ケイケイの映画日記
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打ちのめされました。今のところ私の今年のNO.1作品です。
チラシに書いてある荒筋は以下です。 都内の2DKアパートで大好きな母親と幸せに暮らす4人の兄妹。しかし彼らの父親みな別々で、学校にも通ったことがなく、3人の妹弟の存在は、大家にも知らされていなかった。ある日、母親はわずかな現金とメモを残し、兄に妹弟の世話を託し、家を出る。この日から、誰にも知られることのない4人の子供達のだけの”漂流生活”が始まる。
この作品は16年ほど前、実際に東京で起こった事件をモチーフにして作られています。この作品の事を知った時、一番自分で恥じたのは、この事件のことをすっかり忘れていたからです。当時は自分の子を重ねて、この子たちの状況を案じていたはずが、結局何かをした訳でもなく、忘れ去っていた自分。そんな私のような感覚に捕らわれた方も多いのではないでしょうか?私より一つ年下の是枝裕和監督は、そんな彼らを忘れずに構想15年、この作品を作りました。それも美しく力強く彼らを褒め、こういった事件に胸は痛めるけれど、何をすれば良いかわからない私に、答えまでくれました。それは子供は国の宝として、育児放棄した親に代わり、社会が子供の面倒を見るという欧米的な考え方ではなく、親子の結びつきが濃い日本の国に馴染む、私にも出来ることです。
下の3人の存在は秘密なので、引越しの時小さい子二人は、スーツケースの中から出てきます。そして年のころなら5年生くらいの妹は、夜になるまで 繁華街で待たされ、一目につかないよう家に入ります。大変ショッキングな出だしなのですが、母子でゲームしているようで楽しそうです。
家では色々決まりごとがあり、いずれも長男以外の子供達が人目につかないようするための、母親の身勝手な決まりなのですが、子供達は屈託なく素直に母親に従います。そしてその子供達の素直さを納得させるような、母親の躾の上手さが伺えるのです。どの子にも平等に声をかける、一緒に遊ぶ、約束を守れた子にはきちんと褒める、母親が教えたのでしょう、子供達は字も読め上手に絵も描き、自分で勉強していいます。私はびっくりしました。良い母親なのです。それなのに、何故この母親は当たり前の出生届も出さなかったのでしょうか?
地方自治体で異なりますし収入制限もありますが、母子家庭には医療費無料・母子手当て・就学援助など、金銭的に様々な手助けがあります。むろんこれらだけで生活は出来ませんが、出生届けを出し戸籍を作れば、母親の助けになることもあります。しかし出生届けを出せば、当然就学通知が来ます。長女・京子に「学校に行きたい」と言われ、「学校なんて面白くなよ。お父さんがいない子は苛められるよ。」と言う言葉にヒントがあるかと感じました。
丸ごと母親だけを信じる彼らのまぶしいくらいの素直さは、他人と比較した事がないと言うことも、起因しているように感じました。子供とて幼稚園や学校に行くと、人間関係を学んできます。その中には友人達との比較もあるでしょう。そして子供には当然の反抗や怒りなどの感情も芽生えるかと思います。母親は丸ごと自分だけを信じなくなる、それが怖かったのではないかと感じました。しかし大変間違った愛情の出し方ですが、世間で言われたような、男にだらしない鬼のような母とは、私は思えませんでした。
母親を演じるYOUは、バラエティーでお馴染みで本職の女優さんではありませんが、御存知のアニメ声や年齢不詳の雰囲気が現実感のなさを強調し妖精が年を取った雰囲気は母としての母性を感じさせ、気持ちを汲んであげたくなる、絶妙のキャスティングと思われます。
カンヌで主演男優賞を取った柳楽優弥が、長男・明役です。母親に捨てられた後、彼は必死になって生活全般から心のケアまで、弟妹を守ろうとします。見事な長男ぶりなのです。そして年の頃なら13くらいの彼に、男として家族を守る誇り高いものも感じました。そして下の二人の天真爛漫さに比べ、上の兄姉の乏しい感情の出し方に、自分たちでは気づかない、彼らが過ごした日々の厳しさも感じました。
母親ばかりば責められた事件ですが、そうだったのでしょうか?明の姿をクローズアップすることで、是枝監督は無責任で何もしない彼らの父親達の行為を、同じ男性として、静かに観客に問いかけているように感じました。
お金が底をつき電気も水道も止めれ、公園のトイレで用を足し、公園の水道で水を汲み洗濯する日々。夜は明かりもありません。しかし空のカップ麺で草木を育て、上の子は下の子の面倒を見、コンビニ店員の好意で賞味期限切れの食べ物をもらって飢えをしのぐ彼らのたくましい生命力、太陽の下の嘘偽りのない笑顔、せっかく出来た友人の誘いに乗らず万引きもしなかっ明。この正しさは何なのか?
彼らほどではなくても、明たちのように子供だけで過ごす日々が多い子たちが、私の周りでも自分の子供を通じて何人も通り過ぎました。お母さんが帰って来ないため、夜までうちで過ごさせたり、お昼ご飯を作って食べさせたり。しかし私は心配こそすれ、その子達にそれ以上の事はしてあげられません。
みんなみんな素直な良い子たちでした。そして本当に誰もお母さんの悪口を言わない。学校に来なくなったそんな中の一人を案じ、一生懸命になっていた担任の先生が、我が家で過ごすことも多かった、その子の様子を尋ねに来られたこともあります。先生は「悪口を言わないのではなく、恥ずかしくて言えないのですよ。」そう仰いました。私も同調しました。そして世間と同じように私も心の中で、そのお母さんたちを裁いていました。子供の世話はしても、そんないい加減な母親とは接したくない、そう思っていました。目の前の現実に惑わされ、そんなお母さんを孤立させてしまっていたのです。
私は間違っていました。うちの子もその子たちも明兄弟も、そして子供はみんなみんなお母さんが好きなのです。心の底から好きなのです。だから悪口を言えないのではなく、悪口などないのです。こんなお母さんに育てられたのに、こんな素直な子に育った、のではなく、このお母さんが生んで育てたからこそ、この子たちはこんなに素晴らしい子なのです
私に出来ることは子供の世話でなく、私も持っていた世間の敵意に囲まれたお母さんと話しをすることでした。ここしろ、ああしろと教えるのではなく、天気の話、子供の話、学校の話、取り留めない世間話でいいのです。この人は話しかけたら喋ってくれる、そう思ってもらうことですた。「今日の晩ご飯、何にするの?」そんなありきたりの会話をかわし、夕食を作ることを思い出してもらうだけで良かったのです。どんなにごちそうを用意したとして、その子たちの母親の握るおにぎりに、かなうはずがないのですから。
この作品はまぎれもない日本映画です。この情感、美しさ、誰を責めるのでもないのに、切々と観客の心に問いかける静けさ。ハリウッドでも韓国でもイギリスでも、決して作れない作品です。柳楽クンの受賞は、この作品に携わった人全部への御褒美かと思います。
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