ケイケイの映画日記
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2006年06月03日(土) 「雪に願うこと」


昨日ラインシネマで観て来ました。最近この手の良質だけどヒットが難しそうなミニシアター向けの作品も、ラインシネマで上映されるので電車に乗らなくて済み、仕事を終えた午後を有効に使えるので嬉しい限りです。第18回東京国際映画祭グランプリ作品。監督は根岸吉太郎。地味ですが深々と心に響く秀作です。

東京で事業に失敗した矢崎学(伊勢谷友介)。会社も友人も妻も失い、長年顔も見せなかった故郷帯広まで、母親(草笛光子)の顔を見たさにやってきます。故郷では兄・威夫(佐藤浩市)が「ばんえい競馬」の調教師として、厩舎を運営しています。威夫は元ばんえい競馬の騎手でした。頼るところのない学は、兄の下厩舎で働くことになります。

一番最初に故郷から帰ってきた学が、ばんえい競馬の競馬場に向かうシーンが映し出されます。私はばんえい競馬なんて全然知らなかったのですが、サラブレッドなどの足の速い馬を使うのではなく、農耕馬を使い、騎手は騎乗ではなくそりに乗り、馬を走らせます。そしてただ走るだけではなく、坂など障害物も越えなければなりません。詳しくはここ。正直画面で観た感想は、ちょっとどんくさく、あまり手に汗握る感じではありません。しかし馬といっしょに馬券を買った人々が走り応援する姿には、地域に密着した楽しさを感じ、のどかでいいなぁとも思いました。しかしこの「どんくさい」が、ラストのレースでは「力強い」と思わせる流れに、ストーリーが成り立っています。

矢崎厩舎で働く面々の姿が実にいいです。早朝の暗いうちから厩舎の掃除、馬の手入れ、餌やり、そしてレースの調教など、とても大変な仕事ぶりを、丁寧にスクリーンに映します。そして賄い婦晴子(小泉今日子)の作る、力の出そうな盛りだくさんの手作りの食事を、厩舎の全員で笑顔でパクつく姿には、低賃金で過酷な労働の辛さより、生命のある物を慈しみ、汗水たらして働く労働の充実感を感じさせます。それは貿易で財をなして、夜な夜な派手に遊びまわっていた学が、一瞬のうちに無一文になる姿と対比して、金銭の大小ではない、労働の意義を感じさせます。

お話はややありふれた物で、都会に出て成功と挫折を経験した学が、本人曰く「みじめたらしくて反吐が出る」故郷に郷愁が募り、やがて再生する姿を映し出します。しかしこの心の復活ぶりの描き方が、素晴らしく清々しいです。学を説教するわけでも愛で包むのでもなく、兄は常にぶっきら棒で、気に入らないと殴る蹴る。しかしその様子に、13年も不義理をしていた年の離れた弟への、肉親の愛情が滲みます。学と同級生だった哲夫(山本浩司)の純真さ、他の厩務員の馬への愛情、晴子の優しさ、同じように挫折を味わおうとしている女性騎手牧恵(吹石一恵)、この人々との出会いを通じて、学がこれからの自分がどう生きなければならないか、頭ごなしではなく、しっかり教えてくれるのです。

主演の伊勢谷友介は、演技巧者の感じはしませんが、ハンサムで頭は良さそうだが、人としてどこか軽い学の心の移り変わりを、観る者に充分納得させる存在感がありました。存在感といえば佐藤浩市&キョンキョン。寡黙な故郷を愛する不器用な男を演じて、存在感たっぷり。健さん以外で、こんな不器用な男を魅力的に演じられるのは、彼しかいないかも。キョンキョンはもうすごい!割烹着着て、賄いのおばさんにちゃんと見えるし、夜はスナックの雇われママなのですが、綺麗だけど場末の水商売の女に、ちゃんと見えます。そしてお話全体を柔らかく包む、母性的な包容力が素晴らしく、彼女の存在で、ぐっと作品のコクが上がったと思います。

厩舎の仕事ぶりだけではなく、ばんえい競馬には本当に女性騎手もいるそうですが、吹石一恵はスタントなしでこなしており、立派。黒い髪、太い眉、大きな瞳にふっくら顔の清純な彼女を、私はいつも好感を持って見ていますが、良い意味で垢抜けないところが芯の強さを感じさせ、この作品にぴったりでした。その他獣医役の椎名桔平が、本当に馬の口の奥まで手を入れて、診察しているシーンにはびっくり。でもこういうところの気の使い方が、作品の質を上げるのだと思います。

成績が悪く馬肉寸前のウンリュウという馬に、学と牧恵の再生を託された競争シーンは、冒頭ののどかさではなく、華やかさはないけれど、踏まれても立ち上がる力強さのようなものを感じさせて、秀逸です。それは撮影方法だけではなく、ウンリュウを再走させた威夫の、学や牧恵への愛と激励の心を、私がしっかり受け取ったからに違いありません。





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