ケイケイの映画日記
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刺激的なシーン満載の作品ですが、セックスを通して描いている内容は、普遍的な人と人との繋がりや孤独、そして愛でした。監督はゲイをカミングアウトしているジョン・キャメロン・ミッチェル。ちょっと疑問に思う箇所もありますが、悩みを抱える善良なる、だけどちょっと変わった人々を、わかるわ〜と愛しく思える作品です。
ここはニューヨーク。ジェイムズ(ポール・ドーソン)とジェイミー(P・J・デボーイ)のゲイのカップルは、最近心がすれ違い気味。そこでカップルカウンセラーのソフィア(スックイン・リー)の元を二人で訪れます。しかしひょんなことからソフィアは、夫とのセックスでオーガズムを迎えたことがないと、彼らに吐露します。そんなソフィアに彼らが教えてくれた「ショートバス」というアンダーグランウンドのサロンは、様々な嗜好をもつ人々が、愛を求めてセックスに身を委ねるところでした。そこにはジェイムズたちに憧れる美青年セスや、SMの女王を生業とするセヴェリンもいました。
冒頭かなり長く全裸やセックスシーンが出てきます。R18指定作品であっても、普通のミニシアターに上映する作品ということで、刺激的と表現しましたが、45歳夫も子もありという私には、さほどすごいとは思いませんでした。アクロバットのようなジェイムズの自慰シーンも、だいぶ以前、体が柔らかく自分でフェラ出来るという男性の話を読んだことがあるのですが、(注・エロ雑誌にはあらず。真面目な男性向け雑誌)「とってもコンビニエントですが、あまり楽しくはありません」という、そりゃそうだろうという感想を読んでいたので、さほどはびっくりしませんでした。しかし彼がその様子をビデオに撮ったり、行為の後に流す涙に、私は変態チックなものより、もの哀しい感情を抱きます。その他ソフィア夫婦やその後繰り広げられるセックスシーンは、全ていわゆる本番らしいのですが、淫蕩だったり倒錯的だったりする雰囲気は皆無で、官能的でもありません。
お話はオーガズムを求めて試行錯誤を繰り返すソフィア、本当の気持ちをジェイミーに打ち明けられないジェームズを軸に話は進められますが、ゲイである自分を、隠居後やっとカミングアウト出来た老人、お金のための女王様なんか、もういやだ!という心優しきセヴェリン、ジェイムズとジェイミーのカップルが好きで好きで堪らない、やはりゲイの青年カレブの心情など、みんなまとめて抱きしめてあげたくなるような、切なさがいっぱいです。人には恥ずかしくて、または偏見の目が怖くて言えないようなことも、ここではみんな言えるのです。ショートバスの中では、文字通り「裸になる」ので、心もいっしょに解放されて、本当の自分の気持ちを打ち明けられるのでしょうね。
私が特に印象に残ったのはジェームズです。セヴェリンとの会話で感じたのですが、繊細で哀しげな雰囲気を漂わせる彼は、田舎町でゲイであるということで、ずっと後ろ指をさされて傷ついていたのでしょう。彼が売春をしていたのは、お金のためではなく相手を探したかったからだと思います。ジェイミーの愛が重いと言いうジェームズ。重すぎて皮膚まで浸透しない。物凄くわかるなぁ。ジェイミーはずっと父性というか母性というか、保護者みたいだったもん。長年ジェイミーと暮らしながら、体は許していないと語る彼。これが私にはわからなかったのですが、よく女郎が体は売ってもキスはしないと言いますが、それと間逆の意味だったのかと想像しました。底辺から引き揚げてもらった感謝する愛ではなく、本当に対等に愛していると確信を持ってから、ジェイミーに抱かれたかったのかと思いました。この辺は男女間なら、ソフィアのオーガズム以上の問題だと思います。
ただ苦言を呈せば、男×男のセックスシーンの方が際立って美しいのは何故?イケメン男子三人の3Pシーンも、ユーモラスな感じこそあれ、嫌悪感はありません。なのに男女間の方や、ソフィアの自慰シーンなど滑稽で少々グロテスクです。「エマニエル夫人」のようなファンタジックなエロシーンは、ふりつけありで美しく撮っているもので、本来のセックスなんて、やっている方は楽しいけど、観ている方はこんなもんだと思うのです。私には想像でしかありませんが、男同士だって滑稽でグロテスクなもんじゃないんでしょうか?
ソフィアのヒモ夫だって、無職で嫁に食わせてもらっていながら、セックスで絶頂感も与えられないとあっちゃ、もっと自分の男としての存在価値の無さに悶々となり、卑屈になるもんじゃないかと思います。ちょっと悩んでいますどころの騒ぎじゃないと思うけど。
ソフィアの焦る気持ちは充分同情出来るよう作ってありますが、彼女がどんどんブスになっていくのはいかがなものか。それとソフィアの場合は夫だからオーガズムを感じないのではなく、今まで一度もオーガズムを感じていないと言うのが問題の争点なわけです。その辺の描き方が曖昧な気がします。ちょろっと厳しかった両親を匂わして、彼女の精神的な背景は終わりというのでは、バイブや大人のおもちゃを本当に挿入してまでソフィアを熱演していたリーが気の毒な気がしました。ゲイの男性陣が、一を描けば十わかる的を射た演出だったのに比べたら、ちょっと物足りません。これは監督の特性を考えたら仕方ないんでしょうか?
とは言え、ノーマルな性から少々外れた人々を、暖かく包み込むその様子に、最後はジーンときて涙まで流した私でした。考えてみればセックスは一人では出来ないもの。一人ぼっちではない自分を確認するのは、人としてとても大切なことなのだと、セックスシーンではなく服を着た彼らから教えてもらいました。誰彼なしに勧められる作品ではありませんが、テーマは決してキワモノでもイロモノでもありませんので、ご安心を。
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