ケイケイの映画日記
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2007年01月16日(火) 「愛の流刑地」

私の天敵の、愛欲に狂う子持ち女が、間男に殺されるお話。でもね、「ハッピーエンド」とか、「運命の女」とか、好きな作品もあるんですよ。原作は渡辺淳一の情痴小説です。この手は「失楽園」は元より、「ひとひらの雪」「化身」など、もうええって、というほど映画化されており、最初はパスのつもりでした。しかし監督が鶴橋康夫と聞き、俄然注目度アップ。鶴橋康夫は、長年読売テレビで腕を揮った名ディレクターで、数年前に会社を定年退職。それを知らないまま、TBS系の二時間ドラマを観ていた私は、あまりの面白さにこれは何か特別番組かと思いきや、クレジットに彼の名前を見つけて納得。それほど凡庸な演出とは一線を画すドラマを作る人です。ずっとドラマに拘ってきた人が、満を持して監督した作品。期待は高かったですが、ほんとに鶴橋康夫か?と目を疑うほど、私にはダメでした。

村尾菊治(豊川悦史)という元流行作家が、情事の果てに女性を殺したと警察に電話します。女性は入江冬香(寺島しのぶ)という夫と子供が三人いる人妻です。情事の最中に冬香に「殺してくれ」と求められるまま、首を絞めた菊治。その果ての死でした。彼女に頼まれたからという村尾の証言が焦点となる裁判中で、菊治と冬香の愛が浮き彫りにされていきます。

渡辺淳一の情痴小説は、中身はくだらない内容が多いのですが、それを性への探求と読ませる工夫があり、伊達には遊んでいない渡辺氏の、自身を投影している主人公の語る薀蓄も適当に興味深く、どうしても女遊びが止められない男達を、しゃあないなぁと、可愛げある風情に感じさせてくれるので、読んでいる間は結構面白いです。しかしこの映画、それもない。

のっけから殺人に至った情交場面が映されますが、まぁ確かに多少は刺激的ですが、びっくりするほどのもんじゃないです。この最初のシーンに限らず、これでもかとセックスシーンが出てきますが、正直全部一本調子の演出です。一般映画の場合性描写というのは、ただ卑猥に扇情的に見えれば良いというのではなく、そこに登場人物の感情が込められなくてはいけないと思うんですが、これが同じようなものが繰り返されるだけ。最初こそ恥ずかしげだった冬香ですが、あれだって子持ちの主婦が夫以外の男と初めて一線を越えるのは、ものすごいエネルギーがなくちゃ出来ないもんでしょうが(未経験なので想像)、いけないわ、とか言いながら、この奥様軽々超えたように私には見えました。イーストウッドが監督した「マディソン群の橋」のメリル・ストリープは、もっと悩んでたけどなぁ。悩むシーンがあるかなしかで、女性客の感情移入は違ってくると思います。何が観ていて疑問かというと、この冬香、罪悪感の描写が一切ないんです。

冬香の性は菊治によって開発された、と描きたかった模様ですが、それにしては性描写からは段々大胆になった様子もそれほど見えません。なのでやれ子供が熱を出したのに連絡がつかなかったり、家族と過ごすはずの自分の誕生日に菊治と逢引したり、子供を学校に送り出してから息せき切って、逢瀬を重ねる様に説得力不足。狂おしさがあまり伝わって来ません。この辺はR15にせず18禁で作ったら、この辺りの不満は解消されたはずです。だいたいこの題材で、高校生が観るか?その辺に作る側の中途半端な思惑を感じます。それにしてもこれくらいの描写で、なんばTOHOは女性専用にスクリーンを用意するなんて、いつの時代の話?

女検事の長谷川京子がどうしようもないです。被疑者取調べで、あんな胸の開いたタンクトップ着るか?女女した口調や噂話を審議にかけるような取調べの内容も失笑もの。法廷でも胸が開いた服をやたら着るし、カツゼツも悪く、職業柄の厳しさや知性が全く見えません。この検事、自分も不倫しているのですが、その女の情念を表現したいようなシーンも出てきますが、普段から発情している風なので落差がなく、そのシーンも盛り上がりません。どうしてこんなキャラにしたのか、私には意味不明です。

冬香は仕事で忙しすぎる夫に不満があったのは、夫役仲村トオルの法廷での証言でわかりますが、それにしては回想シーンで子供と遊んでいたり、父親を見つけて、子供達がパパーと飛んで走るシーンなどの挿入もあり、これもいったい何を言いたいのかわからない。夫と子供は別物ですが、女は良き夫ではなくても、良き父親なら、少しのことは我慢出来るもんです。今のご時世では子供が三人居て専業主婦というのは経済的に恵まれているのでしょう。いくら夫が会社人間だったとして、その不満のはけ口に見出したのが開発された女体とは、いかにも男のファンタジーです。冬香は元から淫乱だったのだと表現したければ、(以下上の文章参照)。

冬香はセックスの最中、「殺して・・・」と始終言うようになり、その結果が殺人なわけですが、その結論付けは、子供を捨てて菊治の元へ行くことも出来ず、迷いあぐねた選択が、菊治に殺してもらうことで、菊治の最後の女にとなり、一生彼を我が物にしたいということらしいです。これが菊治が法廷で叫ぶ、「あなたは死にたいほど、人を愛したことがありますか!」の絶叫の主旨なんですって。へぇ〜〜〜〜〜。

好きにすれば。

ホントにね、月光院の方が三倍くらいましです。だいたい死にたかったら、自分で死ねば?こんな情事の最中に死んだら、格好のワイドショーネタになり、自分の子供達がどんな思いをするか、わかるだろうが?菊治の元妻に「あんたも首を絞められたのか?」と下卑たいたずら電話がかかってくると出てきますが、それなら仲村トオルも、「あんたの嫁さんは、あの最中にしょっちゅう首を絞めてと言ったのか?」とからかわれるだろうが。エリートサラリーマンが出世の道も断たれるだろうし、そうすると路頭に迷うのは子供達だよ。まぁここまで頭が回れば、あんなことしないか。要するに浅はか過ぎるわけ。それをご大層に至高の愛みたいに言うから腹が立つのです。ただの幼稚な中年男女じゃん。

しかし淳一さまの原作は、人妻と旅したり、エッチの最中で死んだりが多いなぁ。人妻と旅行ってそんなに興奮すんの?これは今回、多くの渡辺作品で著者を投影した人物を演じた津川雅彦が、「年を取ると先を考えて、もう手が出ないよ。」と語ったように、現実ではもうないことなので、作品の中で夢を描いているんですかねぇ。

寺島しのぶは、演技は上手いです。でも美しくない。同じ脱いで濡れ場を演じた「赤目四十八滝心中未遂」で、安娼婦役があれほど美しかったのに。菊治が何故夢中になるのか、彼女がどういう女性なのかがイマイチ観えてこず、あれでは今まで夫で満足出来なかったのが、満足させてくれたのが菊治だった、だから夢中になった、だけに観えます。魔性の女としてもファムファタールとしても、色艶が不足。寺島しのぶはせっかく演技力があるのですから、もう30半ばだし、脱ぎがOKだからでキャスティングされた作品は、辞めた方がいいと思います。

トヨエツは・・・まぁこんなもんかな?幼稚な愛を大人の愛のように語れても、世間並みの知恵のある大人ではないです。だいたい「これ以上冬香をさらし者にしたくない」だとぉ?あんたも娘がいんだろうが?それなりに名前も知られた作家の娘だってみんな知っているのに、殺した女の世間体より、自分の娘が晒されている世間の冷たさを思いやれんのか?(ムカムカムカ)菊治もまた、スランプに陥っている時、自分のファンだった女の体を開発した、それが男としての自信を取り戻すきっかけとなり、彼女にのめり込んだだけに感じました。

ちょっと激しい濡れ場を連続して見せれば、狂おしい愛を描けるってもんじゃないでしょう。あれでは肉欲に溺れている自分たちの言い訳に、愛を持ち出しているようにしか思えません。

いい年をして愛に狂うも性に狂うも、それはその人の責任において全然構わないと思います。むしろ、人生の老いらくにそんなことがあれば、それは一つの幸せでしょう。しかし一度人の親となったら、その子が成人するまで、親としての自分を一番に考えなければいけないんじゃないでしょうか?それをこの二人は全く責任感がありません。バーのママが語る過去の修羅場の話は、これこそ不倫の代償として受けなければならない罰のはず。本来なら、冬香は家を出て菊治の元に行き、子供達とは一切会わない、会えない状況に自分を追い込み、甘美な肉欲と身を切られるような辛さとを両方味わうべきだと思います。そこで彼女が何を感じ何を取捨選択するのか?女の不可思議な性を描くなら、そういう内容だと思います。が、これは性の伝道師淳一さまの原作ですから、情事の最中死ぬのが肝心なんでしょうね。

劇場はレディースデーでもないのに、超満員でした。これが至高の愛だと受け入れられたら、私は哀しいなぁ。


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