ケイケイの映画日記
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2004年06月30日(水) 「ブラザーフッド」

「シュリ」と言う、今の韓国映画ブームのはしりとなった作品を監督したカン・ジェギュが撮った、朝鮮戦争が舞台の大作、「ブラザーフッド」を観てきました。今日観た映画館は、私のホームグラウンドの布施ラインシネマ。お正月明けに観た「半落ち」以来久しぶりで、義姉さんと観てきました。

知らなかったのですが、配給はあの米大手のユニバーサル。最初からそれを念頭に作ってあったのでしょう、「シルミド」のように、自国民向けだけに作った作品ではなく、日本やアメリカに輸出する目的があったためか、韓国映画独特の泥臭さは影を潜め、濃くて熱い兄弟愛が描かれていますが、くどさや臭みはなく、幅広い層に受け入れられるよう、配慮して作られていると感じました。

朝鮮戦争勃発の日、疎開しようとしたジンテ、ジンソクの兄弟一家は、成り行きで一家に一人の出征で良いはずが、二人とも徴兵されます。そこにいた誰でも良いから、戦争で闘えそうな年代の男ならかっさらっていく、そう言う描写なのですが、当時を知る年配の在日の方に聞いたところ、これは事実だそうで、何も知らない民間人が訓練もそこそこ、戦場に送り込まれたそうです。いきなり戦争が始まったので、余裕を持って兵士として鍛えている暇はなかったそうです。

手柄を立て勲章をもらえれば、弟を帰還させられると聞いた兄・ジンテは、進んで危険な任務に着き弟・ジンソクを母の元に帰らそうとしますが、そのため家族思いで優しかった兄が、段々と人間らしさを失い、自分の知らない人間になっていく事に、ジンソクは反発します。

至近戦ばかりを描いた戦場シーンは、私は「プライベート・ライアン」を凌ぐ迫力と凄惨さがあったと感じました。今までどんなむごたらしい戦場場面を観ても、作り物と言う概念が消えずにいたのですが、土や石が物凄い勢いで弾け、腕が飛び足がもげ、血しぶきが飛びまくる地獄の底は、自分が間近で見ているような生々しさでした。

主役を演じるチャン・ドンコンとウォンビンは、容姿に恵まれ過ぎて、リアリティが出ないのではと危惧していましたが、とんでもない。弟らしい繊細な感受性を、ウォンビンは的確に演じていたし、兄を演じるドンゴンは、私はスクリーンで彼を観たのは初めてですが、華やかなスター俳優のオーラが感じられ演技力もあり、低く通る男らしい声も魅力で、これからの韓国映画界の屋台骨をしょうであろうと確信しました。

義姉がジンソクがジンテに口答えする度、「このアホの弟、誰かどついて。」と言っていました。普通の若い世代の日本の人の感覚で観たら、弟が正しいと感じると思います。この兄は何故これほど弟に執着するのか、意義や意味も理解しにくいのではないかと思いました。でも私や義姉は、ジンテの気持ちがとってもわかるのです。

冒頭で法事のシーンがあります。兄が「父さんの行かしたかった大学へ必ず弟を行かせる。」と二人並んでお供えの前で語るのですが、父親を早く亡くしたこの家にとって、まさに兄は家長な訳で、自分は働き手として家族を早くから養わなければならなかったので、教育の機会に恵まれず、父の意志を弟に託しているわけです。父親の遺言ならば、当時の韓国人なら何がなんでも叶える努力をしたはず。

自分が捨石になっても、何の苦労とも思わないのは、「長男」だから。家の繁栄と名誉をひたすら思うからです。弟を思う後ろには母がおり、「家」があるからです。韓国人独特の、この濃い身内への情愛が理解出来にくいと、このお話は、少しも心の琴線に触れる事が出来ません。

この感情は、少し前の日本でも主流だった感情であり、日本でも充分に通じる感覚だと思います。主役二人の人気で平日お昼にもかかわらず、老若の男女で満員に近かった場内は、すすり泣く声が度々聞かれ、すぐ後ろの中年の男性、横の年配の男性など、声をあげて泣いていおられました。現代では失われつつある親兄弟の情に、胸に去来するものがおありだったのでしょうか?

家に帰り、社会人の20歳の長男に「お父さんが倒れて働かれへんようになったら、あんた、どないする?」と聞いたところ、「俺の給料全部家に入れるわ。」と、事もなげに言うのです。年子の次男も今年から社会人なのですが、「あの子はどない言うやろ?」と話すと、「あいつもそう言うに決まってるやん。俺より家族を思う気持ちは強いで。」と言い切りました。うちにはまだ下に小6の三男がいるのですが、父親代わりは自分がすると言うのです。

何故そんなことを聞くのかと言うので、この作品の兄弟の話をしました。「ふーん、いざとなったら、日本の人も同じように思うんちゃう?」私もそうだと思います。

在日3世として生まれ、いずれ日本人になるであろう息子から図らずも聞いた、韓国人の心。そしてこの作品を観て胸を熱くした私も、何故帰化しないのかと問われ、韓国人の誇りという大層なものでもなし、何なのだろうと言う自分自身の疑問も、常々夫の言う「国籍が変わっても、中身がいっしょじゃ同じことやろう。」と言う言葉は、やはり正しいのだと思いました。

婚約者を殺され、弟も死んだと思い込んだジンテは、国に絶望と憎悪を感じ、北側に寝返ります。そしてそんな兄を救い出そうと、身の危険を顧みず敵のアジトに臨むジンソク。また殺し合いが始まり、やっと見つけた兄は、あんなに愛した弟がわからない。殺されそうになるのに、一方的に殴られる弟。何度も何度も「兄さん!」と呼びかけ、やっと正気に返る兄。戦争とは、あんなにも大切にしていた者さえ忘れさせてしまう、イデオロギーとは、戦争とは、いったい何なのだろう?私が一番戦争の悲しさむごさを感じたシーンでした。

遠く日本に生まれ育ち、日本の学校に通い教育を受けてきた私にも流れる民族の血。その同じ血が流れている者同士のこの戦争を、当時体験した方々の気持ちは、筆舌に表すことは出来ないでしょう。今も世界のどこかで戦争、内戦が行われています。その無残で哀しくやりきれない姿を白日にさらした作品です。娯楽大作と名がつく作品ですが、とても心に重くのしかかり疲れる作品です。しかし見応え、心に響く内容の充実さは充分です。自信を持ってご覧になる事をお薦めします。



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