ケイケイの映画日記
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2004年05月23日(日) |
「ビッグ・フィッシュ」 |
嘘とホラの境界線って何でしょう?私はこの作品を観て、嘘は自分の保身や人を傷つけるもの。ホラはこうだったら良いな、と現実を誇張して自分の夢を語り、人を楽しませるもの、そういう印象を持ちました。
この作品は、ホラ男爵ならぬホラ父ちゃんの冒険に付き合うのにいやけがさした息子が、母親から連絡をもらい、余命いくばくもない父の元に駆けつけ、本当の父親の姿を探すお話です。
実は私の亡くなった母親と言うのが、虚実ない交ぜに自分の人生を娘に語り、私を振り回しがんじがらめにした人なので、息子のウィルが、ホラでない真実を知る事にこだわる姿が、痛いほどわかるのです。血をわけた親の本当の気持ち・姿を知ることは、自分を知ることでもあるわけです。
とは言え、うちの母の子供を支配するためについた嘘でなく、父・エドワードのホラは御伽噺のような内容で、他人からは好かれる父を何故ウィルは嫌うのか、観客からは見えにくいと思います。
これは親が子供にこう育って欲しいと理想があるように、子供にだって親に対して理想や願望があるはずなのです。冒頭ウィルの結婚式の際、自分にない人を惹きつける魅力を持つ父に対し、彼がコンプレックスを抱いている様子が描写され、血の繋がりのやっかいさを感じさせます。
この作品を華やかに彩るはずのホラ話なのですが、確かに楽しいのですが、ストーリーとの絡ませ方に光る物がなく、特に父が訪れる「幻の町」のお話など、のちに廃墟寸前のこの町を救うのですが、華やかなりし時の町でさえ、そんなに魅力的であるとは思えず、一生懸命な彼に不思議さがつきまといます。これはあのティム・バートンなら、どんな素敵なホラ話を見せてくれるのか、期待が大きすぎたせいかも知れません。
あんなに嫌っていた父のホラ話の続きを、死ぬ間際の父に語るウィルの姿には、やはり目頭を熱くさせられました。自分もホラ話を語ることで、きっと真実の父が見えたのでしょう。自分に対する愛が語らせていたホラ話だったと。
ウィルの何もかも忘れて、父だけを思うこのシーンに、私は母の危篤の時の自分の姿が脳裏をよぎりました。一週間ほど妹と交代で病院に泊り込んだのですが、死ぬ前の日が次男の5歳の誕生日で、母はもう死ぬというのに、 私のいない誕生日に、息子は寂しい思いをしていないだろうか、風邪をひいている長男はどうしているだろうと、私は母だけを見てはいませんでした。
なんと情けない娘です。あの時息子達を案じる私のように、母だって心から私を案じ、愛して育ててくれていたはずです。ウィルの姿に母が亡くなり13年、精一杯娘として親孝行して来たと思っていた私ですが、初めて母に対して申し訳なさで胸がいっぱいになりました。
幸か不幸か私には娘がおらず、息子が3人です。父と息子はハードボイルド。決して友達親子にはなれません。大人になった息子達が、どんな形で自分の父親を理解するのか、そのたたずまいだけで、二人を見守る心を表現していたジェシカ・ラング演じるお母さんのように、私もなりたいものです。
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