ケイケイの映画日記
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2004年07月16日(金) 「スパイダーマン2」(吹替え版)

面白い!実はこれは末息子のリクエストで観た作品で、午前中は「チルソクの夏」を観て、急遽午後に観に行く事になったので、あんまり気合が入らず
しょうもなかったら寝てたらええわ、くらいの軽い気持ちで臨んだのですが、とんでもない!覚えている限りの、ヒーローアクション物の白眉の作品でした。

スパイダーマンとなってからのピーターは、人助けボランティアのヒーローとしての活動が忙しく、バイトではヘマばかり、大学の講義では出席もままならず成績は急降下、あげくアパートの家賃も払えず、女優となった愛しいMJから招待された舞台には遅刻で観られず、ピーターからの愛の告白を待つ彼女は痺れをきらし、別の相手と交際を始めます。
いったい自分は人生を全てを犠牲にして、何のために人助けをしているのか?ウツウツグジグジ、ピーターは悩みます。

このウツウツグジグジが、とても良く理解出来るのです。
サイボーグや特殊能力を持つミュータントの苦悩と言うのは、人間としての部分とそうでない部分の間で悩む、言わば自分のアイデンティティーに対してというものだと思います。
しかしこのピーターの悩みは、例えば有力スポーツ選手が自分の人生の全てをスポーツに捧げてふと振り返った時の葛藤、例えば仕事の出来る女性が、「だから女は」と言われることに反発し朝から晩まで仕事仕事で、ふと私は女として正しく生きているのだろうか?と囚われる時、などなど普通の人にも色々置き換えられる苦悩で、「そうやわなー、ちょっと休んで青春楽しんだら?」と、思わず声をかけたくなります。

そうこうするうち、彼はついにスパイダースーツを捨てます。
しかしそのため町の犯罪率はアップ、4本アームの怪人・ドクターオクトパスが街を破壊しまくります。また葛藤が始まるピーター。

ピーターの叔母であるパーカー夫人が、どんなに自分はお金に困っていても、ピーターの誕生日プレゼントは忘れず、受け取れないというピーターに、「受け取りなさい、本当はもっとあげたいの。」と涙ながらに渡す与える愛の深い女性で、葛藤真っ只中のピーターに、「ヒーローは自分の幸せのためだけに生きてはいけない」と悩むピーターを後押しします。彼と深い絆で結ばれた、心暖かい上品な老婦人に語らせることで、聞く者に、素直に真理だと感じさせる重みを与えます。

街に戻ったスパイダーマンは大活躍。橋から落ちてしまう寸前の列車を止めたり、愛するMJを人質に取ったドックオクと対決します。
アクションは全てCG絡みですが、蜘蛛の糸を使ったアクションは前作同様爽快で、アニメチックな感はありますが、まっ、この作品は原作がコミックですから、さして違和感はないと思います。それより色々な作品で、もうお腹いっぱい!の感のあるCGですが、この作品では全ての出演者の演技が上手く、CGだけが一人歩きせず、映画の売りの一つとして機能していました。CGはやはり副菜、主菜はやはり俳優の演技なのだと改めて思いました。

怪人ドックオフを演じたアルフレッド・モリーナは、愛妻家で正しく知的な科学者・オクタビアスと、人格を自ら作った機械に乗っ取られた後の怪人とを見事な演技力でくっきり対比。どんぐりまなこ一つで狂気や優しさ、哀しさを表現していました。ラスト正気に戻った彼が、「化け物のままでは死ねない」の言葉を残し、命を捨てて最愛の妻の命を奪った機械を破壊していく姿に、正直言うと私は涙ぐみました。哀しいはずなのに、きっちり落とし前つけて、きっと天国の妻にねぎらってもらっているだろうと、カタルシスさえ覚えました。

何なのだ、このヒーローものにあるまじき(?)ドラマの厚み・充実は!
脚本はアルビン・サージェント。近くは「運命の女」、遡ると「ペーパー・ムーン」「ジュリア」「普通の人々」など、「不朽の」と付けて良い名作の脚本を書いています。なるほどねー。

もちろん監督のサム・ライミも立派。予算はふんだんにあったでしょうに、
大作のもったいぶった感じはなく、彼流ユーモアが全編ちりばめられ、笑いを誘います。バート・バカッラクの「雨にぬれても」の効果的な使い方に、「明日に向かって撃て!」を思い出し、スパイダーマンの正体を知った花嫁姿のMJには、ウジウジグタグタのピーターとMJらしい『卒業』を用意し、往年の映画ファンを楽しませます。B級の良き香りを残した一流娯楽作。幅広い層の皆さんにお薦めします。


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