ケイケイの映画日記
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韓国の19世紀後半の貴族社会が仕切る芸術の世界で、民間から宮廷画家にまで上り詰めた、伝説の実在人物チャン・スンオプを描く作品です。李王朝の流れをくむ貴族は、韓国では両班=ヤンバンと呼ばれ、格式様式から全て庶民とは一線を画していました。ヨン様の「スキャンダル」は、そのヤンバンの世界を描いた作品です。
今人気の韓国俳優リュ・シオンがヤンバンの出だと話題ですが、実は私の夫の両親も祖先をたどればヤンバンの出。私の方は母がヤンバン、父はこの作品で幾度となくスンオプが蔑まれる「身分卑しき」出です。観光地として日本の方にも知られるようになった済州島出身で、「血と骨」の金俊平と同じです。済州島出身者は今でこそましになっていますが、私が若い頃は同じ民族なのに差別対象で、二世まで強くその感情が残っていました。昔から夫婦ケンカの絶えなかった母は父のことを、「世が世なら、身分違いで結婚などなかった相手」みたいなことをよく私や妹に言っていました。なら結婚するなよ、と言いたかったところですが、結婚当初は雲行きが怪しくなるなどどは思ってもいなかったんでしょう。当時私の本籍地は父親と同じ済州島。私が結婚して夫の本籍地であり、母の結婚前の本籍地だった慶尚北道に変わった戸籍を見て、母が喜んだことよ。
かように現代でもそのプライドの高さを引きずるヤンバンと、「下賎な血」の混濁した私は、この作品を観て図らずもどちらの血が強いか思い知りました。
開明派の学者キム(アン・ソンギ)は、町で殴られている孤児スンオプ(大人になってからはチェ・ミンシク)を助け家に連れて帰りますが、スンオプはヤンバンの窮屈な暮らしを嫌い、又経済的に苦しいキム家を思い家を出て行きます。数年後、偶然に再会した二人。彼の類稀な絵の才能を感じたキムは、スンオプに絵の修行をさせようと、知り合いの通訳官に預けます。次々と素晴らしい絵を描く彼の名声は世に轟くようになりますが、酒と女の手放せない放蕩暮らしは納まりません。そんな彼に、キムは人の真似でない自分しか書けない、魂のこもった絵を描くよう諭し、スンオプは苦悩します。
古今東西、破天荒な芸術家を扱った作品はたくさんあり、この作品でも創作との壮絶な葛藤が描かれます。しかし鬼気迫るという感じではなく、自分の才能の出し方がわからず、持て余しているかのようです。少々酒に飲まれるきらいはありますが、飲めば飲むほど傑作が生まれ、彼の筆の横では酒がかかせません。女の方は絶倫と言うより、暖かさが恋しいのです。幾人もの妓生=キーセンが彼の周りを彩りますが、彼が焦がれたのはみな包容力に溢れた、母性を感じさせる相手です。初恋のソウンにそっくりのキーセンに出会い、床に呼びますが、会話もそこそこ、そそくさとお務めを済まそうとする彼女に幻滅し、手も触れようとはしません。そのことからも、彼が肉体的な快楽だけで女を相手にしているのではなく、心のつながりも求めているのがわかります。
何故なら、絵心は教養や学問に左右されるとのたもう貴族の中で、無学なスンオプは腕一本でのし上がり、嫉妬や差別の渦の中、ただ一人身を置いているのです。酒と女はそんな彼の慰めであり、心の拠りどころであったのでしょう、少しも遠ざければ良いのにとは感じませんでした。
しかし彼を取り巻く貴族たちが全て陰険なプライドだけの人かと言うとそれは又別で、危機が迫るとみな彼の才能を慈しみ、救われるのです。お金になるとかならないとかではなく、彼を愛するのではなく、彼の才能を愛していた貴族たち。大昔から学問と芸術には深い理解のあったヤンバンならではの懐の深さを示す描写だと感じました。
スンオプと似たもの同士のようなメヒャンは根無し草のキーセンですが、それは迫害されているキリスト教徒だからで、飄々と混乱する世の中を体一つで渡る、度胸としなやかさに富んだ女性で、一番スンオプに似合った女性でした。事実彼女が一番長く彼の人生にかかわった女性と描くことで、スンオプの誰にも支配されない、彼の心の自由さも浮かび上がってきます。
せっかく宮廷画家まで上り詰めたのに、彼は逃げ出してしまいます。そして メヒャンからも。その圧倒的な才能のため、弟子たちは彼の人柄は慕っているのに、自分の限界を思い知らされ次々スンオプから去っていきます。彼はそのことを受け入れ、生涯守るものもなく、束縛されることも嫌います。宮廷画家として暮す人生は、飼われているのといっしょ。自分の人生の主は、一生自分なのですね。家名や名誉にがんじがらめになったヤンバンの人たちと接っしたスンオプは、一度も自分の出自を呪いませんでした。
キムは直接スンオプに絵を教えたのではありませんが、彼が生涯「先生」と呼んだのはキムだけでした。年老いた者同士の良き師と弟子の姿は、親子の情とは違う味わい深さを感じます。子供たちが独立し、夫を見送った後は、誰にも何も告げずに、一人放浪するのも悪くないかな、などと生まれて初めて考えました。
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