ケイケイの映画日記
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2004年07月29日(木) |
「キリクと魔女」(吹替え版) |
本日は夏休みということもあり、末っ子とその友達を連れて、試写会などを良く上映する、新大阪のメルパルクホールまでフランスのアニメ「キリクと魔女」を観て来ました。この作品は昨年夏ロードショー公開されていますが、今回は製薬会社とラジオ局のタイアップで、限定4日間で大阪の色々なホールを巡回しており、本日が最終日でした。『ファミリー映画界』と銘打っていたので、小さなお子さんがいっぱい。うちの子供達が小さな頃を思い出しながらの鑑賞でした。
舞台はアフリカのとある村。魔女ガラバに支配されている村は、泉は枯れ、ガラバに戦いを挑んだ男たちは皆ガラバに食べられてしまい、女達は金や宝石を奪われ、村には女子供と年寄りだけが残っています。そんな村で、産み月間近い若い母の胎内から、「ぼくを生んで」との声とともに、自分の力で生れてきたのが、この作品の主人公・キリクです。
この神話のような誕生の仕方から、観客はこの村の救世主はキリクだと確信するのですが、映画の中では、身体は赤ちゃんながら、大人より賢く勇敢な彼は、村人から薄気味悪がられ、なかなか受け入れてもらえないのです。 しかし、キリクの知恵と勇気のおかげで、数々の危機を救われた村人達は、徐々に彼の存在を認め、受け入れてくれます。
本来なら他者から守られ愛されて当然の赤ちゃんのキリクですが、その中身と外見のギャップが、人からは警戒心を抱かせてしまいます。「普通」と言う概念からは、キリクは遠い存在なのです。こうして映画の中では、キリクの存在を受け入れている私たちですが、日常生活において、村人達と同じような行動を取り、普通と言う概念から少々はずれた人たち(身体的以外にも不登校や性同一性障害など)の善良な心までも排除しているのではないか?そんなことをふと思いました。
キリクがいじけず真っ直ぐに生きられるのは、彼の特性を見極め、見守る愛情で彼を包む母がいるからです。「人は黄金がなくても生きていけるが、水や愛する人がいなくなれば、生きていけない。」と、若い母親は、人生の指針を息子に教えます。キリクの人格を認め、息子の可能性を信じる母は、ともすれば冷たく見えますが、いつも心に子供の存在があるのに、手出し口出しないと言うのは、実際はとても難しいことです。子離れの時期をとっくに過ぎた息子たちを持つ私は、とても教えられることがありました。
村を救っても、「何故魔女ガラバは意地悪なの?」という好奇心を持ち続けるキリクは、その答えを得るため、彼の祖父である山の賢者に会うため、危険をおかして”禁じられたお山”に向かいます。そこでは数々の試練が彼を待ち受けていますが、「今までも何とかしてきた。きっと今度も良い方法がある。」と言う彼の言葉に、前向きな心と頭の柔軟さが大切と学ぶことが出来ます。
監督・脚本・原作のミッシェル・オスロは、子供の頃アフリカに住んでいたらしく、心に焼き付いた原風景を映像化したのでしょうか、極彩色に彩られたアフリカの大地は生命力に溢れ、力強い美しさに魅了されます。人々は子供は素っ裸、大人も腰蓑やパレオを巻いた上半身裸です。これが白人や東洋人なら、少しエロティックに映るかもしれませんが、褐色の肌は性と言うより生を感じさせ、女性達の乳房は子を孕み育む、たくましさと母性を感じさせます。
首尾よく祖父に会い、ガラバの意地悪の原因を突き止めたキリクは、ガラバを救いたいと願います。彼女は男たちから虐げられ、心にも肉体にも傷を負っていたのです。カラバを救ったキリクは、彼女に求婚、彼女とのくちづけにより、中身と相応しい立派な青年となるのです。何だか「一寸法師」のようですが、敵として戦ってきた女が運命の赤い糸、というところがいかにもフランスを感じさせます。相手の過去も問題にせず大人ですね。
観終わって一番感じたのは、子育てに大切なことがぎっしり詰まった作品だと言うこと。私も経験がありますが、育児中は少しでも我が子が枠からはみでると、とても心配してしまうものです。あるがままを受け入れ、心を柔軟にして知恵を絞り、風通しの良い心を持ち、子供の好奇心を満たしてやる。わかっちゃいるけど、子育て中にイライラしている時は忘れがちなことです。この作品には、キリクや母、祖父の言葉や行動から、そんな時に心を静めるヒントがたくさんもらえます。
どちらかと言うと大人向けの作品ですが、お子さん達にもキリクの冒険物語として楽しめるかと思います。子育て中の方や出産祝いなどにこの作品のDVDをプレゼントすれば、気の利いた品として、先方にきっと喜ばれますよ。
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