♀つきなみ♀日記
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2002年02月19日(火) |
美味しすぎるよ、そのコメント!>長谷川センセ。Folie-BUSU(フォリー・ブス)について。浅間山荘事件30周年記念。 |
長谷川先生、美味しすぎます、そのコメント。っつっか私みたいな者を取り上げていただき有難う御座いました。しかし「フォーリー・ブス」ってすごいなぁ、「馬鹿げた言動のブス」。って私ジャン(泣)
それはともかく、30年前の今日、浅間山荘事件が勃発した。振り返ってみると1958年6月の全学連大会に於いて指導的日本共産党執行部と対立した学生党員達は、12月に共産主義者同盟(通称「ブント」)を結成した。1957年に結成された日本トロツキスト連盟はその後、日本革命的共産主義者同盟(通称「革共同」)に発展し、共産党が指導する民主青年同盟全学連(通称「民青」)に対して、合同して全学連を組織する。それが新左翼、そして学生運動の実質的なスタートだった。
60年安保を経て、ベトナム反戦闘争、60年代末の安田城の攻防から全共闘運動という最高潮の時代を経て70年安保での挫折を経験する。闘争の残滓は残るものの、革命は彼方へ遠ざかりつつあった。
1972年、成田闘争と沖縄返還協定反対闘争は継続されてはいたものの、それはもはや反政府でも反体制でもなく、「反政策」闘争へ変質している事に当事者双方共まだ気付いてはいない。70年安保阻止闘争の敗北から激化した内ゲバは、閉塞した革命への道を再度開くことはなく、大衆との絆を断ち切りつつあった。
連合赤軍の5人は、10日間河合楽器浅間山荘の管理人の奥さんを人質に取って、1500人の警官隊と睨み合い、そして、2月28日に終焉を迎える。そして、捜査の過程で現れたのは、革命計画でも革命後の社会ビジョンでもなく、妙義山の山中を初めとする闘争ではなく逃走するためのアジトから、自己総括の名の下に葬られた12体のかっての同志の遺体であった。「総括」という言葉が流行語となり、5月30日のテルアビブ空港乱射事件を経て、熱を持って語られた「革命」という言葉は、永遠に封印される。
私が始めにこの件に衝撃を受けたのは福島菊次郎さんの写真でだった。(福島菊次郎さんの写真は一部ここで見ることが出来ます)そこには、怒号を浴びて連行される、赤軍派の「氷の城〜連合赤軍事件・吉野雅邦ノート@大泉康雄著*新潮社」のまさに吉野雅邦さんが写っている。
閉塞する目的と閉ざされる希望の中で生まれた狂気の奔流は、、人が人として守るべき知性も感情も規範も、そして「生きる」あるいは「命」と言う尊厳さえ押し流して行く。
それは閉ざされたセクトでのプロパガンダではあったが、ここ数年の本質を無くした煽情的な報道や、恣意的とも思われる情報の操作に明け暮れる現在のマスメディアの姿勢をどこか連想させるものがあって、少し怖い。
事実を訴求する事無く、上っ面の感情に訴える言葉が地を覆う事が無いようにだけは切に願うのではあるのだけれど。
なんちて<=おい!
さて、今日は野菜入りのチキンラーメン食って寝ようっと。卵も入れてね。 じゃまたね!
テキスト庵
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