ケイケイの映画日記
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2007年10月23日(火) 「ミリキタニの猫」




上の画像をご覧に下さい。これが撮影当時80歳の日系アメリカ人、ジミー・ミリキタニ(ミリキタニ・ツトム)が描いた絵です。2001年NY。彼はホームレスのストリート画家です。アメリカに生まれた彼ですが、子どもの時に両親と共に日本の広島に帰国。しかし軍人になれと言う父親に反発し、アメリカで結婚していた姉を頼り、また渡米。しかしその後戦争が勃発、彼を含む日系人は、強制収容所で辛酸を舐めます。米国政府の手によって彼は市民権を放棄させられ、その後50年間社会保障は受けられず、現在に至ります。監督のリンダ・ハッテンドーフは、彼の絵の代金の代わりに、自分を撮影してくれと頼まれます。そしてあの「911」。居場所のなくなったジミーにリンダは、「うちに来ない?」と申し出ます。




東京の映画友達の皆さんが絶賛するので、期待して観てきましたが、74分の中にぎっしり詰まった、ジミー・ミリキタニの反骨精神いっぱいの人生は、実はとてつもない反戦の心でした。今回ネタバレです。




私がまずびっくりしたのは、彼が描く絵です。瑞々しいタッチと色彩を使い、生命力に溢れています。一番びっくりしたのは、全く老成していないこと。とても若々しいのです。この絵は彼の心そのものなのでしょう。彼の喋る英語は流暢ですが、日本語なまりがありました。私の身近な在日一世のお年寄りも、日本に渡って60年になろうかというのに、韓国語なまりの日本語を話す人が多いので、彼の話す英語につい微笑んでしまいます。彼の話す英語は、ジミーが日本で育ったという証しなのです。

収容所時代を含め、アメリカで苦労の限りを尽くした彼は、アメリカが大嫌いで日本は素晴らしい国だと言います。由緒正しき武士の家柄だというのが自慢の彼は、サムライ映画が大好きです。あぁ〜、在日にもいるいる、こんな年寄り。やれ自分はヤンバン(貴族階級)の出だ、李王朝の流れを汲んでいる、自分の祖先は李王朝時代大臣をしていたetc.。私も若い頃は、どんな貧乏たれだろうが貴族の家柄だろうが、みんな同じ日本に住む韓国人じゃんと、鼻白む思いで聞いていました。ですが中年になった今、それは差別激しく見下される他国で、自分の出自を支えに必死で生きてきたのであろうことが、理解出来ます。きっとジミーもそうだったのでしょう。

しきりに「自分は米国生まれのなのに、アメリカはひどい仕打ちをした」というジミー。アメリカと言う国に罵詈雑言浴びせる彼ですが、彼は日本に馴染めなかったからアメリカに戻ったはず。そんな彼を、戦争が始まったためアメリカは受け入れてくれなかったのです。言葉とは裏腹に、憎だけではない、アメリカへの複雑な感情も感じ、望郷の念を語る彼からは寂しさも感じます。

自然体でジミーを受け入れるリンダ。段々祖父と孫娘のような関係になっていき、「今日は遅いけど、ご飯は大丈夫?」と聞いたり、深夜に帰宅するリンダに「どんなに心配したと思っているんだ、結婚前の娘のすることではない」(←年齢が出る)とジミーが怒ると、「私だって自分の時間が必要なのよ!」とケンカしたり、全く微笑ましいです。ジミーが社会保障を得られるよう奮闘し、手を尽くして彼の姉を探すリンダ。それは若い彼女にとって多分初めて、日本人の戦争の傷跡を生々しく感じる道程だったと思います。

ジミーのアメリカへの敵意を沈めたのは、そんなリンダであったり、彼の絵の腕を見込んで、デイサービスで絵の教師を頼む女性であったり、善意に溢れた現代のアメリカ人です。盛んに悲惨だった収容所時代の話が出てきますが、監督のリンダは、それを自虐的なアメリカ史として捉えているのではありません。この作品では日系人ですが、場所を変え国を変えれば、被害者は東アジアの人だったりアフリカの人だったり、はたまたヨーロッパの人だって。元凶は全て戦争なのです。この作品から私が強烈に感じたのは、ここでした。

ジミーはアメリカは大嫌いでしょうが、リンダは好きなのです。国が嫌いなら、まずその国の人を好きになればいい。戦争や植民地時代を挟み、長く確執のある国同志は、国がいやなら、せめてその国の人を拒むのだけは、止めなければならないと思うのです。

私の勤め先は小さなクリニックなのですが、患者さんは私が在日だとは知りません。在日の多い土地柄なので、患者さんが先生に「この辺はあっちの人(在日)が多くて柄が悪ぅて、しょうがおまへんな」と言うのが、受付まで時々聞こえてきます。先生方は私が韓国人なのはもちろん知っておられるので、「そんなことありませんよ。人それぞれですがな」と、フォローして下さいます。私は「あっちの人」と表現する患者さんの言葉に傷つくより、私を気にかけてフォローして下さる先生の気持ちの方が嬉しいです。その方が私の心の栄養になりますから。

今日の朝一番の新患さんは、中国の四か月の女の子の赤ちゃんでした。しっかりした話しぶりでしたが、少し日本語がたどたどしいお母さんは、来日5年目だとか。月齢が小さ過ぎて、あちこちで断られたそう。「うちの先生は診て下さいますよ。ベテランさんですから」というと、心底ほっとした表情でした。他の子供を連れたお母さんと、何ら変わりはありません。お父さん似で、男の子のようだというお母さん。「お父さん似の女の子は、将来別嬪さんになるっていうねんよ。」と私が言うと、すごく嬉しそうな笑みを返してくれました。日本の言い伝えが、中国の子には関係ないということは、ありませんよね。

確執のある国の今後は、若い世代の交流にかかっていると思います。ラストに流れた、ミリキタニが再会した姉の家族と写っていた写真が、それを物語っていました。姉の、丸々日本人の顔立ちの孫娘の、愛する御主人は、白人のアメリカ人でした。


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