ケイケイの映画日記
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あぁ観て良かった!忙しさにかまけて、遅々として進まぬ映画スケジュールなんですが、本日は久し振りに梅田ガーデンシネマではしごです。内モンゴルを舞台にした作品で、主演のユー・ナン以外は、現地の遊牧民に演じてもらったと言う珍しい作品です。昨年度ベルリン映画祭金熊賞グランプリ受賞作。
内モンゴルの遊牧民の妻であるトゥヤー(ユー・ナン)。夫のバータルは井戸掘りの事故で障害者となり、一家の働き手は彼女一人です。子供を二人抱え、過酷な労働の日々に、トゥヤーは体を壊してしまいます。見かねたバータルの姉は、自分が弟を引き取るから、離婚しろとトゥヤーに勧めます。夫のバータルも同意して、彼女に再婚しろと言います。仕方なしに同意するトゥヤーですが、彼女の再婚の条件は、バータルも共に面倒をみてくれる人という、仰天するものでした。
今回ネタバレです。 このあらすじを読んだ時、絶対観ようと思いました。読んだだけでトゥヤーという女性が好きになり、その心情が理解出来ました。どんなにたくましく素敵な人かと想像しましたが、想像を超える誇りに満ちた人でもありました。
主演のユー・ナンは、ノーメイクで日焼けした、かの地の女性になり切った熱演で、素晴らしかったです。現地の人の中に混ざっても、全く浮いた感じがありません。女優らしく着飾った姿はとても美しい人で、次回作はあのウォシャオスキー兄弟の作品だとか。
羊の放牧に毎日の水くみが二往復30キロの道のり。そしてガスもなく最小限の電気を使っての、文明とは程遠い生活。都会に住む者には雄大な自然に思えるこの土地ですが、生活するには厳しすぎる場所だと感じます。何故仕事がありそうな都会へ移らないのか?との疑問も出るでしょうが、自分たちのアイデンティティーの詰まったこの土地に、彼らが拘り愛着を持ち、離れがたくしているのを、さりげなく随所で演出していて、納得出来ます。
息子のザヤを呼ぶ時、トゥヤーはいつもけたたましく、少し怒ったような口調です。母親がそんな態度で子供に接する時は、心にも時間にも余裕がない時です。「お父さんが動けなくなり、男の子のお前が頼りなんだよ」と言いつつ、まだ幼ないザヤには無理な相談だとは、彼女が一番知っていたでしょう。わかっているのに言わずにいられないのでしょう。隣人のセンゲーが、トゥヤーに向かって、「男が欲しいんだろ!」と、からかって言いますが、それは「働いて家族を守ってくれる男」という意味だと思います。
病に倒れたトゥヤーが義姉に、「バータルは?」と聞くと、「死にたいだとさ。死んでくれたら、私も嫁(トゥヤーのこと)も嬉しいよと答えてやったさ」と、言います。その愛情のこもった毒舌ぶりに、やっと微笑むトゥヤー。夫を早くに亡くし、6人の子供を女で一つで育てた義姉は、それがお酒の力を借りなければやり過ごせないほど大変だったと語り、再婚を勧めるのは、義妹にはそんな苦労をさせたくないとの思いも感じるのです。厳しい自然に囲まれたかの地では、女が子供を育てるには、男性が必要不可欠なのだと感じます。色々な国の作品を観ていますが、女性が自分の口を養える仕事を選べるのは、先進国だけなのでしょう。
まだ若くて美人、そして気立ての良いトゥヤーには、求婚者が殺到しますが、皆バータルの件で難色を示します。そんな時、トゥヤーの中学の同級生だったボロルが現れます。当時からずっと彼女が好きだったボロルは今は石油の仕事で成功し、彼女に求婚。バータルは介護施設で手厚く介護してもらおうと言います。
夫と自分たちの生活のために、ボロルとの再婚を決意するトゥヤー。そこには夫への愛はあっても、ボロルへの愛はありません。しかし家族と離れて、生きていく甲斐のなくなったバータルは、手首を切って自殺を図ります。この土地で障害者となるということは、一生厄介者の人生です。しかし傍に妻子がいることが、バータルの生きるよすがだったと思います。張り詰めていた糸が切れたのですね。
優しく夫を慰めるかと思ったトゥヤーですが、一命を取り留めた夫に罵詈雑言を浴びせます。そして子供たちを抱きしめ、「家族の誰も死なせない!」と叫びます。ここで号泣する私。そうなのです。子供がいなければ、夫婦二人で死んでもいい。でも子供のために、そんな無様なことは出来ません。何としても生きなければ。トゥヤーのその気持ちを支えているのは、バータルが生きていてくれることなのです。例え離婚して夫ではなくなっても、トゥヤーにとってバータルは、大切な家族であることには変わりないのですから。
ボロルは離婚経験があり、今は大金持ちですが、浮き沈みのある人生を送って来た人です。お金で動く人の心の卑しさを、いやというほど見てきたはずなのに、ずっと想い続けてきたトゥヤーを我がものにしようとした時、彼が使ったのは、やはりお金でした。そのことで傷つき反省しているボロルの様子が映され、少しほっとします。
この一件で、ボロルとの結婚を断ったトゥヤーでしたが、ずっと近くでトゥヤーを見続けていたセンゲーは、尻軽女房とは別れるので、トゥヤーに結婚して欲しいと言います。もちろんバータルは自分を養うとも。人がいいばかりで甲斐性がなく、不実な妻の言いなりだったセンゲーですが、決してろくでなしなどではありません。それは近くにいた、トゥヤーが一番知っています。求婚を受け入れる彼女。その気持ちには、ボロルの時とは違う、夫のため子供のためというだけではなく、夫として愛して行ける人だと、彼女が思えたからだと思います。財力に左右されず、自分が愛して行ける人かどうかで再婚相手を選んだ彼女。そこに人としての誇りを感じました。
そして結婚式。様々な不安が襲い、人知れず涙する彼女。ずっと歩かないバータルが、一度だけ松葉杖をついて歩くシーンがありました。それまで半身不随だと思っていたのですが、男性機能は大丈夫なのでしょう。これからはトゥヤーは、子供たちだけではなく、バータルにとっても母となり、妻ではなくなります。男性として耐えがたい屈辱と同時に、妻子の幸せを願うバータルもいるはずです。
トゥヤーにしてもセンゲーにしても、これから愛を育んでいけば、それは二人にとって幸せでもあり、バータルに対して罪悪感も感じ続けるはず。この複雑な思いを抱き続け、この家族のお話は続くのです。それを表したトゥヤーの涙。しかし生きる事に誠実でたくましく、一生懸命な「三人の親」を持った二人の子供は、必ずやこれを糧に、立派に成長してくれるでしょう。
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