ケイケイの映画日記
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2005年01月27日(木) |
「エイプリルの七面鳥」 |
昔から仲の悪いママ(パトリシア・クラークソン)と長女エイプリル(ケイティ・ホームズ)。今娘は家を出て誠実そうだが黒人の男性と同棲中。しかし母親は病気で余命いくばくもない。そうと知ったエイプリルはママのため、感謝祭の日に家族全員をディナーに招待し、七面鳥を焼くのに奮闘します。と、ただこれだけの映画です。本当にこれだけ。それもたった80分。しかし私は観終わったあと、電車の中までしばらく涙が止まりませんでした。今日は先にリバイバル公開の「エレファント・マン」を観たのですが、個人的に軍配はこちらに。私の好きな「ギルバート・グレイプ」「アバウト・ア・ボーイ」の脚本を手がけたピーター・ヘッジズが、今回初監督で脚本も担当しています。
冒頭の演出が上手いです。エイプリルは早くディナーの用意をしなければならないのに、いつまでもグズグズしてベッドから出てきません。家族に会いたいのに、今までのことを考えると、本当に来てくれるのか気が重いのです。ママはみんなまだ着替えもしていないのに、身支度を整え車の中です。後のシーンでは散々エイプリルの悪口を言ったり、悪意のある言動をするのですが、この冒頭のシーンがあるため、それは彼女の本心ではなく、娘に対する愛情の裏返しだとわかります。
心暖まる筋立てだけかと言うと、これがスリルとサスペンスたっぷりです。どんなサスペンスかと言うと、エイプリルは七面鳥を焼こうとするとオーブンは壊れており、必死になってアパートの各部屋を回って、オーブンを貸してくれる家を探します。どの家が貸してくれるか、ハラハラドキドキ。各々住人が個性たっぷりで楽しいです。神経質で理屈っぽい人、情の厚い黒人夫婦、菜食主義の青白い婦人、仲の良い中国人家族など、アメリカの縮図のようです。そしてスラムのど真ん中です風外観の汚いアパートも、ひとたびドアを開ければ、その家の住人の温もりを感じます。アメリカの中流家庭であるエイプリルの家族をフィルターにし、柔らかく差別感をたしなめているようです。
家族の方も中々エイプリルの家までたどり着けません。道がわからなかったり、途中でリスを轢いてしまい、きちんとお葬式?したり。そしてママの体は絶不調。大丈夫だと言いながら、車を止めてはトイレに駆け込み吐いています。最初は何の病気かわからないのですが、何回目かに吐いた時、頭がずれかつらだとわかります。そうか、抗がん剤を打っているのか・・・。そしてアルバムの中の胸を切除した写真を映し、乳がんだと観客に知らせます。ずっと娘の悪口を言い立てるママは、余計病気が悪くなるからエイプリルには会いたくないと言い出しますが、本当はいやいやを装っているだけです。
ママを演じるクラークソンが素晴らしい!こんな風に接していたら娘がひねくれても仕方ないような、憎々しげに娘を語る彼女ですが、上の空で他の子供と接する様子、気味悪いほど冷静だったり感情を爆発させたりの繰り返しの中、一度たりともエイプリルを褒めたり愛しているとセリフにないのに、誰よりも彼女に会いたい気持ちが伝わってきます。
年の近い子供3人、小さい時は育てるのに大変なんです。母親だって、子供を生んですぐパーフェクトな親になれるはずもなく、段々親になっていきます。一番上のエイプリルは我慢することも多かったでしょう。厳格だけれど賢いママは、きっとその事に気づいているはず。私が悪かったと。しかし娘のタトゥーやピアスだらけの姿を見るとカッとなるのです。他の子はちゃんとしているのに、何であんただけ!と。この辺の微妙な母心を、クラークソンは絶妙に演じていました。
ケイティ・ホームズは、ハツラツとした明るいアメリカ娘の雰囲気がいつも好ましいです。この作品では家族と相対するシーンはほとんどないのに、ママに対する素直な気持ちを表せない様子がとても切なく、何としても家族に会って欲しい願わずにはいられません。人気急上昇中のホームズは、愛らしいだけでなく実力も兼ね備えているようです。
その他家族と会うのをためらうエイプリルを、ずっと後押しして支えていたであろう恋人ボビー、良妻賢母の妻まかせだった家庭を、死期の近い妻のため大黒柱として踏ん張ろうとするパパ、息苦しさが包む家庭を、風通し良くする飄々とした弟、優等生で頑張り屋なのに、ママの愛を独占出来ずエイプリルに嫉妬する妹など、エピソードや細かい描写などで、よくも80分の中にきちんと整理出来たなと、本当に感嘆してしまいました。個人的にはママの実母が痴呆気味という設定に切なさと優しさを感じてしまいます。子が親より先に逝ってしまうほど、親不孝はありませんから。
サスペンスの後のラストは予測通りですが、その様子が一枚一枚スライドのように表現され、あざとさがなく好感が持てます。それはやがて亡くなるママとの思い出になるだろうと理解出来ます。
映画は時間やお金ではないなあと、今日は本当に思いました。私も母親がガンで亡くなっているので、今日はちょっとしんみり。勝手に離婚して、親兄弟と縁を切って、まだ幼児二人を抱え夫に気兼ねしながらの私に、難題や世話を全てしょいこませておきながら、口に出して心配するのは結婚していなかった妹のことばかり。襟首掴んで、あんたそれでも母親か!と言いたかったのを何度飲み込んだことか。上の二人が何とか大人になった今、もし私がガンになったら、私の頭は末っ子の心配だらけのはず。今になって母の気持ちがわかります。夫に抱かれてたしなめられるクラークソンを見て、夫のいない母の心細さを、察してやれなかった自分を悔いています。本当に襟首掴まなくて良かった。
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