ケイケイの映画日記
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2004年09月02日(木) |
「刺青」(日本映画専門チャンネル) |
本物の刺青を目の当たりにした方、割といらっしゃるのではないでしょうか?。上の息子たちが小学校高学年の頃、銭湯にはまって毎日二人で通っていたのですが、桜吹雪のオジサンを見て一目散に退散。それ以降、自分たちだけでは行かなくなったので、よほど怖かったのでしょう。このように刺青には、威圧感や怖さ、背負うことで二度と堅気に戻れないなど、因果因縁がこもっている感じがします。
大店の質屋の娘・お艶は、婚礼の相手を嫌い手代の新助と駆け落ちしますが、手引きをしたやくざ者の権次に騙され、芸者に売り飛ばされます。その時お艶が逃げ出さぬよう、腕の良い彫物師・清吉に女郎蜘蛛の刺青を入れさせます。以降お艶は、背中の女郎蜘蛛が乗り移ったが如くの悪女として生きて行くこととなります。
見事な美しい背中を披露するのは、主演の若尾文子ではなくボディダブルだそうですが、私はあんな綺麗な背中は見た事がありません。斉藤耕一の「旅の重さ」の中で中年の旅芸人役の三国連太郎が、「背中が弛んじまって、せっかくの般若が今じゃ笑ってらぁ。」みたいな自嘲気味のセリフを言ったのを覚えているのですが、なるほどこの作品の引き締まった背中の女郎蜘蛛は、背中がうごめく度、本当に蜘蛛が動いているようような妖しさです。
しかし背中は本当に語ってくれるのですが、この物語のポイントは女郎蜘蛛が乗り移ったように悪女に変身していくお艶の姿だと思うのですが、いかんせんそれ以前のお艶も、大店の娘には不釣合いの不良娘ぶりです。それも青い不良ぶりと言うより、腹の据わった貫禄のある極道の姐のようなので、刺青を入れて以降との落差が、あまり感じられないのです。
でもあんなに仇っぽく艶っぽい若尾文子なら、男は誰だって見境なくなるでしょうと納得出来るので、あんまり気にしない事にします。それくらい若尾文子は絶品です。美しいだけでなく、生々しい女の香りもします。昔同じ大映の山本富士子が高嶺の花で、この人は低嶺の花と言われていた、と母から聞いた事がありますが、もう本当に?????がいっぱいです。
昔読んだ渡辺淳一のエッセイの中で、「自分はエロスを描いているつもりなのに、映画化されるといつもポルノになっている。」と、不満を漏らされていました。増村作品を観ると、渡辺氏の仰る事が何となく理解出来ます。裸も肝心のところは映さず、曲線美や背中ばっかりなのにこの色っぽさ、艶っぽさ。演技とセリフで想像力がかき立てられ、性を通じて人物の内面まで深く描写する。これってエロスですよね?
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