの妻への罵詈雑言は本当にそうだなと思いました。しかしエイプリルの言葉は、全部本心でした。このすれ違い。それを埋めるのが、ラストのベイツの夫が妻の言葉をさえぎるため、黙って補聴器を切ることであり、夫婦ともそれぞれフランク夫妻に気があったのに、何事もなかったように夫婦を続ける隣人夫婦の姿でしょうか?

「タイタニック」から十年以上。レオもケイトも順風満帆の役者街道を歩き、華と実力を兼ね備えた、立派な俳優となりました。今回もささやかな心の機微も繊細な演技力で表現し、観る者に強く訴えかけ、理解もさせる演技で、堪能させてくれます。

夫婦生活を長続きさせるコツは、色々言われます。馬鹿になる、我慢する、理解する、受け入れる。どれもが本当です。「そうか、君はもういないのか」のドラマ化で、気の利いたセリフを聞きました。「夫婦は無邪気でいること」。無邪気に楽しみ、無邪気に困難と戯れる。無邪気と言う言葉からは、立ち向かうという言葉は似合わないので。今のところ、この言葉が一番気に入っています。





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