ケイケイの映画日記
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2004年07月12日(月) 「69 sixty nine」

この映画の題材である1969年は、私は小学校2年生で、この時代の空気や体温、風俗みたいなのは、辛うじて覚えています。
前半はなかなか快調です。特にオープニング・タイトルは、影絵風アニメーションで69年という時代を再現し、BGMはエリック・クラプトンが在籍していたクリームの「ホワイト・ルーム」が流れ、「キャッチ・ミー・イフ・ユーー・キャン」のオープニングを彷彿とさせる秀逸な出来でした。
他にも全編において流れる数々の曲の選曲が良く、時代を感じさせる助けになっていました。

高校3年の男子たちの生態も、ちょっとおふざけが過ぎるきらいはありますが、平凡パンチ・11PM・クラスの気になるあの子・鉄拳教師などを上手にアイテムとして使いながら、性への好奇心や、アホだけど若いエネルギーが充満している様子を楽しく描いています。うちにも高校を卒業したばかりの息子たちがいて、「今だから話そう」的なアホ話を最近たくさん聞かされている私は、微笑ましく好感をもって観られました。

私が一番気にいったのは、口が立ち行動力もあるケン(妻夫木聡)、頭も顔も良いけど訛りがきつく、場を考えないでものを言ってしまうアダマ(安藤政信)とつるんでいて、いつも絶対コーヒー牛乳を飲む事が出来ないイワセ(金井勇太)のエピソード。コーヒー牛乳って特別な飲み物だったなぁと、しばし思い出にふけりました。今ほどいつでも飲めるものじゃなかったんです。アイスクリームも夏だけの物でした。アイスの入ったケースは、冬はお店の中にひっこんじゃったものです。

段々と私が笑っていられなくなったのは、ケンが言いだしっぺで、自分たちの学校をバリケードで封鎖してからです。折りしも学生運動盛んな時代、高校生でも本気で国を憂いて、その道に入った人もいたでしょう。それなら良いのですが、ケンがそうしたのは、気になっている学校のマドンナ・松井和子の気を引きたかったからです。あげくメンバーの一人に、校長先生の机の上に脱糞させます。試写会でこのシーンは沸いたそうですが、画面で見せるのにはあまりにも汚らしいのです。もちろんフェイクでしょうが、そのものズバリも映しています。ここまで描かれるとおふざけを過ぎて、立派な犯罪。彼らを可愛いと思う気持ちが失せてしまいました。

警察に捕まり、親共々学校に呼び出される事になったケンに対する両親の態度も疑問です。父親(柴田恭兵)は、のちのエピソードで教師だとわかるのですが、当時の長崎の佐世保で、教師の子供が起こした新聞沙汰になるような問題は、自分の進退問題にもかかわるはずなのに、父親は怒りを見せません。「自分が信念を持ってやったことなら、まっすぐ相手の目を見てこい」と、母親と送り出すのですが、信念てあんた、好きな子の気を引きたいだけのノリでやったことで、政治的な思想も何もないのがわかってんの?と、私にはこの父親が理解不能でした。

彼らはとても恵まれているのです。私の父はメッキ工場を経営しており、小さいながら寮もあったので、当時春になると、「金の卵」と呼ばれる中卒の少年達が働きに来て下さいました。四季折々に土地の名産品を我が家に送って下さった親御さんの気持ちは、ひとえに「息子をどうぞよろしく」だったと思います。そんな同世代が居たのにもかかわらず、「面白ければそれでいい」だけで全て事が運ばれる筋では、1969年という時代が見えてこないのです。風俗や衣装などをいくら真似ても、今の時代の高校生となんら変わらない。普遍性を描くと言うのとは、別の次元なのです。

教師の描き方も底が浅いです。鉄拳教師・嶋田久作は、問題ばかり起こす
ケンを目の敵にしますが、推測するに1930〜35年くらい生れの設定のはず。戦争を前後して、物の尺度や価値観が一変してしまい、その上戦後の復興に苦労した世代のはず。岸部一徳は、若い頃肺病の手術を何回もした、
とセリフに出てくるので、そのことから戦争には借り出されなかったはずです。友人が出征していく中、きっと後ろめたさや安堵、葛藤など色々あったと思うのです。その辺の描写がいっさいないため、ただの暴力教師や少々腑抜けだが物分りの良い教師としてしか写らず、映画に深みを加える絶好の人物だっただけに、残念です。

嘘から出た誠のように、アダマだけが思想的に変貌していく様子が伺えますが、それも浅く描くだけで、またもや「面白ければ良い」ケンの登場で、学生運動は全て口先ばかりで何も出来なかったの如くの幕引きの仕方。これはちょっとなぁ。結果論として日本の学生運動は、負の遺産が多いと思いますが、当時真剣に国を案じ愛するからの行動であった人もたくさんいらしたはずです。今は平穏に中年から初老を迎えている方々に、あまりにも冷たい描き方です。

主演の妻夫木聡と安藤政信は、今年24歳と29歳になる立派な青年で、いつまで高校生役をやらすのかとこれも疑問。彼らの演技自体には問題はなかったですが、共に数少ない一般的な娯楽映画でお客を呼べる人気俳優です。
もっと今の彼らにあった作品に使わないと、いつの間にか飽きられてしまうこともあるでしょう。製作側は、安易なキャスティングをしないでもらいたいです。

いっぱい苦言を書きましたが、どれもこれもほんの一ひねりすれば、作品の格とコクがグッと上がって、青春映画の名作になったのになぁと残念です。
多分私の疑問や悪しき感想は、村上龍の原作を読めば解消されるかと思いますが、映画はあくまで映画での出来が大切だと思います。付加価値を原作に求めるのは、私は好きではありません。1961年生れの私の感想はこんなもんですが、年代が違うと、又別の感想になると思います。他の年代の方の感想が聞いてみたい作品ではあります。




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