ケイケイの映画日記
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2006年03月30日(木) 「力道山」


終了間際の今日観て来ました。本当は「ブロークバック・マウンテン」を観に梅田まで出かけようかと思っていたのですが、昨日急に、見逃しを納得していたこの作品への未練がムクムク。巷の評判は今一歩で、あまりヒットしていないようですが(そもそもラインシネマの上映も、最初から日に2回。それでなかなか観られなかった)、在日の私には、やはり観なくてはいけない作品に思えたからです。迷ったあげく信頼筋の方にお尋ねすると、押されたのは「力道山」の方。「『ブロークバック』は退院後もやっている。」とのご返答に目から鱗。私ったら、いつも公開直後に観ているので、そういう思考がまるでありませんでした。結果もうもう大感激!
やはり私には観るべき作品でした。

1944年、まだ第二次大戦の最中、貧しさから朝鮮半島からやってきたキム・シラルク(ソル・ギョング)は、相撲部屋に入門するも、先輩力士の手ひどいいじめにあっていました。成功しなければ国へは戻れないシラルクは、一計を案じ部屋の谷町である興行主の菅野(藤竜也)の目に止まります。彼にその気性の激しさを気に入られたシラルクは、「力道山」というシコ名をもらい、同時に彼が後見人である芸者の綾(中谷美紀)を娶ります。順調に実力をつける力道山ですが、国籍の壁は厚く、ついに彼は相撲協会にたてつき廃業。ふさぐ日々を妻に支えられながら暮らしていた彼ですが、ある日偶然目にしたプロレスに魅せられます。

まずは実物の力道山です。ギョングは彼に似せようとこの作品では約30キロウェートを増加、評判どおりちゃんとプロレスラーに見える体格にしてありました。プロレスが舞台ですので、試合のシーンもふんだんにあり、そのほとんどをギョングは自分でこなしているように見え(若干は吹き替えありかな?)ます。大技のシーンにも挑戦し、故橋本真也、武藤敬次、船木誠勝など本物のプロレスラーが大挙出演したのが功を奏して、迫力や技の厚みが充実していて、立派なもんでした。

ギョングは、日本語になるとやや棒読みのきらいと、若干在日のなまりとはイントネーションが違いますが、ほぼ日本語ばかりのセリフも吹き替えなしでこなし、さすがです。強烈な自我を撒き散らし、孤高というには幼稚過ぎる、一向に大人になれない巨漢の男の哀しさと孤独を、持ち前の演技力でいやというほどに演じています。どの作品を観ても常に彼は渾身の演技で、本当に感心してしまいます。

他のキャストも、藤竜也の貫禄と懐の深さを感じさせる演技にも感嘆。きかん坊のように言う事を聞かない力道山に手を焼きながら、父親のような愛情を注ぐ姿は、決して力道山を愛玩物としてではなく、一人の人間として愛しているのが、挿入する数々の出来事でわかります。

綾を演じる中谷美紀もしかり。力道山が綾に魅かれたのは、その美貌のみならず、宴席で三味線を弾く彼女の横顔の「孤独」ではなかったかと思います。貧しさゆえ朝鮮から日本に来た力道山、やはり辛い事情があったであろう、長崎から東京に出て芸者になった綾。同じ孤独を共有する者同士であったのが、やがて夫は成功者に付き物の誰にも本心を明かせない孤独にさいなまれ、妻は夫の心が掴めない孤独を託ちます。男性というのは、ともすれば妻に母親を重ね、何をしても最後は許してくれる存在だと思ってしまいがち。妻の方も、そんな夫に愛想尽かしする前に子供が出来、自分も母となり、そんな夫を不承不承受け入れるうちに、やがては男女の愛から夫婦の情へ移行すると思うのですが、この二人には子供がいませんでした。いつまでもお互いを真剣に見つめる気持ちは、純粋であるが故に孤独を癒してはくれません。

最後まで力道山のマネージャーを勤める吉町(萩原聖人)は、血の気の多い破天荒な力道山に、穏やかで協調性を重んじる自分には無い、男としての憧れがあったのではと感じました。その気持ちが、自分の子供のバースデーカードに書いた文章に表れていました。力道山にしても、学習能力のない自分を支える吉町にすまないと思いつつ、彼もまた吉町がそばにいてくれることに、自分を委ねることが出来る、得難い開放感があったかと思います。

そんな自分を心から愛する人々の気持ちを、何故力道山は踏みにじり、自分をもズタズタに傷つけたのか?ひとえに朝鮮人であることを、ひた隠しにしていたからではないでしょうか?彼が朝鮮人であることは、現役時代は知られてはいなかったはずです。日本で差別され渡米した彼は、帰国してから洋館に住みベッドで眠っていました。スープとパンのディナーを食べ、朝鮮語を話す友人などいないと、自分から一切の故郷のしがらみを取り去っても、故郷の家庭料理を隠れて食べ、夢に出てくる母を恋しく思う気持ちはどうにもならない。意識して日本の習慣から逃れ、自分は朝鮮人でも日本人でもなく、世界人だと言いながら、逃れても逃れても追ってくる朝鮮人の自分の血。本来なら自分を差別しただろう人々の熱い応援は、「負けられない力道山」を彼の心に棲みつかせたのではないかと感じました。男としての、朝鮮人としての、バカバカしくも愚直で純粋なプライドを貫いた力道山の幕引きが、あのような形であったことは、私は彼に似つかわしかったように思います。

韓国で在日の心が掬い取られることはめったになく、このように丁寧に日本で成功した在日の作品が作られたことに、私は嬉しく思いました。エンディングでフィクションだと但し書きがあるように、この作品は単なるプロレスのヒーロー物ではなく、一人の成功した在日の、強烈な自我の奥の孤独が描きたかったのではないかと思います。なるほど、日本の人にはイマイチ芳しくないのも肯けますが、私のような同じ立場の者には、忘れられない作品となりました。


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